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    ● 2002/3/25 息子死亡 少しずつ判ってきた部活の真相と実態 

    ● 「絶対泣き寝入りはやめよう」と決断するまでの苦しくて長い日々…

    ● このページは17才と11ヶ月でこの世を去ったある少年の記録です。

     

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息子事例

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最近の更新 ↓

☆2013/2/18(月)更新  大阪桜宮高校の事件によせて ☆

  

年が明けてこの問題が騒がれてから、もう2月も半分以上経ってしまいました。

生徒の尊い命が失われた、この事実に、

大きな痛みで胸が激しく痛み続けたまま、現在に至っております。

悲しくて、気持ちを表す言葉が見つからないのです。

 

 

当初より、 多くの報道機関の方々から、少し似た案件ということで、取材依頼がきておりましたが、時間的な問題もあり、しっかりお話ができなかった方もおります。お受けできなかったみなさまには、この場でご連絡いただいたお礼とお詫びを申しあげます。

 

 

また、いろいろな方面から、今まで以上のご心配をいただき、私たち両親の気持ちに 共に より添ってきていただいている方々に、改めて大きな感謝を申しあげたいと思います。

 

 

実は、サイトの元が支障をきたし、しばらくこのパソコンを更新できない状態にありました。

ようやく更新ができました。

 

また、今までにメールをくださった方のなかには、お返事が出せなかったことも、この場をかりてお詫びを入れさせていただきます。

お詫びばかりで、本当に申し訳ありません。

 

スポーツ指導のありかたとは? を、考えていただきたい

と、世に問いかけてから、

2005年9月に裁判を終えて、7年余り経ちました。

見えていることに対してだけで、書くことをお許しいただけるなら、

 

厳しい指導=暴言や暴力が必要 ということには決してならない 

と思います。

未だに、「体罰」という言葉を容認する発言もあり、驚いています。

以前、書いた文の中に、同じ思いがあります。再度書かせていただきます。

「高校生ともなれば、一方的にふるわれる暴力や暴言に対し、絶対に納得はできないと思うときはあります。信頼関係がないから子供たちは指導者が感情でやっていると思うのです。

信頼関係がうまれていれば…そこがとても大事なことだと思います。

但し、では信頼関係があれば、暴力暴言は良いということは絶対にありません。

そもそも学校教育法で、禁止されています。

 

指導者と高校生には、絶対的な主従関係があります。生徒は逆らえないことを

指導者は分かっているはずです。

「熱心な指導」などというあいまいな言葉で絶対にとらえないで欲しい。

目に見える暴力暴言を許容していけば、相手は増長し、何でも許されると思うでしょう。

自分に与えられた権利だと勘違いするでしょう。

そして習慣化していき、やめられなくなります。この分析は違っているでしょうか。」

 

 

指導者はたくさん、考えてください、勉強してください。

そしてマスコミの方は、この指導で子供たちは本当に良かった、

という例を、紹介して、スポーツ指導のこれからのありかたを導ける、

みんなが知ることのできる報道をしてください。

迷っている指導者に、指導リスクを持たせてしまうのではなく、指導技術を考えていけるような報道をしてください。

 

今、一時の風で、後に沈静化してしまうことも心配です。

同じようなことが、絶対に起こらないよう、警鐘を鳴らし続けていくことが大切だと思います。

 

 

 

 

 

☆2009/1/20(火)更新  2007/10/18 校舎新築による慰霊碑移転について☆

2009/1/20(火)更新   2008/03/25 命日に新設置場所、農二慰霊碑訪問

☆2007/05/25(金) 2007/03/25 命日に農二慰霊碑へ行きました

☆2006/10/27(金) 裁判を終えて1年後の感想と検証 

 

☆2006/08/06(日) 被告側の対応3と感想に一部追記 

☆2006/07/31(月) 被告側の対応3と感想を一部更新 

             

☆2006/04/18(火)  3/11掲載朝日新聞山口支局記事UP 

☆2006/04/18(火)   農二慰霊碑写真を2枚追加更新 

☆2006/04/18(火)  被告側の対応 2と感想を一部更新 

☆2006/04/12(水)  被告側の対応 1と感想を一部更新  

 

 

更新 2009/1/20

2008 10/18 に書いたものをようやく更新

2007年9月下旬、農二顧問弁護士からこちら側弁護士のところへ連絡が入りました。『農二新校舎完成に伴い、これまで仮の設置場所であったメモリアル(慰霊碑)を移転します。』というものでした。

場所が2箇所提示してあり、どちらか1箇所を選択、という短い文章でした。

たいへん広く大きくなったラグビーコートの隅に赤い点が2つ提示されていました。この時は唐突ともいえる出来事になりましたが、新校舎ができれば、当然連絡が来るとも考えていたので、しっかり向き合う気持ちでした。

ところが、場所を確認し、話し合うため農二に足を運び、慰霊碑の設置場所が決まるまで、の10日間は、両親共に体調を崩してしまったほどの毎日でした。

ある程度の覚悟はしていたつもりでしたが、農二側の目線は、こちらの気持ちに向き合うということはなく、通過処理の出来事だったのでしょう。その経過と気持ちは書きたいと思いながらも落ち着くまでは、書くことができませんでした。

感情的な気持ちをそのまま勢いにまかせて載せる勇気もなく、落ち着くまで待ってから皆さんにお知らせしようと決めました。

結果、このページに文章とするまで、実に1年もの月日を必要としました。

 

ようやく更新いたします。

2008年3月22日、23日、25日、移転後に、確認もかねて、息子に想いをかけ続けていてくれる有志と連れ立って、移転した慰霊碑訪問をしてきました。

      →慰霊碑のページへ

2008-10-18(土)

 

更新 2007/5/25

★  2007/03/25(日)命日に農二慰霊碑へ出かけました

2007 3/25 今年も息子の命日になりました。

多くの方においでいただきありがとうございました。毎年息子を忘れることなく来てくださる方たちに、心から感謝しております。

午後になってから、21人の有志と共に息子農二慰霊碑へ向かいました。元ラグビーコートに新校舎が建って、数ヶ月後には完成しそうでした。

ラグビーコートは、以前の野球練習場に移り、すでにラグビー練習が日々行われている様子でした。

慰霊碑は ラグビーコートからは新校舎で遮られ、遠く木々におおわれて砂ぼこりをかぶっていました。その慰霊碑に、花をたむけ、21人で焼香をしました。

この慰霊碑の現状は、みなさまにホームページを更新しお伝えする気持ちを沈めてしまうほど、がっかりしてしまうものとなりました。

今日、月命日で息子の墓参りをし、ずいぶんと日が経ってしまいましたが、更新いたしました。

2007-5-25(金)

 

 

更新 2006/10/27↓

 

☆2006/10/27(金) 裁判が終わって1年経っての感想と検証 

 

裁判が終わって1年もの月日が流れています。そして今、毎日毎日テレビやマスコミで、いじめ自殺事件がすごい勢いで取り上げられています。学校現場の実態や先生のあり方にまで取材が入り始めています。失われていく命に気持ちが重なり何度も涙し、傷ついた心にまたメスが入り、心穏やかでない毎日です。

 

今振り返れば、手探り状態で、弁護士に導かれて夢中で闘ってきた裁判でしたが、終わったからこそ、いえ終わってみてようやく判ったことがたくさんありました。

 

まず、「裁判上の和解」とは、「およそ普通の感情をもった人間社会で理解する和解」とは、あまりにかけ離れすぎているということ。

お互いに心開いて握手というような世間常識ではないのです。むしろ沈静化させる手段に近いかもしれません。

もしいまだ係争中であれば、今現在の世間風を追い風としていたかもしれません。

しかたないと納得させようとしていますが、自分の無知さと和解への後悔が大きく、打ち消すことができません。

 

裁判後、『全国学校事故・事件を語る会』のメンバーの方から連絡をいただき、知り合いになったことは、その後の気持ちと検証に大きな影響をもたらしました。末尾ながら仲間に入れていただき、神戸まで何度か足をはこんでいます。(『全国学校事故・事件を語る会』でパソコン検索していただくと、どんな会かご理解いただけます。)もし裁判前か係争中に、ここの方々と知り合えていたら、「東京農大二高との闘いかた」も違ったものになったかもしれない、と思いました。

 

 「どの子も昌輝のような目には絶対遭わせない!」という提訴の時の信念を突き通すということは、指導者責任と学校責任を確かに明らかにし、公的謝罪をさせることである。それがない限り、裁判が次世代へのパスポートとして繋がらないのだ、と、今は確信するようになりました。それは対農大二高指導者や学校という個人的なことだけでなく、広い意味の対社会全体の指導者・学校への警告に繋がっていくはずでした。

 

しかしすでに裁判は終わっていますので、今更の繰言です。じゅうぶん承知のうえで書いています。

 

「和解条項の内容とお金を支払わせ慰霊碑を建てさせたことは勝利的和解だよ。」と言う人もいましたし、「これ以上の判決は出ないかもしれないよ。」という弁護士の言葉もありました。しかし「和解」は痛み分け、どちらが勝利なんて考えることは間違いなのではないか、と。

裁判などにはほとんどの人は無縁でしょうし、やってみるまでどんなものか解りません。学習したと考えるには、あまりに無理があります。なぜなら学習したことは次へ生かされますが、裁判はもう一回提訴とはいかないのですから。

 

 

裁判は終わっても、被害者の気持ちの行き場所は収まることはない。心穏やかな日々には遠い1年後ですが、提訴した時の強い信念は持ち続けられる精神力と体力は維持したいと思います。

 

今日は導入文ですが、これからも感想と検証は続けます。是非またこのページを訪問してください。

 

2006/10/27(金)

 

 

★  2006/03/25(水)命日に農二慰霊碑へ出かけました

2006 3/25 息子の命日でした。

多くの方においでいただきありがとうございました。

午後になってから、2005/12/27の訪問ができなかった人を含め、16人の有志と共に息子農二慰霊碑へ向かいました。午後3:50に到着 しました。

校庭目前にいた校長に「命日なのでお参りにきました。」と伝えましたが、たいへん驚いたように しかし我々を見ずに小さくうなずき、言葉かけのたった一言もなく 近づくこともなく 無視状態でした。

花と焼香をし、この後片付けられるならそれでも良いと思い 花は供えて帰ってきました。

学校長はじめ この対応には言葉が見つかりません。息子命日さえ 頭の隅にもないのですね。           3/27

 

 

  ★  2006/03/21(火) お知らせ  

 

月上旬に 「下関駅殺傷事件」 に関連した 『真の補償とは・・・誠意ある謝罪について』 という内容で、朝日新聞より取材をうけました。著作権などをクリアしましたら、UPいたします。

記事のなかには述べられていませんが、【「事件を風化させないこと」 「学校・指導者達に対し、警鐘を鳴らし続けていくこと」】 が 今の思いであること を伝えました。

 

 

 農大二高ラグビー部員事件 訴訟

 

 

両親が損害賠償提訴−−東京農大二高ラグビー部 /群馬

 東京農大二高(高崎市石原町)のラグビー部に所属していた男子生徒(当時17歳)が昨年3月、過呼吸を患い自殺したのは、同部の当時の監督らが健康管理義務を怠り、厳しい練習を強いたことが原因だとして、生徒の両親が学校法人や教員らに慰謝料など約7000万円の支払いを求める訴訟を26日までに、前橋地裁に起こした。

 訴状などによると、生徒は2000年4月に同校入学後、ラグビー部に入部。長時間練習や監督の激しい叱責(しっせき)などで、肉体的、精神的苦痛を受け、入部後まもなく過呼吸に苦しむようになった。しかし、監督らは生徒の病状を目の当たりにしながら両親に報告せず、生徒の病状を軽視して練習を続けさせていた。

2002年3月、生徒は同部の合宿当日に自宅で過呼吸を発症。母親が総監督に欠席を申し出たが「治ったら参加させてください」などと参加を強要されるなどし、精神的に不安定な状態になり、生徒はその後自殺した。両親は「重度の過呼吸を患っていた生徒を漫然と練習させ続けたことが死亡の原因だ」として提訴に踏み切った。

 これに対し、秋元正範校長は「生徒の自殺は非常に心苦しく、重く受け止めている」としながらも、「死亡に直接つながる指導はなかった」などとしている。【杉本修作】(毎日新聞)

 

『2003年9月27日 記事より』

掲載他2003/9/26上毛新聞・2003/9/27朝日新聞・2003/9/27読売新聞・2003/9/27産経新聞・群馬テレビ・FM群馬等

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                 ★   2006/2/4  慰霊碑 更新

 

                 ★  12/28 (水) 慰霊碑についてのお知らせ  

 

今日の上毛新聞・毎日新聞・東京新聞に慰霊碑を訪れた記事が掲載されています

★今月中旬、農二側弁護士よりこちらの弁護士へ 『12月25日に碑が完成します』と通知されたそうです。しかし通知だけでした。来校の誘いもなにもありません。

12月25日に出来上がったことを26日に確認し、急きょ 『12月27日(火)3:00に慰霊碑を見に行きたい』 とこちらの弁護士と段取りをして、昨日27日 約20人の皆さんと一緒に農二へ行きました。

皆さんも承知のことと思いますが、農二関係者は、全国大会のために全員大阪に行っている時期です。「年内中の完成」通りではあるかもしれませんが、完成がなぜ ラグビー関係者の居ないとわかっているこの時期なのでしょうか?

息子の慰霊碑に、互いに向かい合ってこそ、本当の和解になると思いました。しかし農二側T弁護士1人の立会いだけでした。

日をおって、慰霊碑についての感想はUPしていきます。

27日当日 農二側 T 弁護士に直接聞いたところ、「除幕式の予定は全くない、和解条項の以上も以下もない。」との返答でした。つまり和解条項に書いてないことは全くしないということです。

法的には主張は当然なのでしょうか?私達のもっていきどころのない感情はどうにも修まらないままです。

新聞掲載の写真に写っている持って行った献花と焼香に対し、「明日撤去します」 と言われました。帰るとき、哀しみを抱え この献花と焼香を持ち帰ってきました。強風で吹き飛ばされるかもしれないからという理由はもっともですが、物言いのものごしや含みで心は十分傷つき痛みます。

私達にとっては、「息子の慰霊碑」です。 しかし農二にとっては ものすごくかけ離れた思いの慰霊碑なのだ、と確信しました。

 

                 ★ 2006/1/4 武田さんサイトへのリンク更新 

                12/01 (木) お知らせ  

 

★@ 週刊「AERA」 No.60号 「過呼吸」の先にある危機 記事を掲載しました。

★A「日本の子どもたち」 武田さんというサイト で、 息子の事件を取りあげてくださいました。

「わたしの雑記帳」下記↓です。

05/10/23

部活動における「過呼吸」の陰にひそむ問題 (2005/10/29追記)

息子事件に関しての意見を述べてくださっています。是非訪れて読んでください。

               ★ 11/21 (月) お知らせ ↓  

息子亡き後、同期生が指導者に対し提出した 主な抗議文 をUP しました。

                   ★ 11/07 (月) お知らせ ↓  

★@週刊「AERA」 本日11・7発売No.60号「過呼吸」の先にある危機 の記事の中で(p34、p35) 息子事件を取りあげてくださいました。AERA記者から申し入れがあった時はビックリしましたが、記事の社会性あるテーマを知って安心しました。 

            2005/10/19更新 :裁判用陳述書 甲第32号証をUP

 10/7と10/14:UPした裁判用陳述書・甲第16・33・43・5号証につづき追加UPしました。

 10/07:裁判経過の「感想」に追記しました

  

裁判結果についてのお知らせ!

裁判後の事後報告のUPですが、出来ているものから少しずつ更新します。

前回7/22の裁判で、裁判所から 突然ともいえる職権和解案=裁判所が和解案を作って出す が出されました。驚きました。

私達は 6/10 の時点から証人尋問へ移行していく覚悟でしたので、証人尋問で白黒という明確な結果を出していただき、指導に間違いがあったと「学校からの謝罪が欲しい」この本音は全く揺るぎません。

しかし裁判長は、息子の命の尊さに触れ、「この事例は、白黒をつけるだけのものにしたくはない。それよりみんなの記憶に残してこそ意味のあるものになる。」と前回の裁判で両親に気持ちを伝えてくれました。とても深い言葉でした。納得できたなんてとても無理ですが、代理人弁護士のアドバイスもあり、裁判所の姿勢には従わざるを得ませんでした。

農二側が裁判所に対し、対応をどうするかは全くわかりませんでしたので、正直なところこの結果にたいへんな驚きもあります。

当日裁判に、校長、教頭が出廷して来ていましたが、和解内容とは対照的に 両親及び支援してくださっているこちら側の多くの傍聴人を見ることも視界にさえいれることもない校長、教頭の強硬な姿勢態度にため息が出ました。3人の指導者は、1度も出廷したことがありませんでした。

少しずつになると思いますが、和解内容、そして裁判後の新聞記事一緒に闘ってくれた同期生達みなさんの陳述書などを全て本人の了解を得て載せていきます。読んでいただきたいと思います。

 2005/09

 

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