神学論文

題  名 概   要 掲載論文集名
「メシアの秘密」再考
−日本の宣教の現場から−
イエスはこの世にある間、「自分がメシアであると名乗ったことがなかった」。このことを巡り、20世紀初頭より、イエスのメシア意識が問題とされてきました。そして、イエスはメシアではなかったのだが、後の弟子たちによってメシアに祭り上げられたという見解が今日も有力となっています。これに対して、本当のメシアは、自分がメシアであるとは決して言わない。「自分をメシアだ」というのは偽メシアであるということを論じました。正しい人は、自分で正しいと言わなければ、正しい人ではないのでしょうか。 『聖書と神学』第18号,81-103頁,日本聖書神学校キリスト教研究会 20065月発行
「罪のゆるし」の寓喩としての「タラントン」の譬え(マタイ251430節) タラントンの譬えは、よく引き合いにだされながらもその真意は、よく分からないと言われています。「タラントン」=「能力、才能」ではなく、「タラントン」を「赦し」として理解すると譬えの不明瞭な部分が明確になります。論文の最後の2頁ぐらいが、私の解釈です。
Sermon
The Parable of Talenton Spoken for a Parable of Forgiveness of Sins The Gospel according to Mathew Chapter 25: Verses 14-30

『聖書と神学』第22号,23-45頁,日本聖書神学校キリスト教研究所 20106月発行
ゲルト・リューデマンの復活論争に関する一考察  東日本大震災と福島第一原発事故の影響下で1994年に留学先のゲッチンゲン大学を中心として起こったリューデマン教授の復活をめぐる論争を見直しました。 『聖書と神学』第23号,73-106頁,日本聖書神学校キリスト教研究所 20117月発行
 愛なる神についての護教論−被災地の縁辺部より−  特集「神義論」―3.11を越えて
「神が愛であるならば、なぜこんな悲惨なことが起こるのか?」と問われました。神が愛であるとは、愛が私たちにとって最も重要なものであり、津波が押し寄せようが、原発が爆発しようが私たちは愛である神を愛し、だからこそ隣人を愛するのです。
『聖書と神学』第24号,85-115頁,日本聖書神学校キリスト教研究所 20127月発行
愛なる神の愛の中で−愛の観点からのイエスの行動理解  特集「死生観」―3.11を越えて
「愛なる神についての護教論」から、神が愛であるならば、愛とはどのような具体的な出来事となりうるのかをイエス様の言動をもとに論じました。
『聖書と神学』第25号,20-41頁,日本聖書神学校キリスト教研究所 20137月発行
 在日インドネシア人教会大洗ベツレヘム教会の高台移転計画について−ポストコロニアルな神学的取り組みとして  特集「ポストコロニアル神学と3.11以降の神学
東日本大震災で津波の被害を受けた唯一の外国人教会であり、高台移転を願っています。計画は、まだ実現していません。お祈りください。
『聖書と神学』第26号,57-76頁,日本聖書神学校キリスト教研究所 20147月発行 
 日本における人身御供伝説から見た「イサクの奉献」(試論)  特集「キリスト教と偏見」
日本社会に人身御供伝説と「イサクの奉献」を比較しました。決定的な違いは、一度「人身御供を捧げよ」と言った神自身が、「捧げなくてもよい」と自ら人身御供を撤回する人身御供伝説は存在しないことです。
『聖書と神学』第27号,73-97頁,日本聖書神学校キリスト教研究所 20157月発行