小松島創作太鼓振興会






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金長たぬきに関するデータベース 
金長たぬきの歴史


1839年(天保10年)ごろ、大和屋が助けてやった金長狸が主人に恩返ししたという動物報恩譚があった。 (平成6年4月17日付徳島新聞・阿波文学散歩)

「金長狸」由来記 松寿堂月荷が金長狸として由来記をつくった(徳島県の歴史散歩)

1910年(明治43年)「四国奇談実説古狸合戦」の刊行、大阪の中川玉成堂から講談師神田伯龍講演・丸山平次郎速記で「四国奇談実説古狸合戦」が発行され、「津田浦大決戦」「日開野弔合戦」と続いた(徳島県百科事典・市立生涯学習センター)。

 ※この時期全国的に講談がブームであったようで現在のような録音技術のない中、人々は講談を速記した書物(「講談本」という)を読んで楽しんだという。

1939年(昭和14年)映画「阿波狸合戦」上映 新興キネマが映画化したのが大当たりとなり傾きかけた一気に社運を盛り返した。
 ※この映画のフィルムは公式には散逸したとのことで残っていない。もし、誰か所蔵しているのであれば「お宝」である。お持ちの方は名乗り出てください。「金長神社」が日峰山山麓に映画のヒットのお礼にと建設された。現在は金長神社本宮となっている。

1940年(昭和15年)「続阿波狸合戦」 新興キネマで映画化される。またまたヒット。
二匹目のドジョウではなく二匹めのたぬきがいた。

1946年(昭和21年)「金長例大祭」始まる。

1955年(昭和30年)「金長奉賛会」の設立 金長たぬきをたたえ毎年まつりを実行する組織である奉賛会ができた(小松島市史)。

1957年(昭和32年)「阿波狸合戦」の映画化 大映で再映画化される。
この前後昭和20年代から30年代にかけて「狸物」と呼ばれる一連の映画が数多く作られもてはやされた。

1957年(昭和32年)「金長神社」の建立 昭和30年に報恩感謝の念に厚い金長狸の徳をたたえ、商売繁盛の神として昭和31年12月現在の地へ金長大明神を造営勧請し、昭和32年5月完成した(小松島市史)。
※ときの大映の永田社長は、金長が傾きかけた会社をそのたびに救った救世主だと感じ、当時としては破格の100万円を寄付しほとんどこの寄付金で金長神社の建設資金がまかなわれた。

1989年(平成元年)「金長だぬき郵便局」の開局
特定郵便局である新港郵便局が改築にあたって「金長だぬき郵便局」に改名(動物の名前を付けた郵便局は当時全国にひとつもなく、認めるかどうかで郵政省ではかなり議論があったそうだ)。

1993年(平成5年)「金長たぬき」の銅像の完成
小松島ステーションパーク完成、世界一大きな狸の銅像(高さ5m、胴回り5m、重さ5tのブロンズ像)狸めぐりコース完成。
※たぬきの置物としては信楽焼が有名。信楽には長さ8メートルの信楽焼のたぬきの置物があるが、ブロンズ像としては小松島ステーションパークのたぬきの銅像が世界一。これより大きいたぬきの銅像を造ろうとする人は世界ひろしといえどもいないだろう。

1994年(平成6年) アニメ映画「平成狸合戦ぽんぽこ」上映
四国の長老狸「阿波金長六代目」「屋島の太三郎禿狸」「伊予の隠神刑部」が活躍するが金長が中心的役割を果たす。映画の中で金長神社も登場。
※金長神社の宮司さんは阿波狸合戦の「大和屋」の末裔で茂右衛門さんから数えて6代目にあたるという。この年のウォールアート事業の中で市営バスのボディーがたぬきのデザインで飾られた。大変好評であったのでさらに2台作られた。その後も作られ現在は5台のたぬきバス(市営バス) が市内を走っている。

1996年(平成8年)11月 狸ひろばのステージで明治の講談をリニューアルした「立体講談・阿波狸合戦」が上演された。

1998年(平成10年) 「阿波狸合戦講談語り部養成塾」の開講
小松島市では2年前の「立体講談・阿波狸合戦」を市民に語ってもらい、小松島の文化を継承していくため語り部の養成を企画。6月に塾生を募集、7月から来年2月まで月1回のペースで、東京から講談師、講談脚本家を招いて語り部塾を開いた。

1999年(平成11年)5月5日 「阿波狸合戦講談語り部養成塾」発表会
小松島市に新しくオープンした「ミリカホール」において発表会を開催。大盛況。

1999年(平成11年)6月 「小松島市語り部協会・御伽衆」の結成。元塾長の竹内会長が代表就任。以後、市内外で講談を披露。

2001年(平成13年)4月 「小松島市語り部協会・御伽衆」の竹内代表が新作講談「庚申の新八」を書き下ろし。NHKテレビ「情報交差点徳島」で披露。


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