「強姦する側の論理」「強姦される側の論理」

三木 恵美子 弁護士

この数カ月、米軍人が沖縄の少女に対して強姦致傷および逮捕監禁罪を犯した事件について、多くの人の怒りが燃え上がっている。私自身は、一連の報道を見る中で、米軍人が犯してきた性犯罪についての記憶が喚起されつつある。記憶が喚起されると言うと、重大な事柄を忘れてしまう等ということがあるのだろうかと訝しく思う人もあるかもしれない。しかし、人というのは、あまりにも衝撃的でつらい体験については、記憶を消したり自己の体験ではなかったかの様に曖昧化する事によって、精神のバランスを取ることがあるのである。
1971年8月13日当時、私は山口県岩国市川下町二丁目に住んでいた。ここは、米軍岩国基地から徒歩10分以内の距離にある。当日午前2時頃、何者かが私が寝ていた一階の部屋に、窓を外して進入した。侵入者は、窓のすぐ近くにあるベッドの上に靴のまま上がり、熟睡していた私の口を手で覆った。手は、口を塞ぎ、鼻の穴を塞ぎ、目の一部も塞いだ。その瞬間私は覚醒し、自分は殺されるのだと思った。しかし、同時に、このまま殺されるのなら何かして殺されるのも同じだと思った。そこで、全身の力を込めて、叫び声を挙げた。悲鳴と言うよりは吠えているような異常な大きな声は、周囲に響いたらしく、わらわらと人が集まってきた。その気配を察知して、侵入者は入ってきた窓から逃げ去った。
いま考えると、これは、非常に幸運な条件が重なった事例だと思う。まず、侵入者はおそらく凶器を持っていなかったという点である。次ぎに、侵入者の嗜好として殺したり、負傷させたりすることが中心ではなくあくまで、生きている人間を強姦することが目的とされていたという点である。
そして、最も重要だが、当日は15日のペイデイ前で、圧倒的多くの兵隊たちは金がなく、そのため町はいつもよりかなり静かだったため、叫び声が多くの人に届いたし、客がいなくて時間を持て余していたために多くの人が駆けつけられたということである。
性暴力の被害者において、既遂と未遂の差は紙一重である。そして、侵入者が、私の隣に家に住んでいた同級生を選択せずに私を選択したというのも全くの偶然に過ぎない。私はこのたび被害にあった沖縄の少女と私との間に距離感を感じることができない。
なぜ、この侵入者や、沖縄の強姦致傷及び逮捕監禁罪の被告人らは、私や沖縄の少女の意志を無視して性交を強要しようとしたのだろうか。
被告人たちを尋問すると、その時には自分の要求をとどめられなかったという解答が戻ってくるだろう。それに対して、更に、被害者が拒絶することを考えていなかったのかと尋ねると、その時はそこまで深く考えていなかったという回答が戻ってくるだろう。
そして、いまは反省しているという言葉をつけ加えてお茶を濁そうとするのである。
これは、その他の性暴力でも、全く共通している。
セクシャルハラスメントの加害者に対する事実確認会を行うと、全く同じ回答が戻ってくる。せいぜい、ぼくは彼女が好きだったからという味付けの発言が加わるくらいのものであろう。
この味付け発言に対して、彼女はあなたを好きだと思ったか、承諾すると思ったかと重ねて尋ねると、その時はそこまで深く考えていなかったという回答に戻っていくのが常である。
これか買売春の買春者だと、承諾があったから良いではないかという開き直りからはじまる。しかし、その承諾というのは、金を払うから労務を提供するという承諾に過ぎず、買春者との性交自体好んでいたわけではない。この点について重ねて質問すると、そこまで考える必要はないと開き直るか考えていなかったという回答に戻っていく。
買春と強姦の間には、溝はない。