ママとあそぼう!ピンポンパンの章

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pajya01.jpg (16600 バイト) 3代目酒井ゆきえ(中央)と2代目石毛恭子(右) 4代目大野かおりおねえさん debe.jpg (14027 バイト)


『ママとあそぼう!ピンポンパン』の序章…

pinponpan.jpg (13376 バイト)当『こども教育番組研究所』の第一弾!HP検証紹介ファイルは、こども向け朝の人気定番番組ママとあそぼう!ピンポンパンなのであります…。『ママとあそぼう!ピンポンパン』と言う〜こども番組は、1966(昭和41)年〜1982(昭和57)年までの長期間に渡り、フジテレビ系列で人気放映されておりました…。番組開始当初の初代「渡辺直子」お姉さん当時の番組タイトル名は、みんなであそぼう!ピンポンパン〜1971(昭和46)年9月…毎週月曜〜土曜AM8時10分〜8時55分/(再放送)PM5時〜5時45分…と言うタイトル名でしたが、1971(昭和46)年10月から登場の2代目「石毛恭子」お姉さん〜1975年4月5日まで…カッパのカータンの時代から『ママとあそぼう!ピンポンパン』毎週月曜〜土曜AM8時〜8時45分/(再放送)毎週月曜〜金曜PM5時〜5時45分にタイトル名が変更されてもおりました…。

まず〜『ママとあそぼう!ピンポンパン』で、一番最初に思い出されるのが、「ズンズンズン〜♪ずんずんずんずん〜♪ぴ〜んぽ〜んぱあ〜ぽ〜ん♪…トラのプロレスラ〜は♪シマシマパンツ〜♪はいてもはいても〜すぐとれる♪…」で始まるピンポンパン体操が単なる子ども番組の体操の歌でしかないはずなのに?当時、大ヒットを記録した事でもありましょう…。年末の「歌謡大賞」か「日本レコード大賞」か何かの「大衆賞」だったかを受賞し、人気絶頂のアイドル歌手や大御所の演歌歌手達と、同じ華やかな舞台上で体操のお兄さんの金森 勢さんやかっぱのカータン新兵ちゃんへびのパクちゃん、etc…などの番組出演者&キャラ達が受賞に感激し、『ピンポンパン体操』を一生懸命に歌い踊っていた姿を見た時の素晴らしい感動と興奮を私は今でも鮮明に憶えております…。

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初代「渡辺直子」お姉さんの検証…

初代 渡辺直子おねえさんさて、『ママとあそぼう!ピンポンパン』と言う番組の最大なる魅力と致しまして、まず最初にあげられるのが?歴代のお姉さん達がたいへん魅力的なのであった…と、言う事なのであります…。いくら『ママとあそぼう!ピンポンパン』が幼児番組として凄く良くできていた番組であっても、ただ〜それだけでは、爆発的な人気も『ピンポンパン体操』の大ヒットもなかったでしょうし、幼児番組を超える歴代お姉さん達が、本当に魅力的であったと言うプラス要素があったからこそ、『ママとあそぼう!ピンポンパン』と言う番組が強く子ども達の心に訴え掛けていたのでもありました…。

石毛恭子(左)と渡辺直子とカータン初代の渡辺直子お姉さん1966(昭和41)年にフジテレビにアナウンサーとして入社…。入社して直ぐに「ピンポンパン」のお姉さんとして丸5年間に渡り、ご活躍されておられました…。有名になった「ピンポンパン」降板後は、「ワイドショー」の司会や童謡のレコーデイングなどで地道にご活躍もされ、1978(昭和53)年には、同フジテレビの毎週火曜日AM11時35分より『日本の童謡』と言う、こども番組も担当されておりました…は、お姉さんと言うよりも、「やさしいお母さん」などと言う感じだったので私自身、正直子ども心にも初代「直子」お姉さんには、幼なすぎたせいもありますが、あまり魅力を感じてはおりませんでした?(直子お姉さん、悪意はナイですゴメンナサイ)…。この初代「直子」お姉さん当時の番組内容は、まだ〜始まったばかりで「ピンポンパン」自体の方向性が確立してないせいもあったのか?少し単調で、「直子」お姉さんが「しんかんせん」とか「きりん」などの歌を「歌のコーナー」で歌い、「ゲームのコーナー」では「新兵ちゃん」と「カータン」が幼児達と一緒にただ動きまわっている、こども目に見ても単調な展開だけでしかなく〜当時、ちょっと生意気だった私は、人気コ〜ナ〜が充実していた『おはよう!こどもショー』や『ロンパー・ルーム』などの日本テレビ系列の朝の人気こども番組の方に自然と浮気などをしておりました(笑)…。

2代目「石毛恭子」お姉さん登場時の衝撃!…

pinpon-bani.jpg (20640 バイト)しか〜し!そんなある日の朝、偶然にも「ピンポンパン」にチャンネルを合わせてしまった時、私の脳裏をモノ凄い衝撃波のような感覚が走ったのでありました…。な、なんと?「ピンポンパン」の「お姉さん」が、お母さんのようだった初代の「渡辺直子」お姉さんから、2代目石毛恭子お姉さんに変わっていたのです!…。昭和46年4月に短大から「フジテレビ」に入社したばかりの現役若手女子アナより、大抜擢をされておりました…。「石毛恭子」さん選出当時のご本人コメント〜「私、こどもに接する仕事をすご〜く、やりたかったの…小学校の先生とか保母さん…。たまたまフジテレビに入ったんですが、入ったからにはこの番組は何としてもやりたかった…。こどもと一緒にいるのは楽しいし、それに、こどもはお国のタカラ、って言うでしょ…」

2代目「石毛恭子」お姉さんは物凄〜く若い感じで、髪の毛を後ろで束ね、可愛らしい〜「エンゼルハット」にキュ〜トな「黄色いセーター」と、お洒落な胸当ての付いた赤いつなぎの「ホットパンツ」と言う何とも素晴らしいコスチュ〜ムでブラウン管に登場しておりましたのです…。今までの定番幼児番組における「おねえさん」達像とは、全然格が違う!(笑)…などと、私自身の脳裏をジェットコ〜スタ〜が走り抜けてしまう程の強衝撃をも受けてしまったのでありました…。番組の内容自体も「恭子」お姉さんの「歌のコーナー」などが、初代番組放映当時の童謡やゆったりした曲調のものからは一変し、さわやかな「恭子」お姉さんに合ったロック調やポップな感じのパジャママンシャンプーマン(これらの曲も名曲!)などの元気いっぱいで躍動的なものに変わったのでもあります…。

この局アナ「石毛恭子」お姉さんの2代目お姉さん大抜擢選出と番組内容のハッキリとした路線変更は、私達お茶の間の男の子もしくは、その父親層を狙った、番組制作サイドの意図があったとしか絶対に思えないような?ツボを突いた設定で、子ども達から見てもたいへん可愛らしくて、本当に色っぽい〜2代目「恭子」お姉さんの登場と明るく躍動的になった番組内容に、テレビの前の子ども達は、完全に「ピンポンパン」の虜?…「恭子」お姉さんの恋の奴隷?になってしまったのです…。

『ママとあそぼう!ピンポンパン』番組末期の検証…

4代目大野かおりおねえさん3代目酒井ゆきえお姉さん1975(昭和50)年4月7日からの3代目登場!…。毎週月曜〜土曜AM8時〜8時40分…4代目大野かおりお姉さん現・「大野香菜」〜1979(昭和54)年4月2日、月曜日の「こんにちは!かおりお姉さん」からの4代目登場!…。AM7時30分〜8時…。『ママとあそぼう!ピンポンパン』降板後に「かおり」から「香菜」に変更し、テレビ東京『タミヤ・RCカーグランプリ』の司会やTBS系のクイズ番組『人生ゲーム・ハイ&ロー』、『クイズ・天国と地獄』などで問題を読み上げるアシスタントや1983〜84年頃のラジオの深夜番組のレギュラー単独担当などで、『ママとあそぼう!ピンポンパン』降板後も「大野香菜」名義で活躍されてもおりました…。の頃になると、セットや音響などにも凝り始め…何より『ママとあそぼう!ピンポンパン』が変わったのが番組にだんだんミュージカル色やアメリカン・ポップスなどをドンドン取り入れる様になってきた事なのであります…。

『ママとあそぼう!ピンポンパン』のお姉さん達と言うのは、基本的に「フジテレビ」の現役女子新人アナウンサーが歴代お姉さんを担当しておられたようなのですが、4代目「大野かおり」お姉さんだけは、「フジテレビ」のアナウンサーでは無く、単なる女性タレントだったと言う事なのであります…。4代目の「大野かおり」お姉さんは、『ママとあそぼう!ピンポンパン』登場当初、全体的に小さく細身で、女性と言うより、どちらかと言うと少年の体に「大場久美子」の顔をくっつけた様な、pinpon02.jpg (9502 バイト)たいへん可愛らしい感じでもあり…その後、番組が進むと共にだんだん〜女らしく美しく変貌して行き、「歌のコーナー」で超ミニのサンタの衣装で歌う『赤鼻のトナカイ』やピンクのパジャマにお下げの髪型で少女っぽく歌う『羽ふとん』の歌などは、今思い出してみても胸がキュン〜と甘酸っぱくなってしまう程に、ある意味刺激的なお姉さんだったようにも思いますし、もう〜この頃はすでに幼児番組の域を越え始めてきたと共に『ママとあそぼう!ピンポンパン』が番組最高潮の時を迎えて来ていたようなのでもありました…。

しかし、その後の5代目井上佳子お姉さん現・「本間淳子」…『ママとあそぼう!ピンポンパン』の5代目のお姉さんとして「フジテレビ」に入社し、「ピンポンパン」を降板した後に「アナウンス部」に配属されご活躍!…に変わったとたんに番組の内容の路線変更による失敗で、今まであった番組の人気や勢いが急になくなり、そのまま『ママとあそぼう!ピンポンパン』と言う人気番組は、当然の事ながら視聴率も下降線をたどるようになり、「フジテレビ」は、1982(昭和57)年度の番組編成時に幼児番組をひらけ!ポンキッキ1本に絞った為に、人気子ども番組の女王様として長期間、君臨し子ども達を心から楽しませてくれた『ママとあそぼう!ピンポンパン』が、残念ながら終了する事になったのであります…。

『ママとあそぼう!ピンポンパン』の最後に…

最後に…。今回、おねえさん達の魅力だけをHP検証の中心にしてしまいましたけれど、出演者が次々と世代交代していった中で、カッパのカータン坂本新兵ちゃんの2人だけが番組の放送開始から番組終了時まで、番組の重要な軸となり頑張っていたからこそ長期間、人気番組であり続けれたと言う紛れもナイ事実も、この『ママとあそぼう!ピンポンパン』番組成功のおおきな要因のひとつでもあった事を強く〜当HPにも刻み付け加えておかなければいけませんですネ…。

皆様からの貴重な『ママとあそぼう!ピンポンパン』の情報と報告の追記…new-up.gif (2567 バイト)

私が幼稚園の頃、3代目の酒井ゆきえお姉さんの時に出演しました…。今でもスタジオの中などはっきり覚えています…その時の話題は、確か「飛行機」で、お姉さんが、「飛行機に乗ってどこへ行きましたか?」という質問に、真っ先に「全○空」と答えたのを覚えています…後でビデオを見たら、ことごとくカットされていました…。最後におもちゃを貰う木の中は、テレビで見るよりも狭かったような気がします…欲しいおもちゃを隣の子に取られてしょげていた記憶があります…結局手にしたピンボールのおもちゃは、今はいとこのおもちゃになっています…。今思うと貴重な体験をしました…もし、そのときのVTRがある人は、最後のピンポンパン体操で、ど真ん中で踊っているのが私です…。情報提供「まんぼう」さん

私もピンポンパン出ました!…。私は、初代の「直子」お姉さんの時で、なんと3歳と5歳の2回も出させてもらいました…。3歳の時は「チューイングガム」という歌を歌い、当時はビデオなる物がなかったので、8ミリでテレビを撮影しました…。小学校の高学年で、「ビッグ・マンモス」が大好きになり、いつもみていたような気がします…その「ビッグ・マンモス」について何かわかることがあったら教えてくださいね…。情報提供「トコトコ」さん」

「ピンポンパン」の3代目「酒井ゆきえ」お姉さんの時代に、人気者だったグループ「ビックマンモス」についてですが…「ママとあそぼう!ピンポンパン」で、パジャマ姿で歌う「パジャママン」や「ピンクのバニー」などを歌ったり、踊ったりしていたグループ名「ビックマンモス」(今で言えばジャニーズJrのようなもの…)と言う10数人くらいのグループだったと記憶しております…。中でも一番人気の「ヤセヤマ」こと「山崎圭一」君は残念ながら他界されたそうでありますし、「西野正一」君や「岩田浩一」君達のその後の消息は、不明と言う事なのであります…。当時はファンクラブも多数ありよくデパートの屋上とかでミニコンサートなどをしておりました…。情報提供「kaiho」さん

ピンポンパンの「おもちゃの木」ですが、中はそんなに広くなかったと思います…。棚が何段か有って、そこにおもちゃが並んでいたような気がします…。みんなでわーっと入っていき、ぎゅうぎゅうでバーゲンセール状態でした…。一回目に出たときは、木ではなく、ワゴンのような大きなかごにおもちゃが積まれていて、そこから選んだのです。いつから木になったんでしょうね?…。情報提供「トコトコ」さん

『ビッグ・マンモス』…。この子たちが思いっきり頑張ってたのは、酒井ゆきえお姉さんの時代でしょうかね?自分と歳近いから今40近いんでしょうか?(スミマセンね。夢壊して)彼がリーダーなのかどうなのか、ノンノンとかいう愛称の森井君とかいう子が、「明星」「平凡」なんかによく顔を出してましたか。(…っていうか彼しか覚えてない)今考えると「ピンポンパン」で唄われてた曲、結構メロディアスなものが多かったですね。かの服部克久先生も参画してた記憶があります。(数年前、ゆきえさんが司会してた某お笑い番組で、観客が当時のLP盤を差出し赤面してた)過去ログで出てたら恐縮ですが、『ともだちのうた』(あー、この辺記憶曖昧?)とかいうのが、最も耳に残っております。当時、いじめられっ子だった自分(苦笑)、この歌を聞いて励まされてました。サビというか最後の部分が“♪どこまで〜も〜 さあゆこう〜 ぼく〜たち〜はともだち〜”というフレーズでした。テレビでは、ゆきえお姉さんとマンモスたちが広い公園かどっかで、手に手に風船を持ってて、歌の最後に一斉に飛ばすシーンがありましたか…。あと、1981年秋の番組最終回の最後でもこの歌が唄われてて、当時のお姉さん(名前度忘れ)が大泣きしてたシーンも印象に残ってます。この「ピンポンパン」終了に前後するかのように、確か「ワンツージャンプ!」(TBS)や「パンポロリン」(テレ朝)も相次いで終わったんじゃなかったでしたっけ?そう考えると確か今年で放送30年の「ポンキッキ(ポンキッキーズ)」は凄いよなぁ。情報提供「道楽者」さん

ピンポンパンは最高!…。ロスから今、日本に来ています。この1ヶ月、日本中あちこちと(仕事&趣味)で飛び回っていて、旅行中は、MDで『ピンポンパン』ソングをいつも聴いています…。さて、先日、そんな旅先で、石毛恭子お姉さん時代の『そっくりそっくり そっくり ピンポンパン〜』で始まる『ピンポンパン体操』の1972年発売のシクグクレコードや、『とめてくれるな おっかさん やらなきゃならない ピンポンパン〜』で始まる『ピンポンパン体操’74』の1973年発売のシングルレコード(*第2面に収録されていた『ピンポンパンのうた』は、イントロもテンポも歌い方も通常版とは違う別バージョンで驚き!)、そして!石毛恭子さんが歌うオリジナルソング『友よ』『六月のそよ風』の1976年発売のシングルレコードを入手して、大喜びしています!!こんなレコードが出ていたなんて知りませんでした…。情報提供「ジャストンピン」さん

ピンポンパンの中の歌で…。『ママとあそぼう!ピンポンパン』の中に、”じんげんとんがらがった、じゃすとんピーナツ、カレーライス!”というジャンケンの歌があったと思うんですけど、「まさおくん、勝負!!」とかなんとか、かけ声が入るその歌は『ジャストンピン』という曲です。『あつまりましたよッ!ピンポンパン』<LP・キャニオン(AT-4001)、コロムビア(CW-7104)・1976年11月発売>に 酒井ゆきえさんの歌が入っています。石毛恭子お姉さんと、酒井ゆきえお姉さんで歌詞が違うらしいんです…。情報提供「kuming」さん

当サイトへ以前からたいへん問い合わせの多かった曲…。元歌が、1972(昭和47)年に「サミー・デイビスJr.」が唄って全米No.1となった世界的な名曲でもありました『ママとあそぼう!ピンポンパン』の「石毛恭子」お姉さん時代の代表名曲のひとつ『キャンディマン』…。今回、懐かしの人気サイト『Super Otacky Web』管理者のAihara!さんから当サイトへ貴重な『キャンディマン』の全歌詞を提供して戴きましたので、日本語版の歌詞の方を、1番だけとは言わず、全てご案内アップしちゃいます(笑顔)。

『キャンディマン』の日本語版・歌詞…

キャンディマン キャンディマン

もしもきみが(もしもきみが)
ひとりでも(ひとりでも)
素敵なあの人ついてるさ
ほらキャンディマン(ほらキャンディマン)
それはともだちさ(ともだちさ)
きっときみのお願いきいてくれる
ともだちさ(ともだちさ)

いつかきみが(いつかきみが)
虹を越え(虹を越え)
見知らぬ国へ行くときも
ほらキャンディマン(ほらキャンディマン)
きっとついてくさ(ついてくさ)
大きな車にお菓子をいっぱい
ついてくさ(ついてくさ)

キャンディマンはわかるのさ
みんなの気持ちが
小さな心がパパやママよりも

もしもきみが(もしもきみが)
さびしくて(さびしくて)
誰かとお話したいとき
ほらキャンディマン(ほらキャンディマン)
それはいい人さ(いい人さ)
トランクいっぱいお話持ってる
いい人さ(いい人さ)

そうよ
キャンディマンはわかるのさ
みんなの気持ちが
小さな心がパパやママよりも

いつかきみが(いつかきみが)
虹を越え(虹を越え)
見知らぬ国へ行くときも
ほらキャンディマン(ほらキャンディマン)
きっとついてくさ(ついてくさ)
大きな車にお菓子をいっぱい
ついてくさ(ついてくさ)

キャンディマン(キャンディマン)
キャンディマン(キャンディマン)
キャンディマン!

私自体は、『正調デベロン音頭』あたりがとってもツボにお気に入りなのでやんすが(笑)…。TAKA@管理人

『へそくり音頭』の歌詞について…。♪おなかすいたらたこ焼き食べて♪さあさ踊ろうよへそくり音頭♪へそくり上手の母さんでべそ♪あそこにお金がつまってる♪あ いってやろ いってやろ いってやろ♪(「いってやろ」の部分は「とんでっちゃった」だったような気もします?)…だったと思いますが、もしかすると、私の記憶にある「へそくり上手の…」は3番(あるいはその反対)かもしれません。私もこれ以外の歌詞は覚えていないのですが、1番でないことだけは確かです。「ピンポンパン」の中で放送されていた歌で、「さあさ踊ろうよへそくり音頭」の後の部分は、カータンやしんぺいちゃん達がかわるがわるソロで歌っていたように記憶しています。情報提供「SABU」さん

幼児番組の雄『ピンポンパン』は、お姉さんのエンゼルハットにキュロットというスタイルも含めて、どこかしっとりと洗練された雰囲気がありました。『こどもショー』が下町的横丁の匂いなら『ピンポンパン』は山の手風の匂い。ゆえに下町育ちの僕は『こどもショー』ほど夢中になりませんでしたけど、それでもデベロンやパクちゃん、ダバダバダ兄弟といったクリ−チャ−はよく覚えています。渡辺おねえさん、石毛おねえさん、酒井おねえさん、それぞれ魅力的でした…。『ピンポンパン』の最大の功績は、童謡や『パジャママン』などのオリジナル曲にまじってキャロル・キングの『ロコモーション』(『ロコモーション』は酒井お姉さんのときだったかもしれません(ちょっと記憶が曖昧。ちょうどこの曲、アメリカのハードロック・グループ、グランド・ファンク・レールロードがカバーして大ヒットした直後だったので特に印象があります)やバカラック/BJ・トーマスの『雨に歌えば』などの洋楽をさりげなく子供心にすりこんでくれたこと。のちに原曲を聴いて驚いたものです。そういえば、ビートルズの『オブラディ・オブラダ』もNHK「みんなのうた」で知ったんだよな。唄っていたのはフォーリーブスでしたね…。こう考えると、学校、幼稚園登校前の朝というのは子供にとってのもうひとつのゴールデンタイムでした。情報提供「焼津のハイジ」さん

「ピンポンパン」の酒井ゆきえお姉さん時代に、たしか“刑事ジャガー”という紙芝居のコーナーがあって、楽しみにしておりました。内容は忘れましたが?(笑)…。情報提供「ホソカワ」さん

初めてホラグチが夢中になったニュースキャスター(アンカーマン)はTBS系『報道特集』の司会をなさっていた,今は亡き(悲しい…)料治直矢さんです。番組に投書したら,ワタクシのハガキを料治さんが読んで下さったこともあるんですのよ〜!高校時代のことでございます。*^-^* うふふ。ちなみに,料治さんの奥様は,初代ピンポンパンのお姉さん・渡辺直子さんです。情報提供「洞口優子」さん

あかおにボンボ。番組開始当初のお姉さんでもありました初代「渡辺直子」お姉さん時代に、「あかおにボンボ」と言う主人公のあやつり人形キャラが存在しており、『あかおにボンボちゃん』OR『あかおにボンボといっしょ』などと言う『ピンポンパン』初期番組内(1966〜70年頃?)でのミニ1コ〜ナ〜がありました。…で、今回。そう言った皆さんのモヤモヤ〜を一気に払拭するようなたいへん興味深く貴重な「あかおにボンボ」の資料や当時の放映の様子が多少ですが、垣間見える当時の「渡辺直子」お姉さん時代の『みんなであそぼう!ピンポンパン』の朝日ソノラマから発売されておりました見開きレコ〜ドジャケをT.Yoshikiさんから提供していただきましたので、当『60〜80年代なんでもQ&A』HP内へ作成アップさせていただきましたので、興味のある方は是非!ご覧になってくださいませ(笑顔)。当サイト内『あかおにボンボのQ&A』HPへGO!TAKA@管理人new-up.gif (2567 バイト)

制作著作フジテレビ(株)

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