自己紹介

エコグラムの結果はこちら。(高校同級生のとあるおじさんのページから。)

出来事
1961年5月7日 岩手県水沢市生まれ
2歳 父(高校数学教諭)の転勤(水沢高校から盛岡第一高校)にともない、盛岡市に移住。
幼稚園 つつみ幼稚園(盛岡市)に入園
幼稚園 足踏みオルガンを幼稚園でグループで習う。たまに回ってくるピアノ伴奏の挨拶(TX7T)の当番では本物のピアノを弾かされて、鍵盤が重すぎることを実感した。
小学校 盛岡市立青山小学校に入学
なんと、1学年11クラス(12クラスだったかな?)あった。
小学校低学年 ピアノを習う
小学校3年生 青山小学校生徒分割によって新設された、盛岡市立城北小学校に移籍
小学校4年生 父の転勤(盛岡第一高校から大船渡高校)にともない、大船渡市に移住。大船渡市立盛小学校に転入。
小学校4年生 小学校の鼓笛隊で、小太鼓を担当(練習は厳しかった!!)
同じく小学4年生 野球部に所属
野球で友達や先輩と遊んでいて、キャッチャーをやっていたところ、たまたま2塁に牽制球を投げたらまともにセカンドの人のミットに収まってしまって(まぐれ)「強肩だ!!」と噂されてしまった。「野球部に入れ」と言われて入ってしまった。その小学校には剛速球投手がいて、本当のことを言うと、ひどく怖かった(^ ^;。バットも近くで振るもんだから(あたりまえだ)怖くて怖くて(小心者)恐怖との戦いだった。
小学校4年生だったか5年生? 大船渡市の小学生水泳大会で背泳で市のタイ記録を出し、第1位に輝く。水泳は好きなのだが、クロールの息継ぎができなかった。息継ぎが楽な背泳を選んだのだ。
小学校5年生 音楽のテスト(聴音もした)で学年トップの成績を取ってしまって器楽クラブにスカウトされる。器楽クラブに入る前は放課後音楽室から聞こえてくるその器楽クラブの練習の音楽を聴いて、あまりの美しさに感心していた。
担当楽器はユーフォニューム
曲目はモーツァルトの「フィガロの結婚」序曲
練習が進んで、まともに曲ができるようになってから、なぜか覚えていないが、先生のお宅に伺った。その時に聞いたNHK交響楽団の「フィガロの結婚」序曲は、自分たちの演奏とは全然違う、ふわっと雲のようにとても柔らかい感じで、愕然とした。
小学校6年生 盛岡市立城北小学校にふたたびもどり、ブラスバンドでトロンボーンを担当。そのブラスバンドは、トランペット隊のようなもので、たいていの生徒はトランペットを吹いていた。トロンボーンを担当するのはその生徒達にとってあこがれのような感じに思っていたらしく、うらやましがられた。
同上 盛岡の伊藤楽器店で(その当時は古い店構え)当時岩手大学の学生だった佐々木修先生にトランペットを習う。
その時初めてモーリスアンドレ・バック・アーバンを知る。そのときからマウスピースを10本くらい買い、伊藤楽器店の新店舗建築の貢献をする。(笑)
同上  岩手県民会館落成記念事業?「第九を歌う会」で濱田徳昭先生指揮岩手県民オーケストラとベートーヴェンの第九を歌う
 その際、前岩手県合唱連盟理事長松田晃先生(当時岩手県立盛岡短期大学勤務)が合唱練習指導をされていて、私の音楽の基礎を築いてくださった。
同上 盛岡市内の小学校水泳大会で、背泳3位に入賞。やはり盛岡はすごかった。(大船渡で1位でも盛岡では3位)
中学1年生 盛岡市の「つつみ幼稚園」で、音楽大学進学のための基礎講座を、岩手県ピアノ協会渡部精治先生が開いており、そこで毛頭先生に楽典・掛川先生と牛越先生にコールユーブンゲン・渡部先生他にピアノ・箱石啓人先生にトランペットを師事する。
中学生  「第九を歌う会」に引き続き、その会が「ヴェルディのレクイエムを歌う会」・「バッハのマタイ受難曲を歌う会」と発展していき、両曲を濱田徳昭先生指揮岩手県民オーケストラと歌う
同上  岩手県の中学校スケート大会でスピードスケート500m第2位。はは、自慢。
 そのころは岩手県営スケート場がオープンしたてで、岩手県のスケートが始まったばかりだった。故に自己流の私でも県で2位に入ることができたのです。
 しかし、中学の時に青森県八戸市から転校してきたあいつがいなかったら1位をとっていたのに・・・・残念。八戸市はそれ以前からスケートが盛んな地域で、そいつはかなりフォームもきれいでとても太刀打ちできなかったのだ。
中学3年生 盛岡市立北陵中学校を校卒
高校1年生 岩手県立盛岡北高校に入学
同上 バックのトランペットを箱石先生の紹介で国立楽器から購入
同上  中学当時からの同級生である佐々木修(後に東京芸術大学声楽科卒業)氏と現岩手県中学校音楽教師(山田中学校から2005年滝沢第二中学校に異動になった音楽教師の)ただひでや氏と交流を深める。ただ氏の家で聞いた「カルミナブラーナ」の白鳥のカウンターテノールはそれまで聴いてきたクラシックのイメージを刷新する音が聞けて爆笑した。あまりにも情けない声。
 このころから新しい音楽をひたすら聞きまくり、チャイコフスキー・マーラー・ストラヴィンスキー等をスコアを元につたない分析を始めた。特に、チャイコフスキーのピアノコンチェルトの冒頭の部分、バスが下降形をとっていること、属七以上の複雑な和音を使っていること、そして、ストラヴィンスキーの「春の祭典」でEのTの和音とE♭のTの和音が同時にHrn8本によって同時にならされていること、また、「ペトルーシュカ」において、CのTの和音とF♯のTの和音(非常に遠い関係の和音)が同時に鳴らされていたり、それが分散和音でピアノで弾かれていること、それがDのTの和音によって解決されていることを知り、非常に感銘を受けた。すごすぎる!!
 しかし、後にもっと斬新なケージとかシェーンベルク、ベルク、ウェーベルンなどがいて、とても高校生の私では解析できない世界があることも知る。←まだまだ修行がたりん。
 同時に、音楽大学のピアノ科の入試の課題曲でよく出てくるバッハの平均率のグレングールドのレコード(当時はCDではなく、レコードだったんですね)と?のドビュッシーのピアノ全集を父親に内緒で購入し、ひどくしかられた。1枚2,500円のものを何枚も買ってしまいました。ごめんなさい。
 副科ピアノの課題曲より、ドビュッシーの小品とか練習曲(とても弾けないが、10倍くらいの遅いテンポで楽しんでいた)を弾く方が楽しかった。
同上 吹奏楽部が岩手県の吹奏楽コンクールで高校小編成の部で最優秀賞に輝いた。元東北吹奏楽連盟理事、現全日本吹奏楽連盟名誉会員の大宮司先生が同吹奏楽部顧問に着任され、様々なアドバイスをいただいた。そして、最優秀賞という大変名誉な成果を上げ、生意気な私たちを導いてくださった。
高校3年生 渡辺清治先生の(奥さんの)紹介で東京芸術大学教授であった中山富士雄先生に師事。唇の中央から力を抜くことをひたすら力説されておられ、私自身もひたすらそれに打ち込んでいた。そのころ東北新幹線がなかったため、急行「八甲田」と特急で東京に通った。高校の事務の方から学割をとるときに、「3年生の大学受験の学割が足りなくなるよ〜」と心配をおかけした。
同上 岩手県立盛岡北高校を卒業
浪人1年目  東京ドームの近くにある尚美学園専門学校の受験科(予備校みたいなところ、今はない)で、読売交響楽団のトランペット奏者の山口しんいちろう先生に師事する形になった。実際には中山先生に習っていたため、レッスンは一度も受けてはいない。
 尚美ではソルフェージュトップクラスにギリチョンで入り、結構自慢。はは。(しかし、桐朋では下から2番目のクラスであった。(^o^;
 そのころ、ソルフェージュに、東京芸大付属高校でもソルフェージュを教えていた作曲家の西村朗先生が尚美にもいらしていて、直接ソルフェージュを習うことができた。そのころは、今みたいに有名になるとは思っていなかったので、一緒に写っている写真を撮っておけばよかったと後悔している。すばらしい人柄で、生徒の間でも超人気の先生だった。しかし、自分が作った(作曲した)めちゃくちゃ難しい課題(聴音)を出していただき、みんな「何じゃこりゃ」状態だった。ケチャ関係の事も話しておられた。
 師曰く、「例年このAクラスには(最上級クラスの名前)何でもとれるやつがいたが、今年は不作じゃ」
 浪人2年目の尚美受検科の同窓会にも来てくださり、一緒にお酒を飲ませていただいた。
 このころから太り始める。(現在は昨年5月にはかったときに90kgあった体重を72kgまで減量。その話はまた後で、このホームページで紹介しませう・・・・)
東京文化会館で行われた桐朋学園大学音楽学部マスターオーケストラ定期演奏会(小澤征爾指揮)でのメンデルスゾーンのイタリア と、ストラビンスキーの春の祭典を聞き、感銘を受ける。
浪人2年目 浪人1年目で知り合った安立賢介君の紹介で、そのころちょうどドイツから帰国された田宮堅二先生に師事することができた。
大学1年生 桐朋学園大学音楽学部演奏学科トランペット専攻入学
同上  403教室で初めてマスターオーケストラの練習を見てびっくり。練習の曲目はラベルのダフニスとクロエ第二組曲。さっきまでがやがやしていた教室が、指揮の先生が棒を振るとまるで別の世界。私にとって初めての音楽大学生によるオーケストラ。演奏が始まった瞬間、その教室はフランスの音楽に満ちていた。ちょっとほめすぎかもしれないがフランス物が好きな私にとって、CDでしか聞いたことがなかったあの曲が身近な人達に演奏されることによって、もっと身近かに感じられる気がしたのです。その教室に満ち溢れた音楽を聞いているこの時、入学したばかりの私にとって桐朋学園大学を誇りに思うことができる瞬間でした。
 その後、私自身もBASICオーケストラ、レパートリーオーケストラ、マスターオーケストラにのせてもらい、数々の日本を代表する指揮者から、直接指導を受けることができました。
 斎藤先生のもと、指揮法を研究している桐朋学園大学は、数々の日本を代表する指揮者を育ててきました。その中で小沢征爾先生の存在はとても大きく、学生にとっても小沢先生の指揮で演奏できることをとても誇りに思っています。
 学生時代初めてオーケストラにのせていただいたとき、(BASICオーケストラでしたが)クラリネットに白川くんがいました。白川くんは自分のソロのカ所になると立ち上がらんばかりの演奏スタイルで、自分の持っている音楽を最大限に表現しようとしているのがわかりました。その姿を見て、とても快く思いました。白川くんは、卒業後ドイツに留学をして研さんを重ね、現在日本で活躍中です。
 私が在学中に演奏の面で最も尊敬している管楽器奏者は、なんといってもクラリネットの金井さんです。現在大阪のオーケストラで活躍中です。レパートリーオーケストラでストラヴィンスキーの「火の鳥」を練習しているとき、前半部分の、クラリネットとフルートなどの複雑な掛け合いを、見事にこなしていました。金井さんの音はとても美しく、私のクラリネットに対する音色の考え方は、金井さんによって決定付けられたといっても過言ではありません。
 そして、同級生に飯森範親くんがいます。彼は学生時代からとてもよく勉強する人で、多忙な指揮官の勉強を着実にこなしていたと思います。その中で、私の母校である盛岡北高校吹奏楽部に教えに来ていただき、大変お世話になりました。現在、題名のない音楽会やNHKのシャルルデュトワによる音楽の解説の番組出演、CDの録音、海外演奏など、非常に多忙な日々を送っているようです。
 そのほかに、トランペットの同級生に現在大分高校(音楽科がある)に勤務している竹内紀夫君や、キャニオンに12年間努め、この1999年に「株式会社オクタヴィア・レコード」を設立した音楽プロデューサー&レコーディング・バランス・エンジニアの江崎友淑君などがいました。いろいろとお世話になりました。
大学2年生  マスターオーケストラでブラームスの交響曲第1番で、1stトランペットを吹く機会に恵まれました。
 そのころのオーケストラの授業では、1つの演奏会で3曲演奏する際、その曲ごとのメンバーが決められました。その一曲一曲に沢山の第一線で活躍されている指揮者の方が指導する方式をとっていました。
 このブラームスのプログラムでは、なんと小澤征爾先生が指揮をなさるということで、小澤先生が初めて指導する日は管楽器の連中が練習が始まる1時間以上も前に練習会場(403号室)に集まっていました。
 小澤征爾先生が指揮をするこのコンサートは宮城の石巻と人見記念会館で開かれた。石巻に行く新幹線が数時間も遅れて出発。会場に着いたのは19時頃。もう開演の時間が過ぎている。リハーサルをしないわけには行かなかったので、結局満員のお客さんの前で公開リハーサルでした。「小澤征爾さんのリハーサルなんて滅多に見る事ができません。」などというアナウンスが入って私達も貴重な経験をさせていただきました。
 演奏会が終わって、レセプションです。ホテルの式場を借りて立食パーティーでした。その贅沢さを見て小澤先生が「このような事が普通だと思ってはいけない。学生など、何かを学ぼうとする人たちは常にハングリーでなきゃいかんよ。」と挨拶で述べられていました。 
大学生その他  桐朋学園のオーケストラはその他に、調布グリーンホール、東京厚生年金会館をはじめ、九州や大阪まで演奏旅行に行きました。九州の演奏会では初めて飛行機に乗り、わくわくしたのを覚えています。
就職1  大学を卒業して、オーケストラに入るような技量もなく、どうせだったら好きだったコンピュータの会社に就職しよう、と求人雑誌に目を通していました。もちろん、高校生からずっと遅刻してきた私にとっては朝遅く始業するところ。ただし、給料の高いところです。
 そんな都合のいい会社あるか。と、あったんです。そのころ好景気で売り手市場だった事もあり、そこに面接と一般教養の試験で合格しました。


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