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ノルウェーの老人福祉(2)/少小化対策


2004年10月下旬、3っの日本の視察団の通訳として、4ヶ所の老人ホーム、補助器具センター、社会保険局、公の福祉研究所を訪問しました。 その時の話をまとめたものを、社団法人全国社会保険協会連合会、「社会保険」4月号(2005年)から9月号まで6回にわたり連載しました。


ノルウェーに見る少子高齢社会の存り方

第1回 老人福祉は老人が主役(1) 4月号

日本より、ノルウェーに住んでいる方がいつのまにか長くなってしまった。
現地に住み直接ノルウェーの福祉に接し、日本からの視察団の通訳として福祉各関係機関をしばしば訪れて感じることを、段片的ではあるが書いてみたい。

最近(2004年10月)4つの老人ホーム、補助器具センター、社会保険局、公の福祉研究機関、リハビリーセンターを3つの性格の異なる日本の視察団の通訳として約2週間訪問してきた。
短期間に多くの機関を集中的に視察できたことは幸いであった。
老人福祉には年金、医療、介護が必要である。
以前の視察と比較すると、同じようにみえるそれらの福祉政策は年々、少しずつ変わってきているのが分かった。

ノルウェーの老人ホーム
ノルウェー語には「老人ホーム」と直訳のできる言葉がある。
今回訪問した老人ホームは、それぞれ名前が異なっていた。
日本語に直訳すると、昔から使われている言葉で、「老人ホーム」。
比較的新しい表現の「住宅と文化センター」「住宅とリハビリセンター」「住宅とサービスセンター」であった。

知らない人が聞いたら、とても老人ホームとは思えない名前が多い。
施設には特別養護老人ホーム、介護ホーム、ショートステイ、デイセンターなどがある。
初めて「住宅と文化センター」の名前を見たときに、意味がよく分からなかった。
文化センターと老人ホームを結びつけるイメージがなかった。

日本から視察団がくると、最新の設備を持った老人ホームを紹介されるのが常だが、この老人ホームはオスロの北東に位置する。
普通の老人ホームと異なり、老人ホームのために建設されたものとは思えない施設だった。
老人ホームのリーダーにより、ポリシーが異なるのは面白い。
リーダーは40才前後の男性だった。

最初の説明では、ここの老人ホームと地域住民の垣根を完全に取り外すようにしているということだった。
施設には入り口すぐ近くにカフェテリアがある。
物価の高いノルウェーにしては、ほとんど利益抜きではないかと思われる料金でコーヒー、お茶、パン等の軽食が買える。
入居者、地域住民、近くの学校の生徒など誰もが利用できる。

大学教授3人だけの視察のときは、公の役所ばかりで老人ホームなどの現場を見る時間がなかったので上記の施設見学に連れて行った。
私を含めた、日本人4人がカフェテリアに入り軽食を取っても、誰ひとり振り向きもしなければ、変な外人が入ってきたという素振りもまったく感じられなかった。
地域住民との垣根を取り外す、つまり老人ホームを隔離された人たちの場とするのではなく、地域住民との共通の場にするという考え方だ。

例えば、近くの学校の生徒が穴のあいたよれよれのジーンズをだらしなくはいて入ってくると世代が違う老人には、「今の若いものは、 だらしがない」とだけしか写らないかもしれない。

また、この老人ホームにはプールがある。
それを幼児水泳コースのために、貸し出している。
収益は老人ホームのために使われる。
泳いだ後、母乳を欲しがる乳児に若いお母さんが人前で母乳をやっていることがある。
昔に生きた老人には人前で「はしたない」という反応がくるのが普通だが、施設の方では今の世代の生き方に触れさせ、老人に刺激を与えるのも大切という考え方だ。
ここでは、世代の垣根も取りはずそうとしている。

専属のコックを雇っている老人ホームは多くはない。
しかし、「この施設では、コックを雇っている」とリーダーが言ったのを聞いて、思わず「エ。。。」と聞き返した。
ノルウェー語の返事だったが、英語に直訳されると、まさに「Why  not」になる。
特に説明はいらないと思うが「どうして、老人は美味しいものを食べてはいけないの」という意味につながると思う。
日本語に訳をすると、おおげさな表現になるが生活のクォリティに通じる言葉だけに私には大変印象に残った。

さて、「文化センター」の意味だが、低いステージがさりげなく置いてあるカフェテリアが急遽コンサート会場に変身する。
そして子どもたちのコンサート等、さまざまな催し物がひんぱんに開かれる。
観客は子どもたちの家族、地域住民そして老人ホームに住む老人たちだ。
以前、子どもたちの演奏の場にいたことがある。
階上の住まいから、車イスごとエレベーターでカフェテリアまで降りてくる姿は、街中のコンサートホールでは見られない。
ここの老人ホームは可能な限り、社会との触れ合いの場を提供している。

もうひとつ感心したのが、施設で働いている人たちの中には高い教育を受けた医師、理学療法師などさまざまな人たちが働いている。
しかし、リーダーの話では自分のステータスを取り除き、人間と人間として接触することが大切であるとの説明を受けた。
たしかにノルウェーは階級社会ではなく、皆平等の精神を貫いている。
心の奥底には階級意識を持っている人がいるかもしれない。
しかし、長い間ノルウェーに住んでいると、それを感じさせない気楽な社会ということに気がつく。
こんなことが知らず知らず、老人ホームにも生きているのかもしれない。

老人ホームの視察は最初に施設の説明、そして施設案内、最後に質問の時間があるのが普通である。
しかし、この施設では説明のみで、施設の案内も質問の時間もなかった。
私の勝手な想像だが、施設そのものは特に視察団に見せて参考になるようなものはないように思われた。
しかし、この老人ホームの根底に流れる考え方を聞けただけで十分であった。

最高の環境
今まで訪れた老人ホームの中には、十分な資金と時間をかけてノルウェー最高の施設と自慢できるところがあった。
私も何度かそんな施設に行ったことがある。
1999年に競合設計により完成した、森の中で見られる「きのこ」の名前を冠した老人ホームを訪れた。
そこの「老人ホームは住宅とリハビリセンター」という。
機能的な老人ホームをつくろうとする明白な意思があって建設されただけに、施設は使節団がため息が出るほど完備していた。
施設を案内してくれた看護師によると、老人ホームとしては最高な施設だそうだ。

周囲は森で囲まれた地上3階、地下1階の複合住宅である。
看護住宅、長期滞在というより、そこで残りの人生を過ごす特別養護老人ホーム、ショートステイ、デイセンター、医療室、常駐歯科医師、美容室、物理療法室、足の理学療法室、洗濯室、ボランティアの老人が働くカフェテリア、キッチン及び水温が32度に保たれているリハビリ用プール。
またこのプールも幼児水泳コースに貸し出している。

宗教にも配慮
ここの老人ホームで印象深かったのは、小さいチャペル(礼拝堂)であった。
ノルウェーの宗教は圧倒的多数がプロテスタントだ。
ご多分にもれず、他の近隣諸国同様にノルウェーにも移民が多い。
移民は文化、宗教をそのまま移民国に持ち込むことが多い。

この施設にも15ヵ国の人たちが働いているそうだ。
週に2度くるという女性の牧師は他宗教に寛大で、中央にあるキリスト 像は扉が左右にあり、他宗教の人が礼拝堂を使うときは扉をしめることができる。
キリスト像の代わりに扉には自然の絵が描かれてあった。
他宗教のための気配りには驚いた。

ディセンターの一角には、古物市で買ってきたような、家具、変色している白黒の写真、眠くなりそうな風景画が壁にかかっていた。
時計が逆周りしたような、昔を思い出させる小さな部屋があった。
その部屋にいると落ち着くようで、結構人気があり視察のときにも人の出入りがあった。

第2回 老人福祉は老人が主役(2) 5月号

認知症の人々の介護
オスロに隣接するシー地方自治体は、人口2万6000人(2004年)の小さい自治体である。
後で補助器具センターで説明するアーケシュフース県にある地方自治体である。
ノルウェーの人口は457万人435の地方自治体がある。
町の大きさによって、市町村の呼び方はなく、すべてコミューネつまり 地方自治体とよばれている。
シー地方自治体は認知症の人の介護に力を入れている。

視察ではデイメンスという言葉がしばしば使われた。
デイメンスは認知症の総称で、その下に大きく分けてアルツハイマー認知症と血管認知症がある。
アルツハイマー認知症は全体の60%近くを占める。
デイメンスは後天的な脳の器質的障害により、正常に発達した知能が低下した状態をいう。
医学的には知能、記憶、見当識、判断力の障害や人格障害を伴った症候群という。
脳の一部が損傷して、知らないうちに徐々に悪化していく。
個人差があり、進行具合が大きく異なる。
個人性が破壊される。
治療可能な認知症があるが、ほとんどの場合、治療法はまだ発見されていない。

場所を変え、認知症の人の住宅を訪問した。
私が知っている認知症の人の住宅は老人ホームの階上にあり、個室に住んでいるが6〜7人でひとつのユニットをつくり、共同の居間などを持ち一緒に生活するのが普通だ。

ここの住宅は平屋の建物で、その後ろには森があった。
共同の居間のドアを開けると、すぐに大きな庭に出られた。
庭には人口の小川、水の音が聞こえるように30センチほどの高さまでしか届かない噴水、四季の移り変わりが感じられるような草花、秋になれば採れるリンゴの木があった。
そしていくつかのベンチが置いてあった。

認知症の人はどこに俳諧するか分からないが、この庭であれば自由に動けて自然に触れることができる。
庭の周辺には腰のあたりまでしかないような柵があった。
「ひょっとすると、障害物競走のように飛び越える人がいるのではないか」と心配する人がいたが、施設の人の話ではだいじょうぶということであった。
自然との触れ合いがどのような治療に結びつくのかよく分からないが、 部屋に閉じ込めておくよりもよいことは認知症の人にも施設で働く人にも言えることだろう。

法律では、重症の認知症の人であっても、イスやベットに拘束することは禁じられている。
これは指針病の人にも同様に言える。
ただ、精神病の人の場合は介護する人が多くなるそうだ。
ここにも、施設側ではなく、介護を受ける人たちの主体性が尊重されている。

介護予防
社会保険局では現場の視察ではなく、介護予防の話を聞いてきた。
70歳以上の老人の30%以上は介護が必要とされている。
年をとれば、体力が落ち病気になりやすくなるのは避けられないことだ。

ここでは運動という観点から説明を受けた。
年代によって運動量は違うが、老人の健康のためには最低30分の運動が必要ということである。
痛みを伴って年をとるのではなく、人生を楽しまなければいけないtぽい発想である。

老人には若者のような体力はない。
しかし残されている体力をいかに上手に使うかがこれからの老人福祉に限らず、身障者には大切である。
ここでの運動の定義は、庭いじり、家の清掃、散歩のような軽い運動から、心持ち呼吸があらくなり、軽く汗をかく程度まで範囲を広めている。

つまり、運動能力が増し、健康であれば精神的なゆとりができて、社会的なつながりが増えるという考えだ。
もちろん、人によって個人差があるのは当然だ。
なかにはスーパーマンのように空飛ぶ老人がいても、ひどく気むずかしく社会との付き合いが苦手かもしれない。
一般論として考えてほしい。

私たちに説明してくれた人の話では、「老人と運動」ということはなかなか理解されず、運動というと若い人たちばかりに予算がまわるという話だった。
「老人と運動」という、特に脚光をあびるようなテーマではないが、そんなテーマにも 一生懸命に取り組み、別な視点から老人福祉を研究している人がいるという事実をここに記しておきたい。

90歳の哲学者
余談になるが、ノルウェー人であれば誰もが知っている哲学者で環境問題を取り上げ、ディープ・エコロジーを提唱して世界的な反響を起こしたアルネ・ネス氏に2002年6月、雑誌の仕事でインタビューをする機会を得た。

1912年生まれだから、当時90歳であった。
ネス氏は登山家としても有名で冬にはクロスカントリースキーもする。
毎日の日課は森の中の散歩とボクシングだそうだ。
冗談半分にだが、ボクシングの真似をして本当に私めがけてパンチを 繰り出してきた。
90歳のパンチといえども当たれば痛かった。
ときどき、公園で刃の付いたスケートではなく、車の付いたローラブレードを若者に混じってやっているらしい。

私は90歳だから「何を言っても許される」と冗談とも本当ともつかないことを言いながら英語で質問に答えてくれた。(ノルウェー語で質問しても、話は英語だった)

27歳でノルウェー史上最年少のオスロ大学哲学科の教授になったネス氏はノルウェー語、英語、ドイツ語、フランス語で講義ができるほど語学が達者だ。
真剣にピアニストになろうとしたほど音楽に通じている。
「こんな人は女性がほっておかないだろうな」というほど面白く、魅力的だった。

そんなことよりも、ネス氏は一緒にいた日本人女性のフォトグラファーにちょっかいをだしていた。
多分女性が好きなのだろう。
親子以上に年の違う奥さんがやきもちをやいているのが面白かった。
今の奥さんは3人目で、結婚のたびに家が小さくなっていったそうだ。
ちなみに、昨年登山で落下して亡くなった同名の養子の息子は歌手のダイアナ・ロスと結婚していた。
前置きが長くなってしまったが、「こんな老人が増えれば老人介護問題はなくなる」と本当に思ってしまった。

第3回 老人福祉は老人が主役(3) 6月号

補助器具センター
最後に補助器具センターについて説明したい。
オスロに隣接するアケシュフース県の補助器具センターを訪問してきた。
アケシュフース県の人口は48万8000人でノルウェーでは2番目に大きく、22の地方自治体がある。

補助器具センターはノルウェー全国19の県すべてにあり、社会保険局の下にある県立社会保険事務局の管轄下にある。
地方自治体は社会保険局全般の責任がある。
例えば医療サービス、リハビリを含めた身障者に関する介護、老人ホームなど範囲広い。
地方自治体が補助器具必要と認めた人の場合、補助器具センターに申請ができる。
しかし、あくまでも使用者の判断が優先される。

補助器具が身障者に適応しているか、補助器具使用の訓練が必要か、使用者が自分で補助器具の調節ができるか、それらをフォローするのも地方自治体の責任になる。
補助器具使用者は67歳(67歳から年金が支給される)以上の老人が全体の76%(2003年)を占めている。
使用者が可能な限り残されている力を最大限に使い、自分のことは自分でできるように、補助器具は在宅、老人ホームでの使用が認められている。

補助器具としては室内用車イスと外で使う電動の車イス、電気スクーター、身障者用の車、電動ベッド、背もたれ、座面が調節できる電動安楽イス、車イスに座ったまま料理ができるように高さが上下に自由調節ができる調理台、握りやすいハサミ、ナイフ、フォーク、などここでは列記できないほど数多くある。
在宅の人には車イスで2階にあがれるようにリフトが設置される。
リモコンで開く自動ドア。
すべてが無料で貸し出し、また設置される。
2003年のアーケシュフース県の補助器具使用者は1万8309人になる。

ここの補助器具センターの従業員は105人(2003年)である。
内訳は身障者の作業療法士、スペーチ療法士を含むさまざまな療法士、聾者の通訳、アドバイザー、補助器具の修理などをする技術者、事務の人たちがいる。
彼らは必要に応じて補助器具使用者のところに派遣され、器具の適切な使い方のアドバイス、補助器具の修理などをする。

このセンターにはおびただし数の補助器具が保管されていた。
限られた予算のために、新品を買う前に変換された車イスなどを分解そして再び組み立てていた。
損傷している部分を新しいものに取替え、ほとんど新品同様にして次の使用者に届けられる。

不変の社会理念
長々と書いていると、何だか視察のレポートのようになってしまった。
結論として、今回の視察で強く感じたことは、特に昨今急に始まったことではないが、どこに行っても老人介護に限らず、身障者を含めて、施設介護より在宅介護への説明が多かった。
実際に在宅介護への比重が以前にも増して移ってきていることだ。

ノルウェーでは1970年代に、政府は特別養護老人ホームが医療機関の一部としてみなす政策を取ってきたが、高齢者が増えるにつれて財政負担も増してきた。
ただでさえ高い税金を財源確保のためにこれ以上、上げるのには限度がある。
限られた予算で、サービスを落とさない政策の転換が必要になってきた。
地方自治体の経済的負担の軽減を考えると施設介護よりも、可能な限り住み慣れた自宅で生活をしてもらう方が安上がりになるし、本人の幸福にもつながる。

それを言うと「ではその分、家族の負担になるのではないか」という質問が使節団から出た。
老人福祉は介護を提供する側、つまりここでは地方自治体が責任を負うことが明文化されている。

例えば、必要と認められた人は老人ホームに入ることができる。
そのときは地方自治体が4週間以内にどこかの老人ホームを責任を もって探さなければならない。
しかし、希望する老人ホームに入れない場合は、やはり空きがでるまで待たなければならない。
必ずしも老人の希望通りにはいかないが、健康なときは自分の責任で生活をして、老人になり病気になったら、当然すべての人に社会保障を 公平に提供されるのは当然の義務であり、受けられるのは当然の権利であるという不変の社会理念は変わらない。

そのために、個人所得には50%近い税金と消費税が25%もかかっている。
しかし、納税者は自分の祖父母、両親、そして将来の自分を想像して、高い税金を払いながらも、税金の遣い道がはっきり見え、政治家の汚職の話も聞かないだけに、納得しているようだ。
もちろん、税金は老人福祉限らず、病院、教育等のさまざまな分野で使われている。

日本と北欧の違い
日本からの視察団の中には、「日本ではまだまだ女性、特に嫁が老人をケアすることが多い」とため息まじりに発言する女性が今回もいた。
女性の社会進出が世界一というノルウェーでは、女性の社会的役割が異なり日本のように嫁の介護はほとんど100%あてにできない。

もっとも、ノルウェーに限らず北欧では異なった世代は同じ屋根の下に一緒に住みたがらない。
若者だけではなく、老人側からみてもごく自然の発想である。
仮に同居しても普通の家庭であれば、共稼ぎをしなければ生活ができないほど税金と物価が高いことはすでに述べた。

在宅の老人は訪問介護を受けることができる。
訪問介護は必要に応じて身体介護、家事援助、複合介護(身体介護と家事援助)の3つに分けられる。
また24時間介護体制は整っている。
ある程度、福祉基盤が整ってきたノルウェーだからこそ言えることかもしれない。
ノルウェーの次のステップとして、介護を受ける老人にただ長生きをしてもらうだけではなく、幸福が伴う生活のクオリティを大切にする方向に確実に移行してきていることだ。

老人ホームでは入居者の食事の時間が決まっているが、最近は本人が好きなときに食事ができるように変わってきているそうだ。
そうすると、「いつまでも食事が片付かず施設側の負担が増えるのではないか」という 質問がでた。
さりげなく出た返事は「そう、仕事が増えます」だった。

生活の主導権は施設側ではなく、あくまでも老人側の主体性にまかせてあることだ。
これは、老人に限らず補助器具を使用する身障者など介護、補助を受ける人の意見を第一に尊重していることからもわかる。

認知症の人でも、本人が施設に住むのを嫌がれば誰も強制できない。
また老人というカテゴリーの中に閉じ込めるのではなく、自立ある1人の人間として接するようにようになってきている。
老人に向かって幼児言葉で話しかける行為は、自分のためにも老人のためにも慎まなければならない。

どこの施設にいっても、視察団を案内してくれる人、そこで働く人、介護を受ける老人、デイセンターを利用する人たちの笑顔には屈託がない。
そしてまだまだ人生から引退していないと言わんばかりに、皆が大変お洒落なのも嬉しかった。

第4回 少子化問題と子育て支援政策(1) 7月号

少子化問題が真剣に論じられるようになった昨今、ノルウェーの子育て支援政策を通して子育どもの育てやすい環境について考えてみたい。

日本の出生率が下がっている。
出生率は1.32で世界の152位になる。(2002年)
若い人が子供をつくりたがらないようだ。
将来の不確かな年金支給からくる不安のためか、お金のかかる複数の子育てに及び腰なのだろうか。
それとも、勝手気ままに過ごせる自由な時間を失うのが嫌なのだろうか。
その他、理由はいくつかあると思う。

ノルウェーでは子どもが18歳になるまでさまざま子育て支援政策がとられている。
ここでは「女性の社会出進」「教育制度」「子供の自立」「統計」の観点から子育て支援政策の側面をみたい。

女性の社会進出
女性の社会進出と子育ては反比例しているのだろうか。
キヤリアを求める女性は子育てとの両立は無理だと思われていた。
昔ならいざ知らず、男性と同じか、それ以上の教育を受けた女性が家に閉じこもり子育てのみに専念する姿は考えにくい。
ノルウェーの若い女性で職業欄に家庭の主婦と記載する人はいない。
教育を受けた以上、それを生かした仕事に就くのは自然なことである。
女性でキャリアも家庭も欲しいというのは決して贅沢なことではない
当たり前のことである。
それでは、当たり前のことをするために、どのように社会が変化してきたのだろうか。

1979年の男女平等法により女性の社会的地位が徐々に変わってきた。
女性に限らず男性にとっても仕事をしながら育てやすい環境になってきた。

妊娠から出産までのケアと出産は無料である。
無料どころか、子どもが生まれると3万3584Kr(1Kr=17円計算で57万923円)の補助金が支給される(通貨の単位はKr/クローネ)。

育児休暇は出産前10ヶ月のうち最低6ヵ月仕事をしていた女性の場合、42週間(210日)の間100%給料が支払われるか、または52週間(260日)80%給料が支払われる。
母親は出産の3週間前から育児休暇を取らなければならない。
養育費の支払いは出産予定日12週間前から行われる。
育児休暇は男性も取らなければならず、前期の42週間、52週間の内最低4週間は取らなければならない。
もしも、規定の育児休暇を取らずに仕事を始めた場合はその間の養育費は停止される。
それ以外にも育児休暇、養育費についてさまざまな組み合わせがある。

養育費は2004年1月1日より16歳までから18歳までに引き上げられた。
1人につき毎月970Kr(1万6490円)の養育費が支払われるようになった。
18歳未満で結婚をした子どもは養育費の対象外になる

人口の流失を防ぐため、過疎化傾向の地方自治体、自然環境の激しい北極圏を越える北ノルウェーの地方自治体ではさらに前記の養育費に320Kr(5440円)加算している

医療費は初診料の自己負担は支払わなければならないが、基本的には無料に近い。
これは子どもに限らず大人にも適用される。
歯科は18歳まで無料になるが、以後は全額自己負担になる。

子どもが病気になると12歳以下(以前は10歳以下)までは1年間に10日間、子どもを介護するために、給与つきで欠勤できる。
子どもが1人以上の場合は15日間、慢性病または身障者の子どもは18歳まで、20日間給与尽きで欠勤できる。
片親の場合はそれぞれ2倍の日数になる。

社会福祉の発達したノルウェーでも、幼稚園がまだ十分ではない。
定員数が決まっていて、希望する子どもが全員入園できるわけではない。
入園できない子どもをもつ親は、プライベートで子どもを見てくれる人を探すか自分で面倒を見なければならない。
比較的新しい法律で、幼稚園に子どもを入れる代わりに支払われる補助金がある。
これは前記の18歳までの養育費とは別である。
以下列記するので参考にして欲しい。

  1−8時間、2926Kr(4万9742円)
 9−16時間、2194Kr(3万7298円)
17−24時間、1463Kr (2万4871円)
25−32時間、、732Kr(1万2444円)
   33時間以上、、0Kr

物価の高いノルウェーでは、今まで記載してきた養育費でも十分とはいえないかもしれないが、しかし補助金は減少することなく年を追うごとに確実に上がってきている。
可能な限り仕事と子育てを両立させる政策が取られているのが分かる。
小学校では授業が終わった後、仕事を終えた親が子どもを迎えに来るまで、子どもは学童保育に行く。
幼稚園、学童保育の充実は働く親にとって欠かせないことである。

教育制度
日本とノルウェーでは教育の仕組みが随分異なる。
近年は日本、ノルウェーに限らず世界の多くの国で子どもの教育に力を入れている。
ノルウェーでは小中学校までは義務教育である。
高校までは授業料は必要ないが、高校の教科書代は自己負担である。
大学も同様に入学金と授業料は無料だ。
適当な日本語の表現が見つからないが大学運営費の雑費というかたちで一学期に1万円近く支払うだけで済む。
つまりここでも子どもを大学に入れるのに親の負担はほとんどないのに等しい。

生活費は国から学生という条件で借りることができる。
学生とは大学とそれに準じる学校(ここでは教育に関するテーマではないので詳細は別な機会に譲りたい)で学び試験を受け、それに受かり次のステップにいく人を学生という。
学生であるには、遊びながらアルバイトをしながらでは試験には受からない。
試験に受からなければ学生とみなされず、国からお金を借りることはできない。
親元を離れて学んでいる学生は、1ヵ月に奨学金3200Krと4800Krまでのローン計8000Kr(13万6000円)まで、また親元から通う学生は1ヵ月に奨学金2080Krと2400Krまでのローン計4480Kr(7万6160円)まで支給される(2004〜2005年の学期/2005年夏休みまで)。

奨学金は返す必要がないが、ローンが19万4000Kr(329万8000円)以上であれば、勉学が終わった後、1年に4回、20年がかり銀行以上の利子をつけ返さなければならない。
ローンは最大限借りると、社会人になってから支払いが大変になるので 借り幅は自分で選択できる。
これも、アルバイトによる収入、またその他の要素が加わるとさまざまな組み合わせになる。
ここではすべてを書くのには紙面が足りない。

今のノルウェーでは本人さえやる気があれば、親の経済状態に関係なく 、すべての子どもにとって平等の機会が与えられている。
これは子どもにとっても親にとっても素晴らしいことである。
今の日本ではやはりある程度の経済的な基盤がなければ何人もの子ども を大学に行かすことは容易ではない。
日本でも、子どもの教育の負担がなければ、出生率の減少ということ起きにくかったかもしれない。

第5回少子化問題と子育て支援政策(2)8月号

子どもの自立
日本ではいくつになっても、親元で過ごしている成人が増えているようだ。
気楽な独身生活に浸っているようでは、出生率がどうのこうのという以前の問題である。
また、それを認めている親にも責任があるのかもしれない。
ノルウェーでは15歳になると宗教的な儀式で、大人になるための堅信礼がある。
日本の成人式と考えてよい。

教会、または宗教とは関係のない子どもたちは市庁舎で堅心礼を受けることができる。
15歳になる約6ヶ月前から、1週間に1度、大人になるための講習を受けなければならない。
そして他の子どもたちと一緒に、教会か市庁舎で堅信礼のお祝いがある。(ノルウェーでは町の大きさによって、市町村の呼び名がなく、すべて地方自治体といっている。
市庁舎という訳は必ずしも正確ではないが、便宜上ここでは市庁舎と訳する)その日は大人のおしゃれをした男の子はスーツ、女の子はドレスなどを着て堅信礼終了、つまり大人の仲間入りをしたという証明書をもらう。
その後、親戚一同を集めてパーテイをする。
そのときは、参列者からかなり高額な贈り物と現金をもらい、子どもたちにとっては15歳の人生において最も大切な日を迎えるわけである。しかし、堅信礼を終えても急に子どもが大人になるはずがないが、心の中でひとつの自覚が生まれることは間違いない。
高校を終え18歳になると、親元から離れて自活するようになるのが、ごく平均的なノルウェー人の子どもたちである。

ノルウェーの家は大きく200岼幣紊旅さの家はごく普通である。
18歳の子どもがそのまま住み続いても、全く問題はない。
親元から離れて、自立する子どもたちは自分で部屋を借りて住むようになる。
仮に物価の高いオスロで2部屋、キッチン、トイレ、シャワー付きのフラットを借りると10万円近くもする。
友人と1部屋をシェアしなければとても借りれることはできない。

親元を離れれば、かなり窮屈な生活になるのは十分承知で子どもたちは当然の義務のように自活を始める。
いくら子どもが自活したいといっても、子どもにはさまざまな経済的援助が必要になるのは当然なことである。
しかし、親のすねかじりを止め、自立しようと努力を始めるのが18歳である。
親にしてみれば、高校までは親が面倒をみるが、それ以後は子どもの責任という構図になる。
子どもの自立が早ければ、親の精神的、経済的負担が軽減され18歳までならば何とか複数の子どもを育てることができると思うのも不思議ではない。

統計
さて統計から現在の状況を考察したい。(表1〜3参照)
出生率が圧倒的に高いのはアフリカ諸国である。
同時に、65歳以上の人口比率が圧倒的に低いのもアフリカ諸国である。
先進国といわれている国は出生率が軒並み低く、65歳以上の人口比率は反比例して高い。
私の勝手な想像だが、統計から判断して日本と同じように先進国は少子化問題がおきているのだろうか。
ラテン系の国は子だくさんという先入観があったので、イタリア、スペインの統計を見て驚いた。
出生率の低さは日本以下である。
日本と酷似しているドイツ、ギリシャの統計も同時に付記した。

表1。出生率(統計はUNFPA,Sare of World Population.2003による) 期間は2000−2002で171ヵ国の統計である。主要ヨーロッパ諸国の出生率は2.0以下で、5.0以上はほとんどアフリカ諸国である。
、、1位ニジェール、8.00
130位ノルウェー、1.80
151位ドイツ、、、1.35
152位日本、、、、1.32
157位ギリシャ、、1.27
160位イタリア、、1.23
165位スペイン、、1.15
170位ラトビア、、1.10
170位ブルガリア、1.10

表2。人口増加率(統計はUNFPA,Sare of World Population.2003による) 期間は2000−2002で130ヵ国の統計である。
、、1位ソマリア、、、4.2
、96位ノルウェー、、0.4
100位スペイン、、、0.2
104位日本、、、、、0.1
104位ドイツ、、、、0.1
104位ギリシャ、、、0.1
113位イタリア、、−0.1
130位エストニア、−1.1

表3。65歳以上の比率(統計はUNDC,Human Development Reportによる)2001年、168ヵ国の統計である。
、、1位イタリア、18.4
、、2位ギリシャ、17.8
、、3位日本、、、17.7
、、6位スペイン、16.9
、、7位ドイツ、、16.7
、17位ノルウェー15.3
168位UAE、、、1.2

少子化政策は国策
結論として、日本がノルウェーのように、「女性の社会進出に伴う福祉」「国からの支援が得られる教育制度」「子どもの自立」が強くなれば子育ての負担は確実に減少していくように思われる。
北欧の国々は大変なエネルギーを国策として注入して、至れり尽くせりの福祉政策をとっているが、国際競争力を失うことなく世界の上位に位置している。それで、社会は十分に機能している。
日本の少子化政策への何らかの参考になるかもしれない。
まだまだ少子化問題を鷹揚に考えている人が多いが、これからの日本はますます高齢化社会になっていくのは避けられないことである。
それを支える人がいなくなれば、社会が成立しなくなる。
少子化問題に危機感を持って取り組まなければならないときがきたのかもしれない。

第6回ノルウェーは平等社会。9月号

今まで、老人福祉、身障者の福祉を含むさまざまなノルウェーの福祉の在り方を、多くの日本の視察団とともに見てきた。
施設、学校、協会、研究所などを訪れて、「ノルウェーの福祉だけに限らず、つくづく平等が社会の根底にある」ということを再認識した。
以下そのことについて書いてみたい。

双子の学校
日本から聴覚障害者の視察団が2度、2004年3月と2005年3月に来た。
2004年はオスロ大学とノルウェーろう者(聾者)協会、2005年は聴覚障害者のオスロ市立小中学校を訪れた。
今年の視察団は27人のうち21人がろう者で、ほとんどが若い人中心のメンバー構成で大学生が多かった。
今回、私たちが訪れた学校はオスロ市内から車で20分ほど行ったところにある郊外の小中学校である。
1年生から10年生の学校で日本でいう小中学校にあたる(参考までに、ノルウェーでは小学校と中学校が併合されている学校が多い。
また、ノルウェーでは「改革97」と呼ばれている教育改革があった。
1997年から義務教育は小学校が6年から7年間にかわったので、中学校の3年間を含めると義務教育は10年間になった)。

学校は大変にユニークでキャッチフレーズはノルウェー語を直訳すると「双子の学校」という。
つまり2っの学校、聴覚障害者と普通の学校が同じ校舎の体育館、プール、コンピュータールーム、工作室などの施設を共有、使用している。
教師もまたすべての分野において協力しあっているが、お互いの学校は完全に独立、対等で、管理、予算などは別々である。
聴覚者障害の学校の生徒数は6歳から16歳まで71人。
そのうちオスロ市以外からの生徒は11人、外国人は32人である」。
先生は29人、アシスタントが4人いる。

私たちが授業を参観したのは、1クラス10人ほどの非常にこじんまりとした教室であった。
コミュニケーションは主に手話になるが、以前見てきた普通の学校と授業風景はあまり変わらなかった。
廊下をはさんだ向かい側は普通校の教室である。
同じ校舎を使う理由は土地、校舎、予算不足だからでない。

聴覚障害者の生徒と普通校の生徒がお互いに自然体の接触、付き合いができるようにするためだ。
聴覚障害者の生徒は自分たちが身障者として社会から隔離された状態ではなく、普通校と同じ生徒としての自覚が得られるようになる。

いじめの問題はノルウェーにも存在するが、普通校の生徒は毎日の学校生活から聴覚障害者への偏見といじめがなくなり、自分たちと同じ生徒として簡単な手話が使えるほど理解と認識が自然につくようになる。

視察の間、アテンドしてくれた女性の校長先生にいろいろな質問があった。そのつど、校長先生が強調して言われたのが「最も大切なことは、聴覚障害者が孤立せず聴者(健常者)と自然体で対等に接することにより、お互いを認め合うことです」と言われた。

垣根のない社会
その他、いくつか例をあげたい。本誌4月号、ノルウェーの老人ホームの項ですでに述べたが、ある老人ホームのカフェテリアは入居者はもちろん地域住民、近くの学校の生徒が自由に利用できる。
つまり地域住民との共有の場にして、社会の一員としての自覚を持ってもらおうという考えだ。

幼稚園、学校教育でも同じで、以前、私の娘が通っていた幼稚園に重症の脳性マヒの子どもがいた。
重症でも施設ではなく、できるだけ普通の幼稚園に入れ普通の子どもにたちに接触させていた。
そのためには、その子をケアする人を増やさなければならなず、また経費もかかるがそのことに対する苦情は聞いたことがない。

普通の子どもたちは幼稚園で毎日、脳性マヒの子どもと接しているので身障者にたいする偏見はなかった。身障者の親も世間にたいする変な負い目もなく毎日笑顔で子どもの送迎をしていた。

私がよく行く、近くのスーパーマーケットに知的身障者の若い男の子が働いている。
スーパーマーケットでは簡単な雑用しか任されていないが、嬉々として働いているのが、はた目からも見てよくわかる。
同情の福祉政策ではなく、身障者を強制的に社会に引きずり出すわけでもなく、ごく自然な形で社会に融合させている姿を見るのは心地よい。
一般市民もそれにたいして当然なこととして受け入れている。

人々の理解と支持
病院は初診料は支払うが基本的には無料である。
お金がないので病院に行けないということはない。
学校教育は親の経済状態に関係なく本人がやる気さえあれば、国が学生の学費、生活費を貸してくれるので高校以上の教育も誰もが平等に受けられる。
他にもさまざまな形で、平等の政策がみられる。
国籍に関係なく、正式に滞在許可書を持っている外国人もノルウェー人と同じような恩恵を受けることができる。
高福祉には高負担がつきものである。
つまり財源として税金が高くなるわけだが平等の社会には当然、人々の理解と支持が必要である。


おわり