阿部知二コーナー

美作 阿部知二を知る会 活動概要

『マイタウン美作』に阿部知二の記事載りました。

TOPページへ>・<次ページへ


阿部知二 (あべ ともじ)
1903.6.26~1973.4.23 (明治36~昭和48)
英田郡美作町中山出身

小説家・評論家・英文学者。勝田郡湯郷村で生まれ、教師だった父の任地出雲で幼時を過ごした。
父の転任で姫路市に移り、姫路中学校、第八高等学校を経て、東京帝国大学英文科を卒業。
在学中同人雑誌「朱門」に『化生』を発表し、1930年(昭和5)「新潮」に『日独対抗競技』を発表して文壇に認められる。
一方で評論集『主知的文学論』を刊行して評論家としても注目を浴びた。
‘35年(昭和10)「文学界」同人となり、『冬の宿』を発表、当時の知識層の心を強くとらえ、作家的名声を確立した。
その後『幸福』、『北京』、『街』、『風雪』、『旅人』などの長編を世に送り、この時代を代表する中堅作家の一人となる。
’41年(昭和16)徴用令をうけて陸軍報道班員となり、ジャワへ派遣されて翌年12月帰国。
その後は姫路に住み、’50年(昭和25)に上京し、第一回世界ペンクラブ大会に日本代表の一人として参加する。
生涯、平和論を強く訴え、進歩派陣営の代弁者の一人として種々の社会活動に参加した。
哲学者三木清の生涯を描いた『捕囚』の執筆中、病没した。
小説のほかに、数多くの評論、研究、翻訳を発表、主なものは『メルヴィル』、『文学論』、『バイロン』、
『現代の文学』、『白鯨』、『ジェイン・エア』、『お気に召すまま』などがあり、作品集に『阿部知二全集』(全13巻)がある。
/井上奈緒 
               山陽新聞社発行「岡山県歴史人物事典」より



阿部知二生家跡

 美作勝間田線、小縄手池の信号から勝間田方向へ約300メートル先の左側にあります。

阿部知二生家跡の立て札


阿部家の墓地

阿部家の本家「阿部方一」氏宅の裏山の墓地に兄公平氏のお墓に並んで父良平氏母もりよさんのお墓がひっそりと建っています。
 「山かげに氷雨ふりそめ松原の
        幹のむら立ち濡れわたる音」
 「ゆう山の森のおくどに亡きひとを
           埋めてをれば霰ふるなり」
 二つのお墓は阿部知二の建立で、歌2種は兄公平氏を葬ったときを回想して詠んだもの。

 阿部知二氏本人のお墓は東京にあります。


下の写真は同じく左ご両親、右兄公平氏のお墓です。


現在の阿部家
美作町中山606番地
知二の本家筋にあたる阿部方一氏のお宅があり、美作町教育委員会が立てた 「阿部知二生家跡」と記したささやかな木製の表示板がある。これに気づいている人は少ない。

 知二氏長男良雄氏次男信雄氏は東京に在住。


講演会のお知らせ講演会
  『美作と阿部知二』
講師 森本 穫先生
       「阿部知二 原郷への旅」の著者
        賢明女子学院短期大学教授
        阿部知二研究会事務局長
日 時  平成11年3月6日(土)午後2時より4時まで
場 所  美作町町民センター 三階大会議室 (入場無料)
講演要旨
昭和5年、新興芸術派の旗手としてあざやかに文壇に登場した阿部知二は、昭和48
年、71歳で亡くなるまで、常に文壇の第一線で活躍した寵児であった。名作「冬の
宿」をはじめ、「日本のじぷしい」「風雪」「女の園(原題・人工庭園)」など、数
多くの人気作品があり、映画化された作品も多い。
その知二は、明治36年6月26日、勝田郡湯郷村中山(現、美作町中山)に生まれ
た。母は「もりよ」という名で、古くから中山に住む阿部家(当主阿部方一氏)の一
族である。
父良平は、河辺村日上(ひかみ)、現在、津山市日上の原田家(当主原田武蔵氏)の
次男として生まれ、阿部家に婿として入った人である。検定試験によって各地の小学
校、やがて母校勝南高等小学校、そして文部省検定試験(文検)に合格して中学校教
師となった。
知二は、父が米子中学校教師に栄転したので、生後60日で故郷の美作を離れ、米
子、杵築(現在の島根県大社町)、姫路と父の任地で少年時代を過ごしたが、知二の
文学を育んだ根は美作の人々にあった。
知二の文学に大きな影響を与え、夭折した兄公平、父母なども美作町中山の墓地に
眠っている。
今回は、そうした知二の文学に影響を及ぼした阿部家の人々と、知二の複雑な生い立
ち、そしてその文学の特質などをお話したい。
知二を産んだ美作の方々と顔を合わせ、いろいろな交流ができることを楽しみにして
いる。
      ご来場をお待ちしております。!!!!!
                阿部知二を知る会(08687−2−2100)
 

TOPページへ>・<次ページへ