1 坂上御幸は、肘までのロングTシャツの袖を、勢いよく捲り上げた。 「よぉーっしゃぁ!!正宗、お前そっち側!右半分な!  俺は左半分!このラインから一歩でも入ってきたらビンタな!!」 言いながら、サンダルを脱ぎ捨て、ジーパンの裾を折り畳む。 「……若ァ。なんだか、俺サイド……岩だらけなんですけど……」 「なに言ってんだ!気のせーだよ!お前、いっちゃん若いんだから、  誰より多く働けっつの!!」 ビシ!!人差し指を立て、彼は延暦寺、大浴場の濡れた石畳を 踏みしめる。105人の美坊主と、一人の若当主。そして、異色の アイヌの王子2人、ギャル男1名、計109人が暮らす寺社、 京都特殊結界内『延暦寺』。  なにやら特殊な事情があって、一人だけ内風呂を持っている最澄を 抜きにして、108人の男が日々使う大浴場は、どっかの山の源流から 温泉川をひいている。大好評かつ、ド広く、50人くらいは余裕で入浴 できるキャパシティ。延暦寺名物ともいえるこの大浴場を、毎朝掃除 するのが、新入り二人に課せられた仕事だった。 旅館の大露天風呂を、五倍にした広さ。もしくは、男子寮の風呂を 十倍豪華にした作り。きちんと、岩を組んで作られた頑丈なスペースに、 なみなみと注ぎ込まれる熱湯。それを、朝の二時間だけは、堰き止め 炊事班の朝食作りの熱源にする。 今頃、藤の廊下を通って、最澄たち炊事班が米を運んでいるに違いない。 朝四時の静けさ。その中で、ひときわうるさいジャリガキ。 160センチの征夷大将軍は、デッキブラシを片手に、そこらじゅうを 走り回っていた。竹林、桜の木、楓の葉、ありとあらゆる花。 四季の別を考慮せず、好きなように咲いている花に周囲を囲まれ、 まるで夢の中の小京都である。  植物が生え、硬い笹の茂る岩場をかきわけながら、 正宗が振り返る。そういえば、昨日、こちら側を担当した御幸は、 岩によじのぼろうとしてずり落ち、濡れた床にたたきつけられていたっけ。 「やっぱ、お前だとフツーに手ぇ届くんだろーが!!ちぇっ、  まだ背中いってーんだけど!」 ぶーぶーいいながら、洗面器を手にとり、一つかぶる。 「そーだ、俺、いいもの持ってんだ。昨日、空海がお前と一緒に  食べろつってくれた飴ちゃんが……」 ズボンの中をごそごそとあさっている御幸が、ついにポケットの中身を つまみ出した頃、ガシャーン。お決まりの、轟音が遠く響いてくる。 そして、だだだだっ。ものすごい勢いでこちらへ駆けてくる足音。 数秒後、入り口のガラス戸をスパァン!!と開いて、法衣姿のリルケが 飛び込んでくる。続いて、道元。 「もうやだぁ!!やだやだやだぁ!!兄者ァ!!  ここのご飯美味しくなーい!!全部味薄いーッ!!  僕、王子なのに!僕王子なのにぃッ!!皿洗いはさせるし、  女の一人もついてくれなぁい!!僕、独りでお箸とか持てないぃ!!」 「あのなぁ!!お前、そりゃお前はアイヌじゃ王子だろうよ!!  だけど!ここじゃあ、一番下っ端!俺らと身分は一緒なのっ!!  ……女をつけろだぁ!?ご飯食べさせてだぁ!?ふっざけんなァ!!」 正宗に、後ろから激突して全身で抱きつき、離れようとしないリルケ。 そのリルケの襟首をつかみ、背中に右足をのせて、ひきはがそうとしている 道元。道元の体中には、リルケにひっかかれたであろう傷跡や、ひっくりかえ されたんであろう味噌汁などが見るも無残にくっついている。 朝から汁まみれでダラダラの道元が、リルケの耳をひっぱった。 両手でつかんで、ギー。全力で、全体重をかけて。 「ぶっころすぞ、王・子・様!!」 「いたぁーい!!兄者、兄者だってイヤだよねぇ!!こんなのっ!!  僕は、僕はお醤油だくだくの熊鍋とかァ、濁るくらい味噌が入った  お味噌汁が飲みたいのぉ!!ねーえ兄者ァ!僕、やだよぉ!!  村に帰りたいぃいい!!村に帰って、またハーレム築き上げるぅうう!!」 「……リルケ」  ピク。冷淡な正宗の声に、リルケの耳が止まる。 「やだぁああああ!!お風呂掃除を嬉々としてやってる兄者なんか、  絶対やだぁああああ!!……あああああん!!」  首だけが離れ、宙に浮かぶ。ついでに、耳を持っていた道元の体が浮き、 そこらじゅうを飛び回る。が、そんなことは正宗にとっては小事も小事だ。 残った体を軽々とひきはがし、首の断面を見下ろして言う。 「食べなさい。そして、道元」 「えぇえええ!?俺スかぁ!?俺なんかしましたかぁ!?」 足をバタバタさせ、なんとかリルケの首を操縦しようとしている道元を 見上げ、彼は続ける。御幸は、「あーこれってアレだぁ、タケコプターだぁ」 とのんびりしたものだ。むしろ、自分が乗ってみたそうですらある。 「お前が汚したその場所は、御幸様の陣地だ。ちゃんとキレイにして戻れ」 ガーン。道元が、わかりやすく目を見開く。 「お前ら、兄弟だろぉおお!!弟の首がもげたことより、御幸の掃除かぁ!!」 「……なにを言っている。リルケは、義兄弟であって、実弟じゃないぞ。  それどころか、リルケはレプンクル家のご子息。うち、シュムンクルとは  国を争う拮抗関係だ。いずれ決着をつけねばならん」 「そーなの!?そーなの!?ってわぁぁぁ、カープしないでー!!」 「ああ。どちらかが傷つき、倒れ、絶えるまで闘い、その屍の上に  王家を築くのがしきたりだ。ところが、リルケの方が俺より三倍強くてな。  戦うまでもないんだよ。リルケ。下りてきなさい」 「ウソー、やだー、この野蛮種族ー!!蛮族ー!!」  しぶしぶ、首と胴体を合体させるリルケ。その額をコツン、と拳で 叩いて、正宗が眉をしかめた。 「食べなさい」 「……あ、兄者が一緒に食べてくれるなら食べますよ……僕!」  これが、延暦寺を滅ぼそうとしたブラッドエンジェル・遠藤か。 思いながら、道元は頭をかく。まったく、ガキめ。 全てが丸くおさまりそうになった時。 しかし、正宗は力強く首を横に振った。 「いーえ!私は、御幸様にご飯を食べさせなければなりませんから!」 「食べさせとんかい!!」 「やー、従者ってイイヨネー。コーラ買ってこいって言ったら買ってくるしー。  肩もめっつったら揉むしー、飯盛れっつったら盛るしー」 なははは、と明るく笑う御幸に、リルケが向き直った。 「……ほう、じゃあ、僕が揉んであげようじゃないか。  もう、二度と、肩がこることもなくなるだろうよ……坂上……!」 殺気。ギリギリと奥歯を噛みしめ、道元ごと近づいてくるリルケに、 じりじりと後ずさる御幸。 「ちょ、おま、正宗に見せる顔はフェイクか、エンジェル……!!」 「どうして僕がお前に、このエンジェルスマイルを見せてあげなきゃ  いけないの……?ほら、肩出してよ……頭蓋骨でもいいよ。  僕ね……よく、兄者がとってきた熊の頭蓋骨、潰すんだ……こうやって……」 じりじり。手を開いたり閉じたりしながら、リルケが近づいてくる。 「何を隠そう、初対面の道元の内臓をひきずりだしたのもこのボクさ……。  ああ、あれはあたたかくてイイ臓物だった……今も覚えてるよ……」 「わー!やめろって!やめろってー!!俺も覚えてるけどー!!  ちなみに、出された内臓を詰め戻したのは俺さー!道元さー!!  だけどそれくらい気にすんな!  俺たちそういうフランクな関係になりたいんだ!!」 内臓を出された本人の証言もある。 チラ、と御幸が正宗を見る。すると、正宗は、道元の汚した御幸の陣地を、 丁寧に泡立てているじゃないか。ちょっと、お前、ホース片手にしゃがんで る場合かよ、俺死ぬ、お前の主が死ぬんだぞォ……!!ああ、なにその、 きめこまかい泡。それがお前の忠義心なのかぁ……!! ピシャン。 次の来訪者が、大浴場にやってきた。 その客人の顔を見て、リルケが手を止める。 弘法大師、空海がこんなところで何を……? 空海は、ブーツのまま、ずかずかと踏み入って、 ずい。リルケに顔を近づける。 「最澄に迷惑かけないで」 「最澄!?ハァ?なんでアイツが関係あんの!?」 「最澄に迷惑かけないで」 にこー。不快感を露にするリルケに菩薩の笑みが炸裂する! 「最澄に迷惑かけないで」 「……う……」 「いい子だね。じゃあ行こう」 「やだぁああああああ!!」 道元ではびくともしないリルケの身体を、人差し指と親指で ちょいっとつまんでずるずる引きずり、つれていく。 「炊事班のチーフは、最澄ですからね。リルケが暴れると、  彼が困ることになるんでしょう」 ホースの口をつまみながら、しゃがみっぱなしで正宗が言う。 「はぁ、はぁ……!!九死に一生スペシャル!!」 「どうしたんですか、そんな、狩られる羊の顔をして。  まるで、大蛇に飲み込まれた蛙ですよ、それじゃあ」 「睨まれてもいないのか。もう飲まれてんのか俺ぁ……」 あっはっは。豪快に笑い、作業を再開する正宗。 その背中に、足の裏を乗せて、御幸はニヤリと笑った。 「お前の主は誰なのか言ってみろォオオ!!」 「へ?」 ぐにぐに。濡れた足で正宗を踏む御幸。 ちょっと調子に乗った御幸のわき腹に、重い砲撃が落ちてくる。 「うぶー!」 血を大量に吐き、ふっとんでいく御幸。 床には、リルケの頭が転がっていた。 「……なにをしてるんだ、リルケ」 「フンッ!!」  涙ぐみ、リルケの首はまた、空海の元へすっ飛んでいった。 2 心底不味そうな顔をして、正座したリルケがもぐもぐと何かを 頬張っている。自暴自棄な暴飲暴食。それを、ピシ。 隣にいた道元が批判する。 「リルケ。箸の持ち方がおかしい」 「……」 「音をたてないで」 「……」 「ほら、迷い箸!おかずばっかり食べちゃダメだろ!」 さすがに、修行の年月が違う。道元の立ち居振る舞いは美しく、 また規律に溢れたものだった。他の者は全て、朝の座禅をしている 時間だ。リルケと道元は二人、居残りで朝食を食べているのだ。 「うっるっさーーーい!!」 怒鳴る。が、道元は、慣れたものだ。 「好きなモノばかり与えられてきたんだな。どうだ?  キライなモノの味は。自分がどれだけ恵まれていたか、  わかったろう。全てに感謝するんだな」 「……生まれてからずーっとコレ?  お前、かわいそうだね!」 「さあ。俺らなんざ、生かしてもらえるだけでハッピーだからな。  女も知らずに死ぬヤツばかりだろ。出家とはちがうんだぜ。  ……生まれたときから、人生終了してるんだ。決定権もなく。  せめて、仏門に下るしかねーやな」 「……」 「俺にも、兄ちゃんなんじゃねーかってヤツがいた。  でもソイツは死んだ。親鸞様の、ほんのきまぐれでね。  最後まで聞けなかった。あんた、兄ちゃんですかって。  もしかして、俺の兄ちゃんですかって。  四天王になっても、そうして捨て駒。  だから、お前にはわかってほしい」 「なにを!?……なにこれ、にがーい……」 箸で、ワラビをつまんで、持ち上げる。 道元は、子供らしくない笑顔で笑った。 「王になるお前には」 ……リルケは、フン、と鼻を鳴らすと。 黙って、それを口にした。 「苦いんだけど、なにもかもが」 「お口に合いませんか(笑)」 「……」 リルケは、膝の上に箸を置くと、目を伏せる。 「……よ?」 「ん?あ、お前コレ食わないならもらうよ、銀杏」 「お前に、ボクの農園、一つあげてもいいよ……?」 リルケの八重歯と、ひきつった笑み。 道元は、口に箸をくわえたまま、くしゃくしゃ、とリルケの頭を かきまわした。いつもなら振り払われる手。 (くだらねー手、つかっちゃったな) 「ありがと」 にっ。今度は、上手に笑ってみせた。 が、リルケは顔をあげない。 「い、イヤならいいけど!ぼ、ボク、誰より稼ぐんだ!  熊だって、一日で三匹はとれるッ、鮭だって好きなだけ!  農園だっていっぱいもってる!や、山もあげてもいいよ!  住めばいいじゃないか。れ、レプンクル、半分、あげるからっ……!  お、お前なら?兄者だって文句は言わないよ!  お……お前、イイヤツだ。このボクが認めてあげるよ……!」 「それもいいなぁ。お前を村まで送ったら、俺、そこでオージサマの  秘書とかやってさ、お前の農園で、一生茶でも育てて暮らすかなー」 ふたりぼっちの食堂の、戸の向こう。 炊事場からは、絶え間ない笑い声が聞こえてくる。 また、最澄が冗談を言って、子供たちを笑わせているのだろう。 「……うそつき」 リルケは、静かにつぶやいた。 「うん、ごめん」 道元も、笑顔のまま答える。 そこから、二人はなにも言わなかった。 しばらくして、リルケが、道元を見上げるまで。 「……わかんないんだよ。箸の持ち方!!」 下々の者に、へりくだる羞恥。 怒鳴り声や、腕力。絶対王政では支配できないモノ。 弱き民と共に生きたこの短い時間は、 きっと彼を優れた王にしてくれるだろう。 「食い終わったら、説法さぼって、裏で蹴鞠やろーぜ。  なんだっけ?さっかー?俺、アレ好きなんだ」 「やだよ。アンタ、見当違いの方向にすっ飛ばすんだもん」 「でも、威力はでっけーだろ!?」 「テクニックのない男って、サイテー」 くつくつと、笑いながら。 ちびっこ二人は、茶碗を置いて立ち上がった。 3 きゃあきゃあと、裏の庭から歓声が聞こえてくる。 埃くさい書庫で巻物を並べ、隠し持っていたビーフジャーキーを 煙草がわりにくわえていた栄西は、蔵の中から出て、その光景を ながめることにした。暗い蔵の中で灯していた蝋燭の火は、 柔らかな風にかき消された。目が痛い。チリチリするような光の国だ。 「がーっははははは!!確かに俺のドリブルテクは三流だッ!  しかしお前らは、俺から一点も取ることはできないだろう!!」 「卑怯だぞー坂上ー!」「そうだー!ひきょうだぞー!!」 「いかに強いヤツの近くにいるか!それが俺の兵法だー!!」 坂上御幸と、遠藤リルケ。そして、入門して間もないちびっちゃい 子供たちが数人。それに対峙するは、道元と最澄、炊事班だ。 一番ちっちゃいのは、5歳の円仁か。白い敷石を並べてつくった グランドの線から出て、体中でボールをつかみ、グランドの中に 放り込んでいる。10歳に満たない子供が、各5名ずつ。 15歳くらいのが5人ずつ、か。こりゃあ結構な戦争だ。 すぐ熱くなる性分の坂上も、道元も、ちびっこに毬が渡れば、 彼らが次の行動に出るまでは動かない。 てやー、と思い切り空ブリするちびっこに、もー一回蹴っていいぞー、 なんていいながら。御幸は、ぴょんぴょん飛んでいた。 ……正宗が、キーパーなんだろうか。 ぼーっと立っているのがおかしい。 どうやら、彼にボールが届く前に、リルケが全てをカヴァーして しまうらしい。立っているだけでかなりのズルだ。 ゴールとして書かれている領域に、彼の届かない場所などないだろうに。 坂上は……無駄にフェイントをして、子供を泣かせている。 裾の長い法衣には向かない運動だ。 サッカー形態の蹴鞠。 「あなや!」「あなや!」と、謎の号令が聞こえてくる。 ファイト!みたいな意味か。畜生、みたいな意味か。 白土の上を駆け回り、真っ白になって苦戦している最澄チーム。 ……栄西は、ブーツのつまさきで、トン、トン。 蔵の床を蹴り、灯を土の上に置いた。 「栄西様ー!助けてくださーい!!」 円仁が、手を振っている。 その輪の中に駆け寄り、最澄と目を合わせる。 遠藤リルケさえ突破すればいいんだな。 栄西は、無表情に一度だけうなずく。 「後はまかせた」 「おう、今日は円仁の誕生日なんだ。派手なの頼むぜ」 「む!新手か!しかし、ボクは美形な上にスポーツ万能!!  簡単には抜かせないよ!!」 リルケのドリブルは、まるで足に吸い付くようだ。丁寧で、 ゆるやかなのに隙がない。が。ぽーん。 栄西の横をすり抜けた途端、ボールが宙に浮いている!! トン。後ろ足で、一回。膝に乗せ、二回。 三回目のトラップで、ボールはあっさり道元の元へ飛んで行く。 「うそぉ!!兄者、兄者おねがいーッ」 道元も心得たものだ。軽くワントラップ。 跳ね上がった毬は、軽く準備運動をしていた最澄の前に落ちていく。 「勝負だ!正宗!!」 正宗が構えた。 全員が、最澄を注視する。その時、もうすでに栄西は敵の死角、 御幸の真後ろのポイントに走りこんでいる! シュートを放つとみせかけ、ちょん。 最澄は、真正面をみすえたまま、真横に毬を転がす。 ズパーン!! 鮮やかすぎる放物線。 ナナメギリギリの角度で、栄西のシュートが決まった。 「……わー!!」 ちびっこたちの目が輝く。栄西の着物の裾をつかんで、きゃあきゃあ。 目を輝かせる彼らと、絶望して膝をつく御幸。 「フ。俺と栄西は、長く下界にいたもんでね。  サッカーの経験くらい、何度かあるのさ……」 「えいさいさまー、えいさいさますごーいー!」 円仁を抱き上げ。栄西はそのままくるくる回している。 「ちくしょおー!!正宗、キーパーなんて悠長なことは言わん!  お前と俺のツートップだ!!リルケ、アシスト頼むー!」 「オッケー!僕らを小馬鹿にした罪、あがなってもらうよー!!」 パァン!……リルケと正宗が手を打ち合わせる。 メンバー交代か!!両陣営は、バチバチと火花を散らした。 ひらひらと、桜がひとひら。 遠いグランドを見下ろしながら、本堂で親鸞はため息をついた。 「ま、いいよ。いいんだけどね……」 「親鸞様も、加わっていらしたら?」 隣に座り、彼に桜餅を手渡す空海。 「ハ、冗談じゃない」 気付いていた。 御幸が来てから、最澄の笑顔はどこか明るい。 ほら、今も。ブーツで走り、御幸をからかい、いたぶる姿は まるでただの、18歳の少年みたいだ。 「……どうぞ?」 空海は、小首をかしげる。 親鸞は、何も言わず空海の膝に頭をのせて、目を閉じる。 ああ、うるさい。 うるさくて眠れやしない……。 そっと、豪奢な布を親鸞の身体にかけて、空海は微笑んだ。 栄西なんてまだまだ。実は、僕、蹴鞠の帝王なんだよねぇー……。 ぜえぜえ。全員が脱水症状寸前まで追い詰められ、炎天下の蹴鞠大会は つつがなく終了した。地面に手をつき、空の方向に頭をあげていた 最澄が、栄西に「そういや頼んだ巻物は?」と問う。 「一応並べておきました。あとはお好きなように」 「了解」 「うわ、マメできてる!俺だけサンダルだし!ありえねー!」 足をのぞきこみ、悲鳴をあげる御幸。 「おぶってけ!正宗、おぶってけー!!」 「別にいいですけど……」 苦笑いしながら、正宗が答える。 「そういえば」 栄西が、円仁を膝にのせたままで正宗の方をむいた。 「お前たち、花火を見たことあるか?」 御幸は、正宗の背中によじのぼりながら言う。 「え!?むしろ、見るでしょ。ちょうど今の季節?  夏になると、大曲とか。松島でもやんぜ?」 「いや。朝廷から奉納された巻物にな。やり方が  書いてあったんだ。工夫すればできるかもしれないと思って」 「作り方はしらねーよ。なんか玉だろ。その中に火薬を詰めて……」 「……それではなくて」 他にどんなやり方があんだよ、と噛み付こうとした御幸の顔の前に、 正宗の手が伸びる。正宗は、にっこりと笑ってみせた。 「お話、聞かせていただけますか?」 「なにやってるの?みんなして」 食事をいつもより早く切り上げ、大浴場の更衣室で、 十人ほどが図面を前に話し合っている。一人は筆を持った栄西、 一人はあぐらをかき、おてもやんパンツ姿の御幸。 そして、光る筆致をながめている小坊主たち。 半裸の男子が12人。一つの巻物を見ている姿は、どことなく 暑苦しい。上着を脱いだ空海が、それをのぞきこむ。 「花火?」 なるほど。秘密の相談だから、親鸞様に知られないよう、 この場所で会議を開いているのか。 (そんなことしたってお見通しだと思うけど……) タートルネックを脱ごうと服に手をかけると、栄西がふいに顔をあげる。 「うわっ、な、なにッ」 「……親鸞様には、正宗をつけてあります」 「ああ、なるほど」 親鸞様の、最近お気に入りのオモチャは正宗だ。 王族同士、つもる話があるらしい。 あの気難しい当主様相手に、正宗はよく会話していると思う。 「そして俺は、ここの結界チーフです。見えるでしょう?  大浴場にだけ、二重の結界がはってあるのが」 (うーん、でも僕、気付かずに来ちゃったけどなぁ……。  親鸞様レベルなら、指一つ不要で突破するかもだよ……) 「でも、なんで花火なんか?それってかなり高等の術だよ。  数人がかりで、そんなキケンなコト。オススメしないけど」 「……8月は、あなたの誕生日だから」 言われて、赤面する。 「え?僕?……あ……忘れてたよ……」 あはは、と言いながら照れまかせに脱いでいく。 「空海って、やっぱり胸ないのな」 「は!?」 「いや、なんか。こう。当たり前なんだけど、うーん?  なんか、あったらあったで納得しそうなオレがいて?」 御幸にガン見されているのは気分が悪い。 「そ、そゆこと言われると、脱ぎにくいんだけどなぁ!!」 空海は、無意識に法衣で身体を隠す。 「い、一回も意識したことなかったのに!!どうしてくれるの!!  男だよ!?わかってるよね?坊主だよ僕!!」 「いや、キニシナイで?ここ風呂場だし。オレもパンツだし」 「じゃ、じゃあさ。巻物見てくれる?こっち見ないで?」 じりじり。後ずさる空海。 その目に、うっすら涙がうかんでいた……。 花火、と口ずさみ、最澄はやっぱりそれがどういう漢字を当てるものなのか わからないようだった。そりゃそうだよね、と一人ごちる。 夏祭りや、花火や、クリスマス。そういうものは、僕らは知らない。 最澄や栄西は、十代後半まで下界にいたはずなのだ。 なのに、そんなことも知らない生活を、してきた……。 「咲く花に、炎の火で花火だよ」 「花……ということは、花びらのかわりに炎が燃える草ですかね?  いーっすね。ソレ、キレイで」 「宇宙の全てを学んでいるようでいて。ぼくらはなにも知らないんだね」 全員が、修行僧。全員が、仏の稚児だ。 見たことがないのもうなずける。 「誕生日っていっても。僕らが延暦寺に来た日だろう?  みんな、一番イヤな思い出、持ってるはずなのに……」 「あ、じゃあ、空海様は8月に因縁があるんですね」 「……まあね」 今も思い出すことがある。 花火の音。鼓膜を振るわせる爆音。 舞い落ちる火の粉の下で、花火を見上げて。 ああ、僕は死ぬんだなって、思った。 いいこと一つもなかったなって。 目の前で、巨大な花火が花開いているのに。 そう思った。 なんにもなかったなって。 「んじゃ、オレも頑張りますか。空海様の『おたんじょーび』を  ぶっとばすよーな、でっかい花火とってきます」 ウインク。最澄が、本堂から飛び、地面に着陸する。 花じゃないって。言いながら、わかってた。 どんなにみんなでがんばっても、あの術は発動しないって。 眼下で、様々な巻物を集め、陣を書いている坊主たち。 僕も、試したことあるんだ。でも、できなかった。 残ったのは、真っ黒になった自分の指と、費やした膨大な時間だけ。 空海は、笑おうとしてやめた。 (一人の時に笑ったって、意味ないや……) 「空海様ー!準備できましたぁー!!いらしてくださーい!」 二人の双子坊主が、手招きする。 ふわっ。音も立てずに降り、静かに石を踏む。 「ありがと!」 双子なのに。捨てたのか。 二人とも、躊躇なく。 「空海さまー!空海様ー!」 道元の腕は、肘のあたりまで真っ黒になっている。 煤けた指で鼻の頭をかくから、鼻が真っ黒だった。 こんな明るい良い子ですら、捨てたのか。 この国は。死ぬ寸前まで、痛めつけて。殺そうとしたのか。 ……ゴミを捨てるみたいに。 「わわ、待って待って!もー、早いよー!!」 みんなのがっかりする顔をみたくなかった。 気が重い。 一遍がいなくなってから、沈んだようだったこの国。 御幸と正宗、リルケが来てから、少し変わった。 「兄者!こっちこっち!」 「リルケ、頼まれていた水はこれでいいのか?」 「そうそう。それくらいでいいよ。坂上、いーい?」 バケツ一杯の水を手に、リルケと御幸が場を清めだす。 この分だと、あと五分たらずで準備は終わるだろう。 空海は、誰にも気がつかれないように、暗い顔をしてみた。 なにも、解決しないのを、わかってた。 全ての準備が整って、坊主は全員集まってくる。 108人。それらが、栄西の計画によって動き、配置された。 坊主が100人そろってもなしえないことを成すのだから、 下界の人間はすごいなーとか、思ったり。 最澄は、栄西と二人、陣の中心にいて、錫上を同時に振り上げる。 「術式開始!」 シャン!!杖についた鈴がなり、硬い先端が土を叩いた。 ぼお……!! 洋風にいえば魔方陣だろう。赤い光が広がり、ウェーブのように、 連鎖して呪文がつながっていく。御幸、正宗、リルケは、 嬉しそうに夜空を見上げていた。 「花火くらいみたことあんだろ、何度もよぉ」 からかったら、御幸は言った。 「チャンスはあったな。何度も。ダチに誘われて  行ったこともあっし。でも、オレ、ちゃんと見たことねーんだ」 「なんでですかー?」 プ、と噴き出し、隣を見る。 すると、御幸は恥ずかしそうにえっへっへーと苦笑いした。 「なんだろ。見たことは見たんだけど、全部にうっすい布みたいなの  かかってた。最近、それがとれてきて。このじょーたいで見たら、  さぞかしキレーなんだろーと……」 うっすい布。 「屋台も、盆踊りも、なんもねーぞ?」 ふざけた笑み。最澄の腕を、御幸の肘がつついた。 「最澄、知ってんじゃねーか、夏祭り」 「……行ったこたねーよ。ただ、通り過ぎたことならある。  あの頃には、もう。街の日陰しか歩けなかったからな。  あんな明るいトコ、気持ち悪くてよ」 「そっかー。リルケと正宗は見たことあるか?」 「うん。僕らは、父様たちにつれてきてもらったこと、あるよ。  あの頃は王家もちゃんと8つあって、8人王子がいた。  ……今はもう、半分しかいないけど」 「王子の数が減るたびに、行くのがつらくて。  一度だけリルケと、二人で忍び込んだんですけど」 「うん。すぐ帰っちゃった」 肩をすくめる。 最澄は思った。 ああ、夏祭りは。 たくさんの浮かれた人々の影に、哀しみを産む寂しい行事だ。 『全てのことに感謝をするんだ』。 食堂で聞いた、道元のえらそーなコトバ。 それが、染みる。 「今日も寂しい?手、つなぐか?」 正宗が、リルケの顔を見下ろす。 手を差し出し、「兄らしく」、正宗が手招く。 リルケは少し迷って、いひひ、と笑った。 指先が近づいて。でも、下がる。 「108人もいて、寂しかったら変だよ」 御幸の隣に座っている空海が、眉をひそめた。 「ダメだ……足りない、なにもかも……!」 手で額をおおい、うつむこうとする。 その腕を御幸がとり、ほら、と真上を指差す。 「なに言ってんだ!見ろよ!!あがる!!」 「そんなわけ……」 ……ドン。重く深い音が、空海の五臓六腑に響く。 わー、という歓声。それは、確かに花火だった。 不恰好で。たった一発で。歪んでる。色だって、たった一色。 『赤』。 全ての人にアンケートをとったら、みんなが否定するだろうけど。 それは、たしかに、花火だった。 「やったー!!」 互いを讃えあう声。その声をかきけすように ……、放った覚えのない数発の花火が、漆黒の闇に広がった。 「あれ?今のナニ?」 「わかんない……奇跡?」 後発の花火は、まるで。普通の人々が見上げる、普通の花火だった。 柳。牡丹。……そして、しだれ梅。 「すごい、今見た?青かったよ!」 「それに、金の……」 空海が、うつむく。 今度は、御幸はそれを止めなかった。 花火は、あがる。 だけどそれを、どこで見るのか。 誰と見るのか。直視できるのか、目を反らすのか。 何万人の反応があり、何万の感情がせめぎあうのだろう。 「生きてればさぁ……ときたま、こーゆーシャレたこと、  あるかもって思った?」 御幸が、小さく問う言葉。 「……かもね!」 もう、空海の顔は、笑っていた。 5 カタン。延暦寺当主親鸞は、無事あがった花火に酔って、 大浴場で馬鹿騒ぎをしている門弟達を肴に、親指程度の 大きさの器で日本酒を味わっていた。 北海道から届いた名酒。リルケの父、ウタリが貢いだ名品だ。 それをひとりであけて、今はもう静かな夜にまかせる。 「……今夜だけは、ね」 「やっぱり親鸞様でしたか」 気付けば、白い寝巻きに身を包んだ空海がそこにいる。 わかっていて、言ったのか。それとも単なる独り言。 「……」 クス。闇もゆがめるような、カタチのいい唇。 それを更に歪め、親鸞は空海を見上げた。 「付き合いなよ。構わないだろ?」 「ええ、もちろん」 奇跡は起こらない。 だけど、こんな夜は。 地獄の閻魔ですら、余興を楽しむものらしい。 「ここにつれてきたこと、後悔してるよ」 よどみのない台詞に、重ねて言葉を紡ぐ。 後の言葉は、二人にしかわからない蜜言だ。 二人の間に、桜が舞う。 藤も、楓も、梅も桜も。 (僕は、この人を殺せるだろうか。  地獄の鬼に、閻魔が) 11歳の当主の上にも。 八月は、降り注いでいた。