
実写版『忍者ハットリくん』の「シンゾウ」役「中條茂樹」氏インタビュー!
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★今回、『藤子不二雄FC・NeoUtopia』の皆様の御好意により実写版『忍者ハットリくん』で、「ハットリくん」の弟「シンゾウ」役を熱好演されていた「中條茂樹」さんに先日、独占インタビュー取材をされた時の情報をご連絡いただきました〜!(超興奮)…。「中條」さん&『藤子不二雄FC・NeoUtopia』の皆さん!今回、貴重で興味深い内容のインタビューを本当にありがとうございました(多謝)…。そんなわけで、当HP以下のインタビュー取材公開記事は、『藤子不二雄ファンサークル〜NeoUtopia』HP内に直接、京都で「中條」さんに独占取材された際の本当に貴重な取材情報等をアップされたものを特別にご許可をいただき、ほぼ原文のまま転載公開アップ(取材時の「中條」氏画像も「藤子FC・NeoUtopia」HPよりの提供…)させていただいております…。
★昨年末(1999)にCS「東映チャンネル」で、発掘再放映されておりました実写版『忍者ハットリくん』は、第1話だけしかフィルムが現存してナイと言う事で、その言葉通り第1話だけしか再放映されておらず、それ以降の第2〜26話に関しては、残念ながら今日まで依然未発掘状態のままであり、極端に資料等の少ない幻の藤子作品のひとつになっていた番組なのですが?…。しかし、今回幸運にも『藤子不二雄ファンサークル』の皆様方のご足労で、放映当時「シンゾウ」役で、番組に出演されていた「中條茂樹」さんに貴重なお話を伺うことができました…。一読すれば目からウロコが落ちる、全藤子ファン!…60年代モノクロ実写テレビ番組ファン必読のインタビュー取材記事の公開なのであります!…。
◎SPECIAL INTERVIEW
実写版『忍者ハットリくん』(1966)シンゾウ役
「中條茂樹」さん(CHUJYO SHIGEKI〜ちゅうじょう しげき)
<中條さんの主な役者時代までのプロフィール>1958年5月9日生まれ〜4歳の頃から映画に出演し、大川橋蔵の『江戸っ子天狗』、内田良平の『けんかたつ』などに出演。テレビでは、63年頃の讀賣テレビの『長流』(ちょうりゅう)一年半セミレギュラー。65年大阪の梅田コマで、越路吹雪・市川染五郎【現=松本幸四郎】主演ミュージカル『王様と私」、江利チエミ・宝田明主演ミュージカル『アニーよ銃をとれ』、66年『忍者ハットリくん』(シンゾウ役)、大川橋蔵主演『銭形平次』、67〜68年頃『海の次郎丸』『仮面の忍者 赤影』(第5話)、72年 岡崎友紀主演『なんたって18歳』ほか…。
●本日はよろしくお願いします。まずはシンゾウ役に決まった経緯をお聞かせ下さい。
<中條>もともと4つくらいから東映とかで子役をやっていまして、たまたまそういう話が来たんです。当時子役をやっている子はあまりいなくて一度いいなと思われるとよく使われたんですよ。当時も『ハットリくん』をやりながら、大川橋蔵さんの『銭形平次』とかも出ていました。今もそうだと思いますけど、子供の機嫌を損ねると撮影がストップしてしまいますので結構かわいがられましたね。監督はお父さんみたいな怖いイメージでしたが、カメラマンの方はどなたもとても優しかったと思います。
『ハットリくん』は子役が多いので、のびのびと遊んでいるような感覚でしたね。その楽しい雰囲気がそのまま番組にも生かされたんだと思います。当時京都の東映撮影所にあった俳優会館で行われたラッシュを見に行かなかったので、オンエアで見たものを覚えているだけなんですが、当時のことは今でも鮮明に覚えています。
●第1話の出だしと本編の落差が凄かったですね。本格的な時代劇風の対決シーンで始まったかと思うと、本編の下界の場面ではホームドラマになっているのが面白かったです。今のテレビドラマと比べてもとてもしっかりとした作りで驚きました。
<中條>現代劇に時代劇を融合させるというのは、当時としては斬新でしたね。当時まだ映画が盛んでしたから、東映の撮影所も映画スタジオが17〜18あって。東映テレビの事務所はその奥の置くに2階建てのプレハブみたいなのがポツンととあるという感じでしたね。テレビの方はお金もなくて。でも時間をかけて丁寧に作っていましたね。

●中條さんの演じていたシンゾウの役どころについてお聞かせ下さい。原作だとケン一くんの家にハットリくんと居候していますが…。
<中條>常にケン一くんの家にいるのではなくて、ハットリくんにその都度呼ばれて伊賀の里からやって来るという感じでした。番組に出たのは9話の「忍術学校騒動」からで、12話の「観光騒動」、19話の「林間学校騒動」など最終回を含めて全部で5回くらいだったと思います。それから8話の「ドリームランド騒動」では普通の子供役で、素顔で出演しました。そうそう、番組が始まる前に3曲くらい『ハットリくん』の歌を聞かされて、子供番組だから子供が喜ぶのがいいだろうということでどれがいいか選ばされました。それで決まったのがあの主題歌だったと思います。
●役回りとしては原作と同じような感じだったのですか?
<中條>ハットリくんはすごく優秀な忍者なんですけど、弟の方はドジでダメですからいつもケムマキにいじめられていたんですね。木にくくりつけられつるされるとか、しばられて自転車でひっぱられるとか、いじめられっ子ですね。すべて僕の役でしたね(笑)。ケムマキはすごいいじめっ子だった訳です。
シンゾウがセットの上から落ちる場面があって、脚立から落ちて「エヘヘ」ってやるんですよ。いつも失敗っていう(笑)。
●声も中條さんが当てられていたのでしょうか?
<中條>声はすべてアフレコで、シンゾウの声は女性の声優の方がやっていました。確かジッポウの声優さんと同じ方だったような気がしますが、あまり定かではありません。一度だけでしたがその方ともお会いしましたよ。
●『ハットリくん』に出られた頃は、まだ小学生ですよね。学校では話題になりませんでしたか?
<中條>『ハットリくん』のときは、お面を付けて出演していたせいか、それほど騒がれませんでしたね。中二のころ岡崎友紀の「なんたって18歳」(1971)に出たときは、ちょっとした騒ぎになり、他のクラスから見物に来る人がいるほどでした(笑)。
『ハットリくん』をやっていたときは「少年」のグラビア以外、雑誌の取材で写真を撮ってもらったことはなかったんですよ。ただ「観光騒動」の撮影中、京都の丸山公園で観光で来ていたOLのお姉さんに記念撮影を頼まれました。墨塗りのついた素顔のまま(笑)。あの写真、残ってるかなあ。
●ハットリくんの中に入られていた野村さんは双子の兄弟だったそうですね。
<中條>そうです、野村さん。あとハットリくん役は木下サーカスかどこかから来た、同じくらいの体型の子がもう一人いました。彼はバック転なんかもできて、アクションシーンなどの吹き替えを担当していました。私も撮影に入る前に三好さんという殺陣師の方が付きっきりでトランポリンで飛んだり、いろいろ練習させられました。
●ではシンゾウはご自分で立ち回りを演じられていたのですね。
<中條>実際に立ち回りをするときでも、火薬玉を地面に埋めて、だんどりをつけて、ここが最初に爆発して、二番、三番というのを覚えて飛んだりしなきゃならなかったんです。火薬は人体にはそれほど影響でない程度だったんですが、自分の体の下で爆発するとどうしても怪我することもありますから、それだけは気をつけてやっていましたね。そういうのは一発勝負でしたし。撮り直しもあまりにうまく行かないと、そ
れで行こうということもありました。
●実写版『ハットリくん』といえば、ケムマキ役の方が杉良太郎さんだというウワサがあるのですが…?
<中條>僕の感じだと、ケムマキ役の役者さんは当時7つか8つくらい上で中三か高一くらいの年の方だつたと思います。よく「懐かしのナントカ」みたいな番組でその話題がよく出てきますが、改めてお顔を見ても杉良太郎さんには結びつかないと思うんですよ。本当のところはもうご本人に聞くしかないと思うんですが。
番組中ではケムマキがずっとライバル役でしたね。番組の半分くらいは登場していたんじゃないでしょうか。ケムマキもたまたま武者修行で町に来ていたんです。いい人ばかりだと物語も盛り上がらないので、ケムマキが登場したんだと思います。子供向けの番組ですから完全な悪者にはできないし、
藤子先生の漫画っぽい感じを上手く取り入れていたんでしょうね、脚本の方はよく考えて書かれていたと思います。
ケン一くんの担任の先生の名前が「花岡実太(はなおかじった)」=「鼻をかじった」なんて、ひねったネーミングですよね。脚本の井上ひさしさん(テロップは服部半蔵名義)て、当時からすごい賢い人だと思っていました。
●井上さんといえば「ひょっこりひょうたん島」のドン・ガバチョなんかも面白いですね。劇中、ケン一くんのガールフレンド役の子は登場したんですか?
<中條>ええ、いましたよ。名前は忘れてしまったんですが、役者の方と20年くらい前に大阪の梅田コマ劇場でそれこそ10数年ぶりに再会したことがあります。それまで、その人もずっと女優をされていたと思います。
●キャストの方は豪華な顔ぶれが揃っていましたね。

<中條>お父さん役の牟田悌三さんは『ハットリくん』の後『ケンちゃんシリーズ』に出演されて、今でもNHKの大河ドラマなどでよく見かけますよね。お母さん役の久里千春さんも女優さんでキレイな方ですしね。旦那さんは山埼さんといって初代のトッポジージョの声優をなさっていた方なんですよ。
脳屁之斎斎役の左ト全は当時から結構お年寄りでしたから、メイクしなくても大丈夫でしたね(笑)。この後「老人と子供のポルカ」っていうレコードをだされて、ヒットしていましたね。さすがに動きの早い場面は吹き替えの方がされていましたが、立ち回りなども多少はされていましたし、途中でも3、4話出られていたと思います。
●2話以降のフィルムが発見されていない状態ですが、個々のエピソードで印象に残っていることなどをお聞かせ願えますか?
<中條>3話の「伊賀甲賀の対決」はケムマキと体育館の平均台で対決するんだけど、体操みたいになってしまって…というコミカルな話でした。7話の「日曜騒動」はお父さんとお母さんが出掛けることになるんですが、お母さんのお出掛けの化粧でお父さんが1時間くらい玄関の前で待たされちゃうんですよ。それを溜まっていくタバコの吸い殻で表現していたのが面白かったです。8話の「ドリームランド騒動」は遊園地にみんなで遊びに行って、ケムマキがまた悪さをするのをハットリくんが懲らしめる内容だったと思います。ドリームランドは横浜のものではなくて、奈良にある方です。9話の「忍術学校騒動」はハットリくんが町中で普通の人向けに忍者学校を開くんです。東映のそばにあった大映通りのお寺で撮影したんですけど、花岡先生を女に変身させるという課題が出されて、その手伝いにシンゾウが伊賀の里から呼び出されるんです。でもうまくいかなくて。「お前はいつまでたっても未熟じゃな」ってハットリくんがバっとやると花岡先生があっという間にきれいな女の人に変わるんですよ。12話の「観光騒動」は大半がロケで、京都の町中を使いましたね。バスで京都の町を観光するんですけど、変な外人さんも現れてそこでまた騒動があるんです。御池通りで撮影したんですがその貸し切りバスにシンゾウが呼ばれて、定員オーバーで屋根の上に乗るんですよ。ところが撮影の時もホントに命綱もなくって…お面かぶってバスの天井の通気口にただ掴まっていただけ。今じゃ考えられない、ノンキな時代でした。お話のパターンとしては誰かが事件を起こして、ハットリくんが無事それを納めて平穏無事な生活に戻るというもので、起承転結がしっかりしていて一話完結の30分にとてもうまく盛り込まれていましたね。
●第1話を見るとケン一くんの家はセットだったようですが、屋根の上にハットリくんと泥棒が乗ったりと、割としっかりした作りの家だったみたいですね。
<中條>あの家はオープンセットなんです。私はそのセットに乗ったことがないんです。他の家の屋根の上はよく乗せられたり走らされたりしたんですけど(笑)。このセットに行ったのはそんなにないんですが、ただ2Fは外見だけだったような気がします。だからケン一くんたちの部屋の中は別取りだったと思います。1Fは家具とかがあったかな。家から出たところや近所の住宅街というのは、京都からちょっと行ったところにある向日町(現=向日市)に撮りに行ってました。だから第1話でケン一くんの家の横を通っているのは、阪急電車なんです。あと、第1話には路面電車も出てきますが、京都は昔は路面電車も結構走っていたんです。
●当時のロケ地の面影が残っているところはあるでしょうか?
<中條>ないですね。撮影所も敷地の2/3くらいが映画村になったらしいですし、東映の入り口くらいでしょうか? 俳優会館とかテレビ部の事務所は残っているでしょうけどね。
●ハットリくんとシンゾウのお面は同じ作りだったんですか?
<中條>ハットリくんのお面の中は口の部分が木の洗濯バサミにつながっていて、口を開くときは逆に噛まないといけなかったんです。シンゾウの場合は、おちょぼ口で、お面の口がちょっとぱくぱく言うくらいでよかったので、ちょっと大きく口を動かす感じでした。アフレコなので、台本でセリフがあるところは動かすように言われてましたね。お面の素材は今で言えばラテックスか生ゴムみたいなものだったと思います。造型のときは、あごの部分だけなんですが石膏で型を取るのに3〜4時間くらい工房で寝かされたのを憶えています(笑)。
●やはり視界は悪かったんでしょうか?
<中條>ええ。自分の顔に近づけて見ようと思えば見れましたが。あまり良くはなかったですね。耳とかは別に問題なく聞こえました。この白目のところは、学生服のカラーと同じ素材なんです。目を動かすのは、こう立って、体動かすなっていわれて、スタッフが後ろでひもを引っ張ってキョロキョロってやるんです。一度アップ用ののぞき穴を抜いてないお面(編注・お面にはのぞき穴の抜いていないアップ用と、のぞき穴の開いている遠景用があった)じゃないと駄目だって言われて、目の見えない状態で撮影したことがあります。スタッフの人から、何時の方向向いて! はい、一歩前に出たら、こっち!とか。無茶な撮影をした覚えがあります。小二の子供にそんなことさせるなよなみたいな(笑)。よくできたと思います。あと、ロケで伊賀の里に帰るときだったか、一本橋を忍者走りで走れって言われて、とても怖かった思い出があります。
●シンゾウの服は何色だったんでしょうか?
<中條>ネズミ色、明るいネズミ色だったと思います。ハットリくんは画面の通り実物も黒、ケムマキは渋い柿色だったかな? グレーっぽかったかな。撮影が4月から夏にかけてだったので、とにかく衣装が暑くてしょうがありませんでした。すごく汗をかいたのを覚えています。
19話の「林間学校騒動」だったか福井の高浜の海岸に撮影に行ったときは、またケムマキにいじめられて首だけ出してハットリくんともども埋められたことがありましたね。撮影の間も、夏場だというのに2時間くらい生き埋めでした(笑)。
●東京で作られた『ジッポウ』は、現代劇風、京都で作られた『ハットリくん』は時代劇風と言われますが、具体的にはどういったところが時代劇風だったのでしょうか?
<中條>時代劇風の悪役が出たわけではありません。お話はホームドラマで、もっぱらケムマキが悪さを仕掛けてきて、ハットリくんが懲らしめるというものでした。時代劇風の音楽や照明の付け方でしょうか。まだ時代劇全盛の時代を引きずっていましたから…このあとにTVドラマで『新撰組』とかをやるんですけど、やっぱりそのころの東映のTVドラマって、今の『水戸黄門』のような明るくはっきりしたものものではなく、まだモノクロですし、『ハットリくん』もどこか時代劇風の雰囲気があったのかもしれませんね。やはり、時代劇だったら京都、現代劇だったら東京みたいにはっきり制作が分けられてましたから、スタッフも時代劇風のものを得意にしていたんだと思います。
あの里見浩太朗さんは時代劇と現代劇、どちらをやるか選べと言われて時代劇をやると選んで京都へ来て…今じゃ大スターですね。大川橋蔵・片岡千恵蔵・美空ひばり…当時の京都は日本のハリウッドと言えましたね。NHKの朝の連ドラの「オードリー」(編注・映画時代からテレビ時代へ移行期の映画撮影所を題材にしている)はちょっと喜劇風ですが、当時の雰囲気はつかめますね。「オードリー」は撮影する前に東映が資料提供したらしいです。かなりコメディタッチに作っているようなので、実際に当時関わっていた方は気を悪くするかもしれませんが(笑)。
●その他当時の思い出などをお聞かせ下さい。
<中條>あまり関係ありませんが、東映の撮影所でガマと竜が戦う『怪竜大決戦』(S41)の大きな城のセットがあって、壕に水が張ってあるのを見たことがあります。ご多分にもれず当時僕も怪獣が大好きだったので、嬉しかったのを覚えています。そのときのガマのぬいぐるみは、『赤影』の最初の頃に使い回してましたね(編注・1、3話の千年蟇)。色塗り直して、角がついていたところを取り除いて。いまでも怪獣ものは好きでガメラとかゴジラシリーズとかも見てますよ。
一番の思い出は、藤子先生に目の前で漫画を描いてもらったことですね。目の前で絵を描いてもらって感心したのは、「絵がうまいなあ」って…。当たり前ですが(笑)。描いてもらったのはオバQだけか、犬に追われたオバQだったと思います。そのときはお一人で、ずっと藤子先生は一人だと思っていました(笑)。
●なるほど。お話からすると中條さんが会われたのは安孫子先生のようですね。
<中條>しばらく東京にいたのですが、京都に帰ってきた10年前くらいから、東映の人に会っては聞いていたんですが、誰もフィルムの行方は知らないらしくて。私が今42で、8つのとき、もう34年前ですからね。小道具もフィルムももう残っていないでしょうね。その後、繰り返し繰り返し再放送でもされていれば行方不明になることもなかったと思うんですが。『ハットリくん』の後番組だった『赤影』は、私も最初の方に素顔で出たんですが、何度も再放送されたせいか全部フィルムが残ってるんですよ。東映も会社ですから、仕事となれば探してくれるんでしょうけど、こういうのない?って聞いているだけでは動いてくれないでしょうね。ビデオというのは、6000本でトントンで、2万本行けば大ヒットだそうですから、ファンのみなさんで東映がノイローゼになるくらい投書してくれば、もしかすると探してくれるかもしれません(笑)。『ハットリくん』をはじめ僕もこういった特撮ものなどはとても好きなので、ビデオで出れば大変嬉しいです。
●本日は貴重なお話をありがとうございました…。
≪2000年10月28日〜京都・ポピーナノックスにて≫
【『藤子不二雄FC・NeoUtopia』の皆様、後世に残るほどの入魂取材!本当にご苦労さまでした…。「中條」さん、貴重な当時のお話をおしげもなくご披露していただき本当にありがとうございました(嬉)…。今回、「シンゾウ」役の「中條茂樹」さんからの貴重で興味深くも濃い内容の取材情報を特別に当サイトでの公開アップのご許可をしていただきまして本当にありがとうございました(大感謝)…】
★中條さんのお店情報!…。
ワイン&レストランバー「ポピーナノックス」
※現在、中條さんは京都にてお店を開かれています。お近くの方、京都旅行に行かれる予定の方は、一度行かれてみてはいかがでしょうか?…。
京都府京都市中京区
三条木屋町下ル
二筋目東入ル先斗町日高ビル2F TEL:075-212-6868
営業時間:18:00〜25:00
◎中條さんのお店の素敵なホームページです…。
http://homepage1.nifty.com/noctua/

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