苅田城
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城地に建つ石碑。(02年10月)               穴師公園案内図に城址の位置が描いてある。(02年10月)

中心地は農協駐車場あたり。泉穴師神社参道が南に伸びている。参道両側の楠木並木がすばらしい。泉穴師神社境内にも楠木の大木がある。西の穴師公園は池を埋め立てたもの。この池が外堀の役目をしていたとの説もある。平成17年、泉大津教育委員会発行の「おおつ物語」によると、この地を「池浦の堡」としており、苅田城の石碑は大阪市の安孫子・苅田村近にあった城跡と間違ったもの、としている。根拠は「和泉志」の「池浦堡」としている。写真の石碑も平成5年に泉大津市が建てたもの、早急に訂正の説明板でも取り付けてもらいたい。

池浦の堡((おおつ物語より)泉大津教育委員会発行)

・・・・略・・・・市内の字を調べると大阪法務局泉出張所のやや北側に「城」の字名がみられ、さらにそれに隣接して「木戸」「戸木戸」の字名もあり、これらは城の柵や出入り口に因んだものと考えられます。このことから、付近に領主の拠点となる居館があったと想定され、これが「和泉志」の「池浦堡」を指すのではないかと思われます。応仁の乱以後、室町時代末期は旧来の権力者が力で下位の者に打ち破られる「下克上」という戦乱の世が続いていました。この時期は畿内の支配を巡る細川高国と細川晴元の紛争や一揆の蜂起などがあり、和泉国内でも各地で紛争が多発していました。「池浦堡」は、この時期に築かれたとりでの一つではないかと思われます。平成元年と二年に付近の発掘調査を行いましたが、城跡の痕跡と思われるものの発見には至らず、実態は謎となっています。

苅田城石碑背面の文字

苅田城は中世に平城として造られたもので歴代寺田氏の居城となる      平成五年三月  泉大津市

 

所在地 → 泉大津市我孫子町一丁目12番10号