戸山公園からきた路を戻ると少し小高い場所に穴八幡神社があります。

「一陽来復」のお札が有名なので、最近災難つずきでこまっていたため、あやかりたくお札をかいました。

これを境に一陽来復になるといいのですが....

穴八幡を離れ、馬場下通りを早稲田大学へと向かいます。

   

左は創設者を記念したかの大隈講堂です、右は演劇博物館。

演劇博物館は日本で唯一の演劇の博物館だそうですが、演劇に興味がある人は必ず知っているとの事(友人の演劇くずれの話?)

当日は古川ロッパ、劇団黒テントの特別展示をやっていました、古川ロッパはどこかで聞き覚えがあります、多分母親につれられ見にいった

エノケンさんとかと共演していた映画だとおもいます、ふるきよき時代そんな雰囲気の展示でした。

黒テントはアングラの劇団かな(?)、設立から長い歴史があるようでした。まだ公演中とか...すごいです。

  

早稲田大学をぬけ、ほどなく水稲荷神社、甘泉園公園と向かい合わせになっています、水稲荷神社にあった堀部安部の記念碑です、

このへん一帯は昔、馬場だそうで高田馬場周辺という事であだ討ち記念碑でした。

甘泉園は徳川御三家につぐ親族の徳川御三卿の一つ清水家の下屋敷跡との事でした、おおきくはない公園内でみつけた看板。

このへんが山吹の里とか。

いろいろ、歴史のあとが残されているものです。

もうひとつ、水稲荷から歌できいたような記憶がある面影橋交差点から、都電をわたり先へいくと金乗院があります。

、そこには丸橋中也の墓があります。

ちょうど、その週のNHKで柳生十兵衛のドラマがあり、丸橋中也と十兵衛の決闘シーンがあり、中也が海辺で死ぬ場面

がありました、なにかの縁かな....

その時代は徳川家光が48歳で死に、家綱が11歳で将軍となった時、家光の強権政治に反発した由井正雪、丸橋中也

等が幕府転覆計画がはっかくした慶安の乱でしたが、中也は残念ながら磔となりました。

徳川時代はその後、200年続くのですが、太平の時、動乱の時とダイナミックに変化した時代でしたね。

  

左は神田川、せまい川ですがすがすがしさがあります。途中の芭蕉園の入り口に突然あらわれた狸、都会にもいるのですね。

神田川は井の頭池を水源にした26キロの河川だそうですが江戸時代は重要な水運だったそうです。もっと川幅はおおきかったのでしょうか。

芭蕉園は芭蕉がこの辺で上水道工事に貢献したとかでその縁でできたとか。

目白通りから夜寒坂を通り左手中にあったのが、窪田空穂旧宅。夜寒坂をはさんで向かい側には大町桂月の住居跡があります。

彼は、「君死にたまふこと勿れ」で有名な与謝野晶子を非難した国粋主義者といわれますが、石川啄木の作品には「詩趣もあれば詩才

もあり、20歳の青年にしてこの多数の詩編あるは感心なり」と評価したそうです。

  

不忍通りを出て護国寺駅へと向かいます。

時間があり護国寺墓地をのぞいてみる事にしましたが、左は山縣有朋夫妻、右は大隈重信の墓。塀が高くよく写真がとれなかったがしょうがないか。

墓地入り口にはあの空手バカ一代の大山倍達の墓もありました。

今回はこのくらいで。

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