酔古ざつがく

沖縄そば むかし地図

沖縄そばの歴史は支那そばの伝来と共に始まったようである。それが沖縄独自の発展をとげ、今日の沖縄そばになったのである。沖縄そばがまだ支那そばと呼ばれていた頃の店を大正8年の地形図に載せてみた。
始めに那覇に出来た店は通称「唐人そば」と呼ばれていた。この店は明治35年に支那そば屋の開業新聞広告を出した観海楼と同じ店なのであろうか。当時の那覇市警察署下に開業したとある。警察下が那覇のどの辺りを指すのか不明であるが辻とはかなり近い位置にあるので同一の可能性は高いようである。当時那覇警察署は東町の親見世跡に位置していた。その後警察署は山形屋になっている。
「森そば屋」鹿児島出身の森さんが「森そば屋」を開店する。明治40年ころにはすでに営業していたという。東恩納寛惇の説では沖縄のそば屋の最初としている。大正7,8年頃には閉店している。

「ペェーラーそば」は「唐人そば」で働いていた比嘉牛が独立して開いた店で比嘉店の通称である。明治43年頃開店で閉店時期は不明である。玉子のヒラヤーチーで有名になる。
「ウシンマーそば」は大正2年頃の開店。辻の元尾類(ジュリ)が始めた店でそばの具に初めてカマボコをのせて人気を得た。
「ゆたか屋」大正8,9年頃の開店。大正15年頃まで続いた。そばのだしに改良を加え現在の沖縄そばに近いスープを作る。
「井筒屋」 森そばで修行した新里有一郎は波の上通りに「井筒屋」を大正9年に開業。戦後は牧志通り国際劇場横で営業。
「三角屋」 石門通りに開業。戦後は国際通り近くで再開。
「万人屋」 昭和4年、中里誠吉が市役所前に開業。大門通りにあったのであろうか。戦後も那覇市役所前で営業とある。市役所は戦前と戦後では位置が変わっており本当に間違い無いのであろうか。やや疑問が残る。市役所前が確かだったにしても、那覇市役所は昭和20年安里八幡宮の民家に移転。昭和22年牧志公設市場敷地に移転。昭和23年開南に移転。昭和24年開南から牧志町(4区)に移転。昭和28年天妃小学校へ移転。昭和40年現市庁舎落成。このように戦後は移転をたびたび繰り返しており、どの年代の市役所前だったのか不明である。

大正8年測図 2.5万分の1 地形図から
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