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Burg Pfalzgrafenstein
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[ ブルク・プファルツグラーフェンシュタイン ] |
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プファルツグラーフェンシュタイン城 |
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~川中島の税関城~ |
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-目次- ●Kommentars / 解説●Mein Burgbesuch / 訪問記-2005年3月31日 |
Kommentars / 解説
ドイツ、ラインラント・プファルツ州、カウプの町、ライン川の中州、岩礁島「ファルケナウ[Falkenau]」に建つ城。
「Pfalzgrafen [プファルツグラーフェン]」は『プファルツ伯(伯爵)』、「Stein [シュタイン]」は『石』の意味。
ここより少し下流に、ライン川の名所ローレライの岩山があります。
1326~1327年にかけて、当時のプファルツ伯(選帝侯)ルートヴィヒ4世によって五角形の塔(現在の中央の塔)が建設され、ライン川を航行する船から通行税を徴収するための関所として使われ始めました。しかし中には通行税を払わずに強行する船もあったため、塔を囲むように六角形の城郭を作り、大砲なども備えるよう増築されました。
1754年12月20日にボヤ騒ぎがあり、建物は多少破損しましたが、翌年には修復され、ライン川沿いの城では、マルクスブルク城と同様、一度も戦争などの攻撃を受けず、破壊されることなく現在に至っています。
現在は、外壁には白色の漆喰が塗られ、まるで新築のような鮮やかな外観ですが、元々はくすんだ色の外壁でした。
現在はライン川博物館として公開され、城内は自由に見学可能です。
カウプの町から約30分おきに渡し船が出ていて、5分ほどで中州に渡れます。
(往復:大人2ユーロ、城は別料金 / 昼休みあり:月曜&12月休み)
注意: この城は河の中州にあり、ライン河右岸のカウプの町から渡し船が出ています。 船は往復料金で大人2ユーロ、城は別料金で大人2.10ユーロ 。
中州は広く、城の周囲も見て回ることができますが、河畔には転落防止用の柵などがありません。 ライン河のこの辺りは深く、流れも急で、水もかなり汚れているので、誤って落ちて流されて、レスキュー隊が出るような騒ぎを起こさないように注意しましょう。
城は自由見学で開放していますが、約一時間後に渡し船が迎えに来るので、時間に注意しながら効率よく見学しましょう。 日本語のパンフレットを貸してくれますが、中途半端な翻訳です。→日本語パンフレット |
Assoziierte Personen / 関連人物
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Ludwig IV. ルートヴィヒ4世
1282年生~1347年10月11日歿
(神聖ローマ皇帝在位:1328~1347) (ドイツ王在位:1314~1347) (プファルツ選帝侯在位:1319~1329) (ライン宮中伯在位:1319~1329) (上バイエルン公在位:1294~1347) (下バイエルン公在位:1340~1347)
プファルツグラーフェンシュタイン城を建設する。 1314年にルクセンブルク家のハインリヒ7世の死後に二重選挙が行われ、ハプスブルク家からフリードリヒ3世(美王)が、ヴィッテルスバッハ家からルートヴィヒ4世がドイツ王に選出された。
ローマ教皇ヨハネス22世とことごく対立し、皇帝戴冠も拒否されたため、1328年にローマへ赴き、元老院議員の手により戴冠した。 |
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Johaness XXII. / Ioannes XXII. ヨハネス22世 1244年生~1334年12月4日歿
(教皇在位:1316~1334)
本名はジャック・デュエーズ [Jacques Duèze]。 フレジュ司教、アヴィニョン司教を経て1312年枢機卿に就任、1316年に教皇に選出される。
ドイツ王ルートヴィヒ4世とことごとく対立し、彼の皇帝戴冠を拒否、さらに破門する。 |
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Gebhard Leberecht von Blücher ゲプハルト・レベレヒト・フォン・ブリュッヒャー 1842年12月16日生~1819年9月12日歿
プロイセン王国の軍人。陸軍元帥。ワールシュタット大公。 粗野で無鉄砲で無教養だったが、親分肌な人物で度量の広さと人望を備えていた。
ナポレオン戦争後半のプロイセン軍総司令官となり、ウェリントン公と共にワーテルローの戦いでナポレオンを破った。
1813年の大晦日から1814年正月にかけて、撤退するナポレオンとフランス兵を追って、カウプ及びザンクトゴアルスハウゼンからの船舶を集め、ロシア工兵と周辺住民の手を借り、素早く臨時の橋を造り、総勢6万人の兵士、2万頭の馬、220器の火砲と共にこの橋を渡り、ナポレオンを追撃した。 「ブリュッヘル」と表記されることもあり。 |
Mein Burgbesuch / 訪問記
2005年3月31日入城
リューデスハイムのエーレンフェルス城址を見学後、アスマンスハウゼンの町から鉄道でカウプの町を目指す。
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カウプ駅のプラットフォーム |
アスマンスハウゼン駅→ロルヒ駅→ロルヒハウゼン駅→カウプ駅と10分ほどで到着。駅のホームに降りると、いきなりプファルツグラーフェンシュタイン城の堂々とした姿が見えました。(思ったより大きいのね…)
ただ残念だったのは、城は工事中で足場が組まれ、養生が張ってあって、完全な姿を見ることができなかったことかな…。
川沿いに出て、中州まで航行している船に乗るため、船着場に行きます。
室内席のみの30人乗りくらいのかわいいボートで、船内には親子連れの観光客など15人くらい…(日本人は私一人)。しばらくして、船はエンジン音を立ててゆっくりと川を進み始め、5分ほどで城のある中州に到着しました。中州には、けっこー大きい木も何本か生えていて、どちらかというと川中島という方がしっくりくるかな…。
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さてさて待望の城へ…。
入り口は川の下流方向、カウプの町側、二階部分にあり、はしごのような階段が架かっていました。川も増水するだろうから、入り口も高いところに…ね。
城門をくぐると中庭があり、受付には40代くらいの陽気な
おばちゃんがいて、なにやらドイツ語で話しかけてくる。
意味が分からずオロオロしていると、そばにいた観光客の
おばあさんが、「Do you speak English?」。
私、「Ja、Ja、Japaner. (ヤーヤー、ヤパーナー:ドイツ語でハイハイ、日本人)」。
すると陽気な受付けおばちゃんが日本語のパンフレットを貸してくれました。
…なんだかトンチンカンなやりとりだったけど通じたみたい…。(^^;)
クリック→日本語パンフレット
パンフレットの説明文は、中途半端な翻訳で、部分的にドイツ語が混じっていたり、ム
リに訳したためにヘンテコな意味になっていたり…。
「Nr.5 ここにもう一っのカタパルトがあります。」
…あ、ありませんが…。(´ε`)
「中央の窓からプファルッ選侯帝のししの像を見ることが出来ます。1850年、ししの右足の部分が流氷できづつけられました。」
「ツ」が「ッ」になってるし…。「きず(傷)」が「きづ」になってるし…。
また「選侯帝」←日本では「選帝侯」というのが一般的のような気が…。
え?…ライン川って凍結するの?流氷が流れるようには見えないけど…。
流木か何かの間違いかなぁ…「木と水と氷」って字も似ているからねぇ…。(^_^;)
しし像は城の外側、上流に向かって舳先の部分にあるらしく、見に行きたかったけど、足場&養生で見れませんでした…。
パンフレットはツッコミどころ満載だったけど、せっかく日本語に訳してあるし、ドイツ語も英語もよくワカラン私にとっては役に立ったし、城内は自由見学というのが何より嬉しかったね~
(*^-^*)
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城内を一通り見学後、中州に出る…。
時刻は15:30、暖かい光が注ぎ、川は雪解け水で増水しているかと思ったけど、水量は普通で、川原では子供たちが騒いで 遊んでいて、穏やかな時間が流れていました。
中州からカウプの町に目をやると、丘の上にはグーテンフェルスの古城が…。
次は、あの城を目指します。
Ansicht aus Kaub / カウプ側からの眺望
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Innenhof / 内側 |
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Wehrgang / 回廊 |
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Dachboden / 屋根裏 |
城の外観は白く美しいイメージだけど、内部を見ると、窓は小さく、回廊も螺旋階段も狭く、装飾も必要最小限で、機能最優先という印象かな~。
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Ausstellungshalle / 展示場 |
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Wohnung / 居住 |
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Toilette / トイレ |
上流側には多少広めの部屋があり、大砲なども展示してありました。
通る船を威嚇していたのかな~…。
この城には当時、代官(所長)1人と、20人の税官吏が詰めていたそうです。
他にも質素ながらも、台所や居間、寝室などいくつかの部屋があり、宝箱や家具類が展示されています。これは代官の居住として使われ、ある時、代官の婦人がこの城内で出産をするという、おめでたい出来事もあったそうな…。
トイレはフタを開けると丸い穴があり、覗きこむと先にはライン川が…。
用を足すと、汚物はそのままライン川に流れるという、巨大水洗トイレとなっているのでありました…。
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Dachboden (Bergfried) / 屋根裏(主塔) |
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Backofen / パン焼き竃 |
ベルクフリート(主塔)は五角形、高さ34mで、中庭に独立した形で建っていて、二階部分から木造の渡り橋で入ることができます。
その手前の部屋には、1600年代に造られたという大きな竃があって、これでパンを焼いていたんですね~…。
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Ansicht flussabwaerts / 上流からの眺望 |
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Grundriss / 見取図 |
2009年3月3日入城
この日、二度目の訪問をしました。
前回の訪問の際は工事中だったため、改装が済んできれいになった城を見ようと再度訪問しました。
駅に到着して船乗り場に行っても、誰もいません…。ボートはあるのに…。
すぐ近くで対岸を結ぶ渡し船が到着したので、駆け寄って聞いてみると、約一時間後に川中島に運んでくれるとのこと。
それまでカウプの町を散策して時間をつぶしました。
いよいよ渡し船が到着して、城が立つ川中島ファルケナウに向かいます。
この時はまず対岸に到着後、川中島に接岸しました。
カウプの町(右岸)からヘンシュハウゼンの町(左岸)に渡した後、左岸から川中島までの様子
訪問客は私一人。自由に見学できるものの、一時間後に迎えに来るのであまりのんびりできません。
内部は前回の訪問時と変わっていないので、撮影した写真を動画にしてみました。
クリック→日本語パンフレット
Historie / 歴史
1214年 |
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ヴィッテルスバッハ家(後のバイエルン王家の一族)がプファルツ伯爵領を領有。 |
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1277年 |
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同家のプファルツ伯ルートヴィヒ2世がカウプとヘーエンブルク、関税徴収権を取得。以後1802年までその領下に留まる。 |
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1324年 |
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バイエルンのルートヴィヒ4世によって、カウプに都市権が与えられる。 |
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1326~ 1327年 |
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現在の中洲「ファルケナウ」に6階建ての塔を建設、川を航行する船から通行税を取り立てる。この時代には、中州より左岸側の河には所々に暗礁があったため、航路は中州より右岸のカウプ側を使っていた。 |
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1327年 |
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ルートヴィヒ4世の通行税徴収(しかも増税)を知ったローマ教皇ヨハネス22世との対立が深まる。教皇は、三度にわたって、マインツ、ケルン、トリーアの大司教に、『カウプ近くのライン川中州に建られた塔』の撤去を命じる。塔が撤去されなかったため、6月23日、教皇はルートヴィヒ4世を破門する。 |
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1328年 |
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ルートヴィヒ4世、神聖ローマ帝国皇帝に推戴される。 |
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1337~ 1342年 |
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ルートヴィヒ4世はカトリック教会の破門をものともせず、さらに拡張工事を行う。塔を囲むように厚さ2.6m、高さ12mの六角形の環状囲壁、大砲を据えた稜堡を備える。居住や牢獄なども建設する。 1339年には初めて『プファルツグラーフェンシュタイン城』と名付けられた。 |
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1607年 |
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城の上流部分に蛇腹形の稜堡が建設され、舳先にプファルツの紋章を持つ石製獅子像が飾られる。 |
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1754年 |
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12月20日朝、居住部分より火災が発生、城内の兵士や市民などが消火作業にあたり、数時間後に鎮火する。 |
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1755年 |
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城の破損した部分が再建される。塔には特徴的な屋根が建設される。 |
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1803年 |
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ナッサウ公国領となる。 |
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1813~ 1814年 |
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ナポレオン戦争の際、撤退するナポレオンとフランス兵を追って、プロイセン元帥のゲプハルト・レベレヒト・フォン・ブリュッヒャーはカウプ及びザンクトゴアルスハウゼンからの船舶を集め、ロシア工兵と周辺住民の手を借り、素早く臨時の橋を造り、総勢6万人の兵士、2万頭の馬、220器の火砲と共にこの橋を渡り、ナポレオンを追撃した。 |
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1866年 |
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プロイセン王国領となる。 |
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1876年 |
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通行税徴収業務を廃止する。 |
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1946年 |
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ドイツ連邦共和国(西ドイツ)ラインラント・プファルツ州の所有となる。 |
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1960年代 |
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船舶のライン航行信号ステーションとして利用される。 |
Daten / データ
Burg Pfalzgrafenstein |
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ブルク プファルツグラーフェンシュタイン |
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プファルツグラーフェンシュタイン城 |
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所在地 |
ドイツ連邦共和国 ラインラント・プファルツ州 カウプ |
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紹介サイト |
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現在の用途 |
博物館 |
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交通 |
カウプ駅近くの船着場から渡し舟 |
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宿泊施設 |
なし |
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レストラン/カフェ |
なし |
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城内見学 |
可 (自由見学) / 日本語パンフレットあり(貸与) |
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写真撮影 |
可 |
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開館時間/料金 |
開館時間
料金
大人 4ユーロ 子供・学生 2.50ユーロ
渡し船は別料金
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備考 |
★カウプ側にある波止場から船で渡ります。 |