武蔵野の空襲と戦争遺跡を記録する会

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イベントなどの情報

  ◎2019年3月31日(日)9時45分より 「中島武蔵工場と空襲の跡を歩く戦争遺跡フィールドワーク」
  集合:武蔵野市役所北・駐輪場 
  費用:500円(資料・保険)
  中島飛行機武蔵製作所と空襲の跡(中央公園の新しい説明板、グリーンパーク遊歩道、延命寺、源正寺など)を歩きます。お花見がてら、お出かけ下さい。

  ●2019年1月27日(日)13時30分より 総会と記念講演 かたらいの道(三鷹駅北口2つ目の高層ビル1階)
   記念講演「4月4日 立川空襲の記録」    講師 楢崎茂彌 氏

  ●会報65号を1月5日に発行しました。目次は、 
会報 にあります。
  ●8月12日(日)武蔵野プレイス4階市民フォーラム14:00〜16:00(開場13:30)で
   報告会:武蔵野の空襲と戦争遺跡から何を学ぶか?
   報告者:牛田守彦、高柳昌久

  ●「中央公園の新公園開園をお祝いする会」を6月24日に開催しました。写真を
各種写真に掲載。
  ●会報64号を6月19日に発行しました。目次は、 
会報 にあります。
  ●毎日新聞に国際キリスト教大学本館の建て替えの記事が掲載されました。
    
 毎日 2016/12/07

 ●2016年9月3日、都営アパート跡地の公園化整備で、地下道全体発掘)
 
地下道入口 地下道入口上部 階段を下りて地下道に 

 ●2016年8月17日、都営アパート跡地の公園化整備で、地下道全体発掘(写真は「ふるさと歴史館」撮影より抜粋)
 地下道 地下道 地下道 地下道

 ●朝日新聞に地下道跡の発掘の記事が掲載されました。
     朝日 2016/8/3

 ●2016年7月26日、都営アパート跡地の公園化整備で、まぼろしの地下道の床発掘
 
地下道床 地下道床 地下道床 

  ●2016年6月26日、「中島飛行機と武蔵野の空襲」フィールドワークが以下の内容で行われました。

   参加者は約20人。天気はカンカン照りではなかったが、少々暑かった。
   日曜のため、中央公園は子供たちが多く、いつもの説明版前のベンチは一杯。
   東側の木陰のベンチで、動員学徒や空襲体験者の話を聞きました。
   源生寺での解散は予定より遅く、1時となりましたが、充実したフィールドワークでした。

   日時:2016年6月26日 9時45分集合 10時出発 12時解散予定

   集合:武蔵野市役所駐輪場 
      (中央線三鷹北口より北裏行き関東バス、武蔵野市役所下車)

   コース:市役所→市営グラウンド→NTT開発センタ→変電室跡(シラカシ切株)→中央公園→
       引き込み線跡遊歩道→五日市街道関前空襲跡→延命寺→源正寺


  ●変電室が解体されました。舛添知事は「『変電室がありました』というパネルを残したい」と述べました(テレビ東京・31日アンサー)。
 変電室解体 変電室解体 変電室解体 

  ●変電室の撤去がはじまりました。天井がとられると不発弾が落下したと思われる穴も見えました
 変電室解体始まる 不発弾の穴か?

  ●中島の病院があった八幡町4で中島の地下道に続く階段が7月27日発掘されました。2段並び間がスロープのようです。
 八幡町階段 八幡町階段

  ●変電室の撤去準備が進んでいます。21日には仮囲いだそうです。今まで開かれなかった都管理の部分が開放されました。(写真は牛田撮影)
 変電室都管理部分 変電室都管理部分

  ●関前の高射砲陣地の高射砲の台座が発掘されました。関前南小の南側通りを学校から東に100mぐらい行った北側。
 高射砲台座 高射砲台座 高射砲台座 

 ★東伏見稲荷神社の中島飛行機慰霊碑の撤去移設状況。
   慰霊碑撤去 慰霊碑撤去 慰霊碑撤去 ほぼ撤去された慰霊碑3/23 神社裏に移設中3/23 

 ★武蔵野市の『季節刊むさしの』冬号に、武蔵野ヒストリー中島飛行機が掲載されましたので転載します。
   武蔵野ヒストリー中島飛行機  

 ★東京新聞11月15日朝刊に、「伝言 あの日から70年」として「記録する会」メンバーの体験談などが掲載されました。
  記事が多いので、分割して転載します。
   伝言 あの日から70年       

     *************************************

 ◎武蔵野市平和事業実行委員会の戦争遺跡説明板が2カ所に設置されました。
  正門跡の説明板は、高齢者総合センター(京王ストア―斜め前)の西側道路に、
  青年学校は武蔵野4中(市営プールの東)に設置されています。
  中島飛行機武蔵製作所 工場正門跡説明板写真1    (2014/4/3 撮影)
  中島飛行機武蔵製作所 第一青年学校説明板写真1   (2014/4/3 撮影)

 ◎3月30日のフィールドワークと変電室見学・学習会は、朝日、読売、東京の各紙が取り上げたため、
  5分咲きの桜の中、雨と強風の中にもかかわらず50人を超える参加者が集まりました。
  JCN武蔵野三鷹ケーブルテレビと昭和女子大学高等学校の先生のビデオ取材も。
  風雨が強く、市営グラウンド、NTT通研、中央公園のみの説明で、都営アパート自治会の集会室に。
  「中島と武蔵野の空襲」のスライド、変電室の画像で学習会。その後「旧変電室」を見て、4時ごろ終了。
  雨も上がり、有志は、延命寺住職と一緒に延命寺へ。
  JCN武蔵野三鷹の地域ニュース4月2日(火)で放映。日曜11時からの一週間分まとめ放映あり。

 ◎高尾山の前山(さきやま)、 金比羅山の山頂問題は、八王子市が金比羅山の山林を
  5億円で買収する方向で、解決しました。高尾の山林保全、市が購入(読売 2月27日)
  ご協力ありがとうございました。

 ◎武蔵野中央公園の拡張に伴う公園審議会が2月24日開かれました。
  以下、変電室関連の情報です。
  1)パブリックコメントは52通、75件、そのうち「変電室」関係が26件、中島の説明版、記念碑など4件。
    地元の市は資料館としての活用の計画はもっていない。
    はらっぱを活用し、建物は残さないで、散策できるようにして明るい公園にする。
  3)変電室は、昭和13年建築で補修して団地倉庫として使用してきた。
    コンクリートに亀裂があり老朽化している。文化財の指定もない。
    保全するのは技術的にも無理。
    武蔵野市としては歴史資料館の構想もあり、当該建物は保存不要と
    判断している。
  4)説明版や、記念碑の設置について、
    グリーンパーク全体が戦争中どうであったかを説明する説明板については
    検討する。中央公園を含むグリーンパーク全体の建物の位置を考慮して、
    市と協議検討する。
  5)中島飛行機の地下施設発掘調査については、既に行っており
    拡張区域で改めては行わない。
  6)2000余の署名については、触れられなかった。
  7)今後説明会を行う。
  8)審議会は極めて低調。予想されたとはいえ残念な結果でした。
    更なる都や市への働きかけを行う予定です。

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 ●会報65号を1月5日に発行しました。目次を掲載します。 ●創刊号からの総目次もあります。
 最近会報目次(37〜65)  総目次(創刊号-41号)


各種写真  トップへ

 ●中央公園の東側、変電室跡につくられた公園の写真です。
 地下道の底板と説明文 5枚の大型説明版(3枚分) 

 ●変電室の撤去準備が進んでいます。21日には仮囲いだそうです。今まで開かれなかった都管理の部分が開放されました。
 変電室都管理部分  

 ●関前の高射砲陣地の高射砲の台座が発掘されました。関前南小の南側通りを学校から東に100mぐらい行った北側。
 高射砲台座 高射砲台座 高射砲台座

  5月元気なシラカシ  シラカシの木伐採される

 ●中島飛行機武蔵製作所の空襲を生き抜いたシラカシの木が枯れ、12月26日伐採されました。2012年のシラカシを追います。
 5月には元気で、「武蔵の空襲の生き残り」として東京新聞夕刊(本ページの新聞・雑誌記事案内参照)に取り上げられました。
 ところが9月には枯死状態になり、11月29日に、延命寺住職、中里さん(本会会員)にお願いしてお別れ会を開催。
 12月26日、伐採されました。根本は残しモニュメントとして保存。シラカシ2世の苗木を向かいの空き地に3本移植しました。
 
5月元気なシラカシ 9月枯死状態  お別れ会1  枝おろし
幹の伐採 根元は残しモニュメントに1   2世3本植樹

撤去されたエンジン試運転工場外観写真1  内部(2013/12/撮影)
玉川上水橋台説明版1  運動場跡説明版 (2013/4/撮影)
関前高射砲陣地説明版1  (2012/7/撮影武蔵野市)
都営アパートのモニュメント1  (2011/12/撮影)
八幡町で階段発掘1   (2011/7/撮影)
引込み線跡説明板1   (2011/6/奥野撮影)
玉川上水の橋1   (2011/3/30、25撮影)
中央公園の遺構1     (2011/2/23撮影)

新聞・雑誌記事案内
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軍需工場の地下道跡 残ってた 朝日 2016/8/3  武蔵野ヒストリー中島飛行機  武蔵野市「季刊むさしの」冬号 No.109

  伝言 あの日から70年        東京 2014/11/15 
  面影残す変電室解体の危機 動員学徒空襲の犠牲 毎日 2014/8/29 
  ‐辰気譴訐鐐茲寮 ∪鐇廚梁臠省置・開発 東京(朝刊)2014/8/13
  絵本「麦畑にになれなかった屋根たち」@武蔵野中央公園 朝日(夕刊)2014/8/8 
  守れ無言の証人 消えゆく戦争遺跡 日経(朝刊)2014/7/30   零戦の旧跡 解体決定 朝日(朝刊)2014/3/27 
  軍需工場への引き込み線 朝日(夕刊)2014/2/20  高尾の山林保全、市が購入(読売 2月27日) 
  「空襲で散った友よ 墓前の再開」 朝日(朝刊)2013/9/19  零戦と紙飛行機 毎日(夕刊)2014/2/13

  「旧変電室保存へ市民運動」 赤旗 2013/8/21  「旧変電室撮影記憶つなぐ」 朝日(朝刊)2013/8/17
  「戦争語る旧変電室保存を」 東京(夕刊)2013/7/24  「中島飛行機施設解体へ」 毎日(朝刊)2013/7/6
  「空襲耐えた建物解体へ」 読売(朝刊)2013/7/6   「中島飛行機旧変電室解体へ」 朝日(朝刊)2013/7/4

  さよなら戦災の木 読売(朝刊)2012/12/2  ただ平和であってほしい 朝日(朝刊)2012/11/25

  武蔵野空襲の生き証人 東京(夕刊)2012/5/15  白糸台掩体壕 赤旗2012/5/12  牛田さんの本「戦時下の武蔵野」 読売2012/1/25
  追憶のグリーンパーク野球場1頁   2頁 別冊ベースボールマガジン2011/秋号


 地下道の一部現存か 市民ら来月4日見学会 朝日2011/5/27

 関前高射砲隊員、高橋さんに聞く 朝日2010/10/11  中島飛行機付属病院、CGで復元 朝日2010/11/19

 東京で空襲があった(上) 朝日2010/8/3 東京で空襲があった(中) 朝日2010/8/4

 東京で空襲があった(下) 朝日2010/8/5 
戦時下の武蔵野女子学院 朝日2010/8/22

 川村インタビュー 毎日2009/12/09 中島飛行機武蔵製作所と武蔵野の空襲 多摩ら・び2009/12

 戦争語り継ぐ 読売2009/11/25  武蔵野空襲を伝えたい 読売2009/11/21   武蔵野空襲を語る 朝日2009/11/21

 空襲跡に野球の夢(1) 読売2009/9/28  空襲跡に野球の夢(2) 読売2009/9/28    

 高射砲隊戦友の遺品 読売2009/8/15

その他資料  トップへ

  第17回戦争遺跡保存全国シンポジウム岡山県倉敷大会   「旧中島飛行機武蔵製作所変電室建物の保存を要望する決議」

 2011総会資料(活動報告、会計報告、活動方針)


高尾の山林保全、市が購入  トップへ

 八王子市は、JR高尾駅からほど近い、同市高尾町と初沢町にまたがる山林約6ヘクタールを約5億円で買収する方針を固めた。所有者が宅地開発する意向を示したのに対し、地元住民などから保全を求める要望が寄せられていたのを受けたもので、市は市議会3月定例会に関連議案を提出する。
 市環境保全課によると、購入するのは「金比羅山」と呼ばれる山林で、現在は市の「斜面緑地保全区域」に指定されている。同駅から西へ500メートルほどで、住宅街に隣接する緑地として親しまれてきた。市内に約40か所ある同区域のうち最大で、象徴的な場所だ。
 ところが、金比羅山を市内の学校法人から購入した大阪市の建設会社が昨年4月、宅地開発を理由に、保全区域指定の解除に向けた協議を八王子市に申し出た。学識経験者などで作る「市斜面緑地保全委員会」が、公有化を含めて緑地として保全することを求めたこともあり、市は同9月から取得のための交渉を行ってきた。
 この間、市には近隣の町会などから身近な緑の保全を求める声が寄せられる一方、地下に第2次世界大戦中に造られた全国最大級の「浅川地下壕(ごう)」があることなどから、市教育委員会に対しても歴史研究者などが保全を要望していた。
 市は、議案が可決されれば今年度中に契約にこぎ着けたいとしている。取得後は山林のまま保全する予定という。(2014年2月27日 読売新聞)

憂楽帳: 零戦と紙ヒコーキ  トップへ

 「風立ちぬ」「永遠の0(ゼロ)」と零戦(零式艦上戦闘機)を題材にした映画が大ヒットしているが、零戦のエンジンを製造していたのが東京都武蔵野市にあった旧中島飛行機武蔵製作所だ。マリアナ諸島から飛び立つ米軍爆撃機B29の本土で最初の目標とされ、終戦まで9回に及ぶ空襲を受け工場内だけで200人以上が亡くなった。

 戦後、跡地の西側は米軍住宅となり、現在は都立武蔵野中央公園に、東側は都営住宅などが建てられた。工場創設当時から唯一現存するのが変電室だった鉄筋コンクリート造り2階建ての建物だ。最近まで都営住宅の管理事務所棟として使われていたが、住宅の建て替えと公園の拡張計画に伴い、取り壊しの危機にひんしている。

 「武蔵野の空襲と戦争遺跡を記録する会」は2000人余の署名を集め、保存を求める要望書を都に提出。都公園審議会が扱いを検討中だ。この公園は今、紙ヒコーキ飛ばしの名所となっている。戦争と平和を考えるには格好の地と思う。戦時の記憶をとどめる建物を残せないものか。【大槻英二】

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