ちかいてし 手にもつ法の蓮花院

                    心の花も ひらけ 日もよし

 蓮花院の開山は法印朝慶と伝える。平安時代末期、朝命を奉じて相模国司とともに来任、弘法大師の教え真言密教の教理を広め「済世利人」(さいせいりにん)の大願をおこし山王台に伽藍を創建。
奥様にご接待いただきありがとうございました、何も知らない私にいろいろと教えいただき感謝いたしております。今現在楽しく三十三ヶ所巡りをさせて頂いております。合掌

第五番 聖観世音菩薩

御朱印


中郡 大磯町 767 
蓮花院 寺伝 沿革
蓮花院の開山は法印朝慶と伝える。平安時代末期、朝命を奉じて相模国司とともに来任、弘法大師の教え真言密教の教理を広め「済世利人」(さいせいりにん)の大願をおこし山王台に伽藍を創建。
古来より日吉山神宮寺蓮花院と称し当山鎮守、日吉山王大権現(日吉山王社)の別当として祭祀を司り現在に至る。
吾妻鏡によれば、建久三年(一一九二年)八月九日源頼朝公は御台所安産祈願のために当社に経巻を誦修し神馬を奉納。
明応四年九月(一四九五年)北條早雲が小田原城主大森藤頼を追って相模国に進出した時の政争により当山も火災に遭い衰退した。
 天平十八年(一五九〇年)七月、豊臣秀吉公当国下向の折、当山に深厚賜り、時に来任した中興の祖、権大僧都尊慶が山王山麓に寺門を興し再び法灯をかかげた。
第八代将軍徳川吉宗公の治世、延享元年(一七四四年)春彼岸、権大僧都深慶の発願により相模新西国観音霊場を創始。
当山は第五番霊場となる。御本尊聖観世音菩薩は数世紀の星霜を経た昭和五十二年(1977年)には大磯町指定文化財となり、御本尊の霊徳は高く世に知られる霊刹となっている。

『新編相模国風土記稿』

○國府新宿 古不志牟志由久 
元禄の郷帳には、國府新宿と記す、江戸より行程十七里、戸数十五、東西八町許、南北十町許、東、國府本郷村、西、ニノ宮村、南、海、北、生澤・虫窪二村、
今御料、及び堀十郎兵衛利和知行なり、文政十一年裂き賜ふ、
地検は、寛文五年、(1665)成瀬五左衛門重治改む、
宝暦七年、(1757)
志村多宮が検せし新田八斗六升八合あり、高入となる、
東海道東西に亘りて、村の中央を貫く、幅三尺余、村東にて、北方に達する岐路あり、幅三尺許、伊勢原道と云、
○高札場 ○小名 △上町加美天字 △中宿 △木ノ下 △原 △月京 
△南 △祇園塚 △岸
○山 西方にあり、古磯山不留伊曾也末、山王臺・稲荷山・権現山等の名あり
○御林 南方字向原にあり、段別二町五段拾歩、
○宇田川 南方を流る、幅三間、又村北を流るゝ一流あり、幅九尺、字小川と唱ふ、
○海 南方にあり、獵船四艘ありて漁業をなす、獲る所の魚は鱠志羅宇遠、鯖等なり浦邊を袖ヶ浦又淘綾浦と唱ふ、
○蓮花院 日吉山神宮寺と号す、古義真言宗、大住郡岡崎金剛頂寺末、
本尊 不動、
中興開山 尊慶、慶長十年(1605)八月六日寂す、
六所社供僧の列にして、彼社領の内配当す、
△観音堂 正観音長一尺一寸二分、恵心作と云、を安ず、


昭和47年 平成15年

ど佑瞭押。押ィk ハ_岷 2.8k ε貍算

東昌寺方面 2.8k