Main PH:www.geocities.jp/kitakitalab/
「テロ、2011年7月22日」のアクセスは上記のHPからできます。


テロ、2011年7月22日


献花(7月31日、日曜日撮影)

大聖堂前の教会通りはオスロ市の目抜き通りカール・ヨハン通りに続く道路です。
教会通り、隣接する大市場は、花畑と間違えるほどの花、花、花で埋め尽くされていました。
一般市民が置いていったものです。
オスロ市内の花屋から全ての花を持ってきてもこれほど多くの花はないでしょう。
この写真では判別がつきませんが、メッセージが書かれたカード、子どもが持ってきたのでしょうか、ぬいぐるみが花とともに沢山置かれていました。
私が写真を撮っている間にも多くの市民が涙を流して花を置いていきました。
これほどの献花とノルウェー人のリアクションは記憶にありません。
言葉では言えないほどの凄いショックがノルウェー全体を包みこんでいます。
2011年7月22日、第二次戦大戦後最悪のテロが、オスロの官庁街で15:30 頃とオスロから30 分行ったところにある、湖に浮かぶ小島で17:00頃に起きました。(島の名前は日本でウトオイヤと訳されていますが、オイヤは島という意味です。正確にはウト島になります。ここでは混乱を防ぐために小島と表記します。)
官庁街の爆破で8人、小島で69人が殺されました。
重軽症者は150 人を越えます。
当初発表された、犠牲者の数が不確かだったのですが、死者の損傷が激しく身元確認が遅れたためです。
この日の私はニュースを聞いて、爆破といっても、小規模でせいぜい車一台が破壊された程度だろうと思っていました。
犯人、、、真っ先に思い浮かんだのが、ナトー軍に加盟している国を標的にしたイスラム過激派のアルカイダと思いました。
官庁街で爆破が起きてから3 時間後、知り合い経由でNHKパリ支局から電話があり、21:00にベルギーからNHK の記者とフランス人のカメラマン、そしてさらにロンドンからやはりNHKの記者とイギリス人のカメラマンがオスロに飛ぶので、現地で対応をしてほしいという依頼を受けました。
私はNHK局員ではなく、仕事を引き受ける義務も義理もないのですが、電話で必死になって頼まれると、どうしても嫌とは言えません。
私が躊躇した理由は爆破犯人が特定できない状態でオスロ市内に入って、新たな爆破事件に巻き込まれる可能性があること、強行して公共の交通機関が運行していない市内に入っても、今度は帰宅する足が奪われ帰宅できなくな恐れがあったからです。
取りあえず21:00に間に合うように空港に向かいました。
車で近くの駅まで行きました。
途中、日本大使館から安否を確認する電話があり、街には行かないようにという電話がありました。
普通、このような事で大使館から電話をもらったことがないだけに、事の重大さが感じられました。
駅からは電車に乗るはずが、構内放送で、「技術的な問題があって空港まで電車は行けない」という構内放送がありました。
よくノルウェー国鉄は電車で何か問題が起きるといつも同じような言いわけばかりを繰り返すので、信用していませんでした。
構内を歩いていた車掌に聞くと、空港に爆弾を仕掛けたという電話があり電車は空港に行かないというのが真相でした。
しかし、「それでは止めます」というわけにはいきません。
電車で空港近くの駅まで行き、国鉄が用意してくれた10人ちかくが乗れる大型タクシーで途中検問をうけながら空港に着きました。
この先どうなるのかわからないので、とにかくNHKのスタッフに事情を説明して、そこから帰宅するつもりでしたが、しかしオスロに初めて来る人を置いて帰る事ができず、タクシーでNHKパリの2 人と一緒に市内まで行きました。
この時点で、彼らは島での乱射事件のことについて、何も知らなかったようです。
ロンドンからのスタッフは23:00 頃に来るらしく、彼らとは会いませんでした。
中継する建物は街中にあり、いたるところが閉鎖されていました。
そこには小柄な女性が機関銃を持って警備していました。
若くて金髪の可愛い女性だったので、私がイメージする機関銃を持つ警備とは随分違いました。
この子は何かがあれば本当に人を撃つのだろうかと一瞬思いました。
私は記者証がなかったので、テープでブロックされた場所に入れませんでした。
仕方がないので警備の女性に、誰かNHKのスタッフを目的地まで連れて行ってくれる人を頼みました。
私はこれ以上街にいても何もできないので、やっと動き出した電車で帰宅しました。

私の末っ子の娘は、女友達と一緒にオスロ市内に住んでいます。
官庁街から歩いて20分の所にあるフラットで爆発音を聞き、近くのビルが崩れ落ちた音と思い、2人は大急ぎで外に出て、港の方まで歩いて行ったそうです。
しかし、いざ帰宅という時に、フラットに続く道路が閉鎖されて、家なし子になったそうですが、数時間後に無事帰宅できたそうです。
お隣さんは爆破があった官庁街で勤めていますが、夏休み期間中のために、人的被害にはあわなかったのですが、オフイスは壊されていて、もしも爆破時にそのオフイスにいれば、けがをしていたと思います。

私は、最近官庁街に行くことはありませんが、数年前までは 日本からの視察団とともに何度も足を運んだものです。
以前に次女は乱射事件のあった島でテントを張り、何日か過ごしました。
少しでも時がずれていれば、私たちも事件に巻き込まれていたかもしれません。
一体全体何が人の命を決めるのでしょうか。
特に小島で殺された少年、少女の事を考える度、不思議な思いにとらわれます。

事件が起きた7月22日から4〜5日は、ノルウェーのTV局は24時間体制で事件に関するニュースを流し続けていました。
今日は8月8日ですが、全国版の一面は事件について書かれています。
そして、今晩はテレビで事件の特集があります。
事件を境にして、ノルウェーの空気が変わってしまいました。

犯人はどこにでもいるような32歳のノルウェー人です。
動機はイスラム教からヨーロッパを守る、つまりノルウェーは伝統的に労働党が強く、移民を受け入れを促進する政策を取っていました。
その政党にダメージを与えたかったようです。
小島での乱射事件の犠牲者は労働党に参加する少年、少女がターゲットでした。
当時、小島には700人近い人がいました。
そのうち10%近くの人が撃ち殺されたり、湖に飛び込みで溺れ死にました。
その島には女性の前首相グロー・ハーレム・ブルントラン(任期は2度、1981年2月4日〜10月14日、1986年5月9日〜1989年10月16日)が来きました。
犯人は前首相の銃殺を計画していましたが、官庁街の爆破後、小島に向かう時渋滞に巻き込まれ、予定より遅く小島に着き、前首相は難を逃れました。

東北大震災の時は、スイス、ノルウェーの知り合いから、「誰か知り合い、親戚で被害にあった人はいませんか」というメールがきました。
ノルウェーのテロでは、日本から逆に同じ内容のメールがきました。
心配してくれていたようです。

今後もこのような事件が世界、ヨーロッパのどこかで起きるでしょうか。
キリスト教もイスラム教も他の宗教を認めていません。
キリスト教を信じる現地人とイスラム国からの移民を見ていると、表面上は平和に振舞っていても、本質は決して融合することはないと思います。
今までの人間の歴史を見ると分かりますが、宗教の下に多くの戦争がありました。
残念ながら、これからも神の名を使ったテロ事件は起きると思います。