原市之進
はら・いちのしん

【生没】1838(天保9)−1867(慶応3)
【出身】常陸国
【実父】原雅言
【実母】外岡氏女
【別称】
【略伝】
 水戸藩校弘道館で藤田東湖会沢正志斎らに学び、1853(嘉永6)年には江戸に出て幕府の昌平坂学問所に入る。1855(安政2)年に水戸に戻って弘道館館長に就任したが、後に水戸藩より一橋家に入っていた徳川慶喜の側近となる。
 1866(慶応2)年の慶喜の将軍就任後は幕臣に取り立てられるが、翌1867(慶応3)年8月、京都にて幕臣鈴木豊太郎らによって暗殺された。
【特記】
【配役】Tweet
小山源喜(53) 竜馬がゆく(1968・NHK)
田中明夫(48) 勝海舟(1974・NHK)
河野洋平(44) ええじゃないか(1981・松竹)
森塚 敏(56) 雄気堂々(1982・NHK)
山口祐一郎(42) 徳川慶喜(1998・NHK)

原惣右衛門
はら・そうえもん

【生没】1647(正保4)−1703(元禄16)
【実父】原定正
【実母】和田帯刀女
【別称】原郷右衛門(芝居)
【略伝】
 赤穂四十七士の一。
 岡島八十右衛門の兄。出羽米沢藩に仕えていた父定正が故あって浪人したため、自らは1675(延宝3)年より播磨赤穂藩に仕え、足軽頭などを務める。
 1701(元禄14)年、主君浅野内匠頭が江戸城内において高家吉良上野介に刃傷に及んだ際には江戸にあって、伝奏屋敷に持ち込んでいた浅野家の道具類を運び出す指揮をとり、手際の良さに幕府目付衆が感心したという。そして、浅野家屋敷からそ夜のうちに早駕籠に乗って大石瀬左衛門とともに赤穂へ出立し、事変の第二報を伝えた。
 赤穂城の開城をめぐっては家老大石内蔵助に同調して殉死を主張し、恭順開城を主張する家老大野九郎兵衛に詰め寄って退去を迫る。その後、内蔵助から仇討ちの存念を聞かされ、神文を提出して開城に同意したが、吉良への早急な仇討ちを強硬に主張する江戸の急進派の慰撫を内蔵助に依頼されて中村勘助らとともに江戸に下った際には、中村とともに逆に急進派に説得されて一時はこれに同調するなど、直情的な性格であったという。
 1702(元禄15)年12月の吉良邸への討入りに際しては表門隊に属し、不破数右衛門三村次郎左衛門とともに吉良の寝所を確認したが、討入りの際に足を捻挫してやがて歩行不能となったため、引き上げの際には駕籠を使ったという。その後、細川越中守に預けられ、翌1703(元禄16)年2月、幕府の命により細川邸にて切腹した。
 なお、惣右衛門の母は病死と伝わるが、実は義挙を励ますための自害という。
【特記】
【配役】Tweet
中村栄花 実録忠臣蔵(1922・松竹)
曽根鶴夫@ 実録忠臣蔵(1926・映画)
徳川良太郎 人間定九郎(1926・映画)
曽根鶴夫A 増補改訂忠臣蔵(1927・映画)
中村東之助 忠魂義烈 実録忠臣蔵(1928・映画)
瀬川路三郎(36) 元禄快挙 大忠臣蔵(1930・日活)
玉島愛造(40) 名槍血陣譜(1930・映画)
堀 正夫(28) 忠臣蔵(1932・映画)
沢村琴之弼 少年忠臣蔵(1933・映画)
尾上松緑(39) 魂の影絵(1934・映画)
藤川三之祐 忠臣蔵(1934・映画)
和田宗右衛門@ 元禄快挙余譚 土屋主税 雪解の巻(1937・映画)
和田宗右衛門A 元禄快挙余譚 土屋主税 落花の巻(1937・映画)
月形龍之介(36) 忠臣蔵(1938・日活)
鬼頭善一郎(44) 忠臣蔵(1939・映画)
大国一公(40) 赤穂の人妻(1940・日活)
坂東調右衛門@(45) 元禄忠臣蔵(1941・松竹)
坂東調右衛門A(46) 元禄忠臣蔵 後篇(1942・松竹)
清川荘司(41) 三尺左吾平(1944・映画)
原聖四郎(50) 赤穂義士(1954・大映)
河野秋武(43) 忠臣蔵(1954・映画)
尾上華丈(58) 赤穂浪士(1956・東映)
原 健策(51) 悲恋おかる勘平(1956・映画)
土屋詩朗(56) 琴の爪(1957・東宝)
2市川小太夫(55) 大忠臣蔵(1957・松竹)
葛木香一(68) 忠臣蔵(1958・大映)
7嵐吉三郎(64) 忠臣蔵 暁の陣太鼓(1958・松竹)
御橋 公(64) 血槍無双(1959・映画)
宇佐美淳也(49) 忠臣蔵(1959・東映)
笈川武夫(54) 槍一筋日本晴れ(1959・映画)
明石 潮(63) 赤穂浪士(1961・東映)
香川良介@(66) 忠臣蔵(1962・東宝)
冬木京三 赤穂から来た浪人(1963・NTV)
7中村福助(36) 赤穂浪士(1964・NHK)
原 京市 忍法忠臣蔵(1965・映画)
志村 喬(63) お庭番(元禄十四年・元禄十五年)(1968・NTV)
美川陽一郎(51) あゝ忠臣蔵(1969・KTV)
香川良介A(75) 大忠臣蔵(1971・NET)
垂水悟郎(48) 元禄太平記(1975・NHK)
安井昌二(50) 赤穂城断絶(1978・東映)
小林昭二(49) 赤穂浪士(1979・ANB)
矢野 宣(54) 峠の群像(1982・NHK)
下川辰平(57) 忠臣蔵(1985・NTV)
藤岡琢也(58) 忠臣蔵 いのちの刻(1988・TBS)
林 成年(58) 大忠臣蔵(1989・TX)
伊東四朗(53) 忠臣蔵(1990・TBS)
小野寺昭(48) 大石内蔵助 冬の決戦(1991・NHK)
松村彦次郎(64) 忠臣蔵(1991・CX)
中村敦夫(54) 四十七人の刺客(1994・東宝)
川谷拓三(53) 大忠臣蔵(1994・TBS)
和崎俊哉(58) 忠臣蔵(1996・CX)
結城市朗(65) 炎の奉行 大岡越前守(1997・TX)
今福将雄(78) 赤穂浪士(1999・TX)
井川比佐志(63) 元禄繚乱(1999・NHK)
酒井敏也(41) 携帯忠臣蔵(2000・東宝)
五王四郎(53) 水戸黄門(第28部)(2000・TBS)
新 克利(61) 忠臣蔵 1/47(2001・CX)
楠 年明(69) 忠臣蔵 決断の時(2003・TX)
沼田 爆(63) 最後の忠臣蔵(2004・NHK)
成瀬正孝(54) 忠臣蔵(2004・EX)
ミッキー・カーチス(69) 忠臣蔵 瑤泉院の陰謀(2007・TX)
藤沢徹衛 忠臣蔵 音無しの剣(2008・EX)
大石吾朗(66) 忠臣蔵 その義 その愛(2012・TX)
松本 薫(65) ちかえもん(2016・NHK)
徳井 優(57) 忠臣蔵の恋 四十八人目の忠臣(2016・NHK)

原 虎胤
はら・とらたね

【生没】1497(明応6)−1564(永禄7)
【実父】原友胤
【別称】原美濃守
【略伝】
 武田家の家臣。
 1517(永正14)年、下総小弓城主だった父友胤が足利義明に敗れて居城を失うと、ともに甲斐へ逃れて武田信虎に仕える。
 1541(天文10)年の信虎の嫡男晴信(信玄)による信虎追放の際は晴信に加担し、晴信の家督相続後は、晴信に従って各地を転戦。その勇猛さから「鬼美濃」と称された。
 1553(天文22)年、晴信より日蓮宗から浄土宗への改宗を迫られてこれを拒否したため、甲斐より追放される。その後、北条氏康を頼ったが、ほどなくして武田家に帰参した。
【特記】
【配役】Tweet
宍戸 錠(55) 武田信玄(1988・NHK)信濃志賀城の残党に殺害される設定
宍戸 開(41) 風林火山(2007・NHK)

原八右衛門
はら・はちえもん

【生没】?−1604(慶長9)
【略伝】
 はじめ上杉景勝に仕え、1600(慶長5)年に隣国最上領に侵攻して出羽谷地城を落とすが、逆に最上勢の包囲を受けてこれに降伏する。
 その後、最上義光に仕えたが、義光の後継に義光の次男家親を推し、1604(慶長9)年には義光に讒言して嫡男義康を廃嫡せしめる。しかし、後に讒言と知った義光により、処刑されたという。
【特記】
【配役】Tweet
宮田 光(57) 独眼竜政宗(1987・NHK)

原 長頼
はら・ながより

【生没】1544(天文13)−1600(慶長5)
【実父】原頼房
【略伝】
 織田信長に仕えて各地を転戦。1575(天正3)年の越前一向一揆の平定に活躍して越前勝山で2万石を与えられ、柴田勝家の与力となる。
 1582(天正10)年の信長の横死後は引き続き勝家に属するが、翌年の賤ヶ岳の戦いで勝家が羽柴秀吉に敗れると、秀吉方に転じて前田利家の与力となり、1585(天正13)年に伊勢国内で3万石を与えられ、1598(慶長3)年には美濃太田山城主となった。
 1600(慶長5)年7月、徳川家康が軍勢を率いて上杉攻めのために東下した隙に石田三成が挙兵するとこれに加担し、徳川方の伊勢長島城攻撃に加わったが、同年9月15日、美濃関ヶ原へ向かう途中で石田方敗北の報を得て西国へ逃亡。翌10月13日に自害して果てた。
【特記】
【配役】Tweet
小林久和(35) 利家とまつ 加賀百万石物語(2002・NHK)

原 昌胤
はら・まさたね

【生没】1531(享禄4)?−1575(天正3)
【実父】原昌俊
【略伝】
 武田家の家臣。
 1550(天文19)年、父昌俊の死により家督を継承し、昌俊と同じく陣場奉行を務める。
 1573(天正元)年の信玄没後はその後継勝頼に仕えたが、1575(天正3)年5月の織田・徳川連合軍との長篠の戦いで討死した。
【特記】
【配役】Tweet
清水のぼる(32) 影武者(1980・東宝)
岡村菁太郎(30) 武田信玄(1988・NHK)

原 昌俊
はら・まさとし

【生没】?−1549(天文18)
【略伝】
 武田家の家臣。
 武田信虎晴信の武田家2代に仕えて陣場奉行を務めた。
【特記】
【配役】Tweet
小林克也(47) 武田信玄(1988・NHK)

原マルチノ
はら・まるちの

【生没】1569(永禄12)?−1629(寛永6)
【出身】肥前国
【実父】原中務
【略伝】
 天正遣欧少年使節の一。
 幼少のころに洗礼を受けたものと思われ、1582(天正10)年、遣欧使節副使として渡欧し、ローマ教皇庁を訪問して教皇グレゴリウス13世との対面を果たす。語学に秀でており、ローマからの帰途に立ち寄ったインド・ゴアではラテン語による演説も行ってその名を上げたという。
 1590(天正18)年の帰国後は長崎などで布教に当たるが、その後の禁教政策の強化に伴って1614(慶長19)年にマカオに移った。
【特記】
【配役】Tweet
吉田次昭(24) 黄金の日日(1978・NHK)
田中 健(30) 関ヶ原(1981・TBS)
植松良介
柴田宗典
信長(1992・NHK)
大林丈史(55) アジアの瞳(1997・映画)
阿部 寛(33) 鏡は眠らない(1997・NHK)

原保太郎
はら・やすたろう

【生没】1847(弘化4)−1936(昭和11)
【出身】丹波国
【実父】原官次
【実母】
【別称】
【略伝】
 丹波園部藩士の子に生まれる。江戸に出て斎藤弥九郎の練兵館に学び、後に京都で岩倉具視の知遇を得、1868(明治元)年からの戊辰戦争で岩倉の次男具定が東山道先鋒総督となると、その縁から副巡察使(副軍監)に任ぜられて東下。同年閏4月には、上野で小栗忠順の斬首を担当した(異説あり)。
 維新後は山口県知事、福島県知事などを務めた後に貴族院議員となる。1936(昭和11)年11月に90歳で没した際には、貴族院勅撰議員の中では最年長者であった。
【特記】
【配役】Tweet
中田耕二(38) 大東京誕生 大江戸の鐘(1958・松竹)
鵜口了一 勝海舟(1990・NTV)

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