遊所宿場4 

甲州街道の遊郭

府中宿


明治14年 迅速測図 府中駅
遊女の墓
称名寺内 遊女の墓
安永6年飯盛旅籠が府中宿に公許された。幕末で旅籠は38軒があったうち8軒が飯盛旅籠であった。称名寺の杉嶋屋の墓域に天保の頃の飯盛女の墓がある。当時遊女が亡くなると投げ込み寺にうち捨てられるのが常であった中で遊女の墓があるというのは珍しいものである。内藤新宿を出発した甲陽鎮撫隊が府中の妓楼に宿泊している記録も見える。これには異説があり八王子宿に泊まったという説もある。明治14年には貸座敷が9軒であった。府中の本町にある病院が妓楼の跡だという。新宿、番場町、本町がかつての府中宿である。妓楼は普通の商家と混在する形で甲州街道沿いにあったといわれる。布田五宿の飯盛旅籠は馬喰相手の小さな店が多かったのに対して府中の飯盛旅籠には三階建ての店構えの大きな妓楼も有りこれを自慢するものもいた。そして昭和32年の売防法施行まで営業していた店もあったという。府中宿の飯盛旅籠は最後まで新宿や八王子のように遊廓を形成することも無く街道筋の飯盛旅籠として時の流れに消えてしまった。
旧飯盛旅籠 田中屋 昭和40年

江戸末期 府中宿の旅籠
最近府中の飯盛旅籠の写真の存在に気が付きその場所が何処だったのか気になり調べてみることにした。写真の奥隣りの家の屋号を見ると万屋とかすかに読める。さいわい江戸末期の府中宿の旅籠屋の名を書いた絵図が有るのでこれに当たってみると高札場の南側に万屋の名が見える。(上の地図では飯盛旅籠田中屋の名を新たに書き加えている。)早速現地に出かけ高札場の南側を探してみるが万屋が見あたらない、住宅地図で見ると割烹万屋の文字がある。その場所の店のシャッターは閉まったままであり看板は出ていない。どうも現在は営業していないらしい。その隣りは病院であったがビルとなっていた。ここが旧飯盛旅籠のあった場所のようであった。駐車場の脇にはかつての屋敷神と思われる鳥居と祠が有り、僅かに残る痕跡かと思われた。帰り道府中の図書館に寄ってみる。昔の写真が載っている本の中で昭和40年代頃撮影した旧田中屋の写真を見つける。横町通りの旧飯盛旅籠とある。現在の府中街道は横町通りと呼ばれていたようである。この写真は正面から撮影したものであった。ここでは病院の看板が見えている。旧飯盛旅籠の建物のまま病院として開業していたようである。

高札場前の倉造りの酒屋
左側の路地が旧川越街道である。

高札場  御旅所

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