永見右衛門
ながみ・うえもん

【生没】?−1622(元和8)
【実父】永見長次
【実母】永見長次の妻
【略伝】
 松平忠直の家臣。
 父右衛門長次は結城秀康に仕えて1万5000石を与えられていたが、1607(慶長12)年の秀康没後に殉死したため、家督を継承し、秀康の後継松平忠直に仕える。
 1622(元和8)年、忠直が母に懸想したのを母子ともに拒絶し、母子ともに忠直に成敗された。
【特記】
【配役】Tweet
福田賢二(20) 葵 徳川三代(2000・NHK)役名は永見右衛門佐

永見大蔵
ながみ・おおくら

【生没】1632(寛永9)−1701(元禄14)
【出身】豊後国
【実父】松平忠直
【別称】永見長良
【略伝】
 越後高田藩(松平家)の家老。
 父忠直の配流先である豊後で誕生。後に異母兄で越後高田藩主松平光長に召し出されてその家老を務める。
 1674(延宝2)年の光長の嫡男綱賢の死を契機に光長の後継問題が発生すると、光長の甥に当たる小栗掃部を推すその父で家老の小栗美作一派と激しく対立。小栗一派が敗れ、兄長頼の子万徳丸(綱国)が世子となった後も、小栗の排斥運動を続けるが、小栗の工作を受けた幕府大老酒井雅楽頭の裁定によって逆に長州藩毛利家に預けられた(越後騒動)。
 しかし、翌年に幕府将軍に就任した徳川綱吉が越後騒動の再吟味に乗り出して喧嘩両成敗の裁断を下した結果、翌1681(天和元)年、八丈島への流罪となり、1701(元禄14)年、八丈島を襲った飢饉で餓死した。
【特記】松平氏(越前家)略系図
【配役】Tweet
森田 肇 風雲越後城(1940・新興)
高野真二(44) 水戸黄門(第1部)(1969・TBS)
武内 亨(72) 元禄繚乱(1999・NHK)
木村康志(48) 大奥 永遠 右衛門佐・綱吉篇(2012・松竹)

永見長次の妻
ながみ・ながつぐのつま

【生没】?−1622(元和8)
【略伝】
 結城秀康の家臣永見右衛門長次の妻。
 1607(慶長12)年の秀康没後に長次が殉死すると、剃髪したものと思われる。
 しかし、1622(元和8)年、主君松平忠直の目に留まって側室に上がるよう求められ、子の右衛門とともにこれを拒絶したため、母子ともに忠直に成敗された。
【特記】
【配役】Tweet
阿部朋子(37) 葵 徳川三代(2000・NHK)役名は順照尼

大河ドラマ+時代劇 登場人物配役事典