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時の大河 番外編

猫の葬式

written by kiku
 よく晴れた冬の空に、澄んだ歌声が響いている。
 透明で、悲しげな歌声は、曲の終わりにきて少し躊躇った。
 躊躇いながら段々と声は細くなり、寒々と晴れた空へと消えていった。


* * * * * * * * * *


「レギ!」
 術師院の宿舎を出ようとしいてたレギは、同級生に呼び止められた。
「レギ、今日は卒業式じゃない。どうしてこんなところでそんな格好してるのさ」
 そう言う同級生は、魔術師の正装である黒い衣を身につけて、鍔無し帽と上着を右手に、白木の杖を左手に持っている。
 一方レギはというと、まだ普段着の薄緑の上衣に白いズボンだ。短い髪には寝癖すらついている。
「ちょっと、付き合いで。でも用事も済んだからすぐに行くよ。
 ……ラン、いつも思ってたけど、あんた可愛いよね」
「知ってる」
 しれっとした顔で答えた男をちらっと見やって、彼女は手についた泥を払い、宿舎の中に姿を消した。厭味だと分かっているのかいないのか、付き合いの長い彼女にも、ランの本心が見えたことはない。

 再び宿舎から出てきたとき、レギはランと同じ、魔術師の正装をしていた。
 レギは世界でただ一人の女魔術師である。魔術師になるには術師学校、術師院を修了せねばならず、その両方ともに女性は入学することができないからだ。彼女はこの術師制度が出来てから最初で最後の女生徒である。

「ラン、何で待ってんの? 先に行けばよかったのに」
「あんなむさ苦しいところ、できる限りいたくない。レギが遅れるってなら、ちょうどいいから俺も一緒に遅れる」
 ランはそう言って、白い綺麗な手で黒髪をかき上げた。形のいい両目が徒っぽく細められ、薄紅色の唇は、片端だけ上がって少し皮肉っぽい笑みを浮かべる。漆黒のローブに、白い肌がよく映える。町を歩けば男も女も振り返る、ちょっとした美青年だ。かっちりとした正装をすると、却ってそれが際立つ。
 先ほどレギが「可愛い」と言ったのは、少し女性的な彼の魅力がより引き立っていることを揶揄しようとしたのだろう。

「ランと一緒に歩くのはいやだなあ、至る所で喧嘩売られるから。お前は遊びすぎなんだよ」
 レギはそう言って、まだ少し寝癖の残っている頭を掻いた。
「楽しめるときに楽しんでおかなきゃ、年食ってから後悔しても遅いだろ」
「何を……巻き込まれる人間の気にもなってみろ」
 ランはおや、と片眉をあげてレギの方を一瞥した。
「楽しんでいるんだとばかり思ってたけど」
「お前ほどじゃない」
 レギが苦笑して返すと、ランは一瞬口を噤んで、それから破顔した。二十歳そこそこの若い顔が、さらに幼さを増して少年のようだ。そう、この男は可愛いのだ。それが男にも女にも人気の理由だ。
「それはそうかもしれない。だって身の程知らずな愚か者をのすのって楽しいじゃないか」
 無邪気に放たれた冷酷な言葉に、レギは額を押さえた。


* * * * * * * * * *


「今年は十人か」
 集まった生徒たちを見て、魔術科の教師が言った。生徒たちと同じく、黒い衣服に身を包んでいる。
「多いほうかな」
 大陸の都にある術師院には、大陸中の魔術師の卵が集まってくる。しかし魔術師として卒業できるほど力の強い者は極稀なのだ。確かに十人は例年に比べて多いと言えた。
「私のときは三人だった。よかったな仲間が多くて」
 皮肉な声音でそう言う教師は生徒たちと見分けがつかないくらい若い。しかし、これでも齢はとうに百を越える老人なのである。
 魔術師は年をとらない。そして死ぬこともない。そもそも魔力というものが、持ち主の身を守るためにあるという性質を持つために、一度魔力が目覚めると肉体を損なうあらゆる現象は取り除かれてしまう。
 老化もしなければ病気もしない。どんな深手を負っても即時に魔力が癒してしまうために、死ぬことはない。魔術師を殺そうと思うなら、より強い魔術師を探すか、魔力を発動させる暇を与えず首を切り落とすしかないのだ。
「これからずっと仲良くしてくれるのは、仲間だけだからな」
 教師は口の中で「他の者は」と呟いて、すぐにやめた。
「式に出たければ出ろ。どうせ武術科や呪術科の爺どもの演説を聴かされるだけだ。私はもう帰る」
 そう言い捨てて教師は身を翻した。黒いマントが風をはらんで膨らんだ。次の瞬間、彼の足元に魔法陣が浮かんだかと思うと、すでに彼の姿は見えなくなっていた。
「どうする」
「教師があれでいいのかよ」
「あの人もあれで色々あるんだよ」
「ああ、そういやこの前酒屋で飲んだくれてたっけ」
 そんなことを口々に言いながら、生徒たちはばらばらと解散して行く。幾人かは卒業式の行われる大講堂へ向かうようだ。その中に、先ほどの女魔術師とランの姿もあった。



「レギ、出るの?」
「折角だから。もう会うこともないような人たちもいるしね。下らない演説を聴くのもこれが最後だし」
「それもそうか。じゃ俺も最後の挨拶をしていくかな」
「誰に、どうやって」
 警戒した声の彼女の言葉には答えずに、ランは不意に向き直った
「そういや今朝はどうしたの。手に泥つけて、式の支度もしないで」
 唐突な質問に、レギは目を瞬いて、それから気まずそうに微笑んだ。
「いや、宿舎の猫が死んだから、みんなと葬式の真似事をしてたんだ。私は呪術できるからさ、弔いの呪を唱えたりして」
「ふーん。それで歌が聞こえたんだ。レギの声はよく通るから。『葬送』でしょ」
 腕を組んでランはレギの顔を覗き込んだ。
「そう。たかが猫だけど、みんな泣いてたから、ちゃんと別れないといけないと思って」
 唇に微笑を残したまま、彼女は少し眉根を寄せた。
「ちゃんと『さよなら』を言ってきたよ。古来からのしきたり通りに」
 ランはしばらく彼女の顔を見ていたが、何も言わず優しい笑みを浮かべて、レギの肩を軽く叩いた。
「お疲れ」
「うん」


* * * * * * * * * *


「――それでは、古より伝わる叙事詩のように別れを告げよう。『さらば、友よ、仲間たちよ』」 
 院長のこの言葉をきっかけに、卒業する若者たちは歓声を上げて帽子を投げ上げた。
 呪術師科の緑、武術師科の赤、そして僅かに、魔術師科の黒。卒業生たちは互いの肩を叩きあい、抱き合い、卒業を祝っている。

「だからやだったんだよ。ほらむさ苦しい。大の男が抱き合っちゃって、汚らしいったら」
 ランがいかにもおぞましそうに、両肩を抱きながら囁いた。レギは腰に手を当てて苦笑している。
「大体にしてあんな趣味の悪い引用があるもんか。あれってラーナが死に際に恋人に告げた言葉だろ? しかも『恋人よ』をすっ飛ばして、情緒というものがないのかね」
「はは、本当は『さようなら』だけだけど、さっきのは吟遊詩人の詞だから、院長様は原典読まずに歌を聞いたんでしょ。貴族の好きそうな趣向じゃないか」
 ここまで言われては院長も形無しである。基本的に武術師科は貴族の師弟が学ぶ科で、文学的な方面にはあまり重きを置いていない。
 それが古典文学から武術まで一通り学ぶ魔術師たちから見ると、「ぼんくらの集まり」或いは「体力馬鹿」と映るのだ。

「レギはこの後どうするの?」
「さあ。しばらくぶらぶらしてから、多分天へ戻る」
 ランは顎に手をやって、少し考え込むような素振りを見せた。
 彼は時々、いつもの飄々とした風からは考えられないような深刻な顔で考え込むことがある。レギはいつになってもこの顔に慣れない。
「ランは? 卒業したらどうするの」
 沈黙に耐えられず、レギが口を開いた。ランの深刻な顔が僅かに揺らいだ。
「さあ。取り合えず幸せになりたいねえ」
 彼はそう、おどけて返し、いつもと同じ優雅な笑みを見せた。レギもおどけて、わざとらしく首を振る。
「幸せに? 思いやりのある人間にならない限り、無理だろうねえ」
「失礼な。君が着替えに行っている間に、猫の墓に花を手向けたのは誰だと思っている」

 周りの喧騒も何のその、そんなずれた会話を交わす彼らを後ろから襲った者があった。
「やあ! おめでとう!」
 赤い衣を着たその大柄な青年は、服と同じくらい顔を上気させて、満面の笑みだ。
「わー! 出た! むさ苦しい!」
 ランとレギ、二人を一抱えに抱きしめていた若者はあからさまに傷ついた顔をして、ランを開放した。
「ダン、私も」
 レギが体に巻きついた青年の手をはがそうとしながら、冷ややかに告げた。しかし、衝撃から立ち直ったダンは決然とした声でこう宣言した。
「いいや、離さん。今日で最後だからな。力いっぱい抱きしめてやる」
 ダンはそう言ってレギに腕を巻きつけ、抱きしめるというより羽交い絞めにした。
「く、苦し、ダン、いい加減にしないと……」
 レギが言い終わるより前に、鈍い音がしてダンは後退りした。少し腕が緩んだので、レギは肘で思い切り彼を打ってその腕から逃れた。
「ランやったな」
 打たれた腹を左手で押さえ、右手で顎を摩りながら、ダンは目だけでランを見下ろした。ランはといえば、右手に杖を構えて冷ややかな顔で佇んでいる。この杖がダンの顎を急襲したのだ。
「見苦しい」
「言ったな」
「真実だろ」
 ダンの目は爛々と輝き、ランの唇には笑みが浮かんでいる。じりじりと間合いを詰めて、今にも飛び掛りそうだ。周りにはいつの間にか人だかりができている。式典の熱気のせいか、誰も止めようとはせずに囃し立てるばかりだ。
「ああ、もう……」
 レギは視線を宙に彷徨わせた。


* * * * * * * * * *


「いやあ、いい喧嘩だった」
 爽やかな表情のランとダンに挟まれて、レギはいかにも複雑そうな顔をしていた。
 いつまでたっても終わらない乱闘を、止めに入ったのは彼女だ。ランもダンも、相当な遣い手なので教師すら止めに入ることができず、彼らに泣きつかれたレギが割って入ったのだ。
 頼まれて止めに入ったのに、見物人からは文句を言われるわ、ランとダンは酔っ払ったように彼女に抱きつくわ、勢いで周りの人間みんなが雪崩のように抱きついてくるわで大変だったのだ。

「最後の最後まであんたらは……」
 術師院に入った頃から二人はいつもやり合っていて、ことあるごとに一騒動起こしてきた。そしていつも止めに入るのは彼女なのだ。
「魔術師と武術師の仲が悪いのは伝統じゃないか」
「私はむしろ呪術師の方が嫌いだ」
 レギはそう言って立ち止まった。三人はいつの間にか術師院の重厚な門の前まで来ていたので、それぞれの道へ別れていかなければならないからだ。
 しかし名残惜しいのか、彼らは別れようとはせず、ランが更に会話を続けた。
「俺も。呪術師は暗くて鼻持ちならないからな」
「えっ! じゃあなんでお前、俺に喧嘩売ってくるんだよ」
「そりゃ、あんたが嫌いだからじゃないか。魔術師科にいたくせに、途中で投げ出しやがって」
 いつも微笑みを絶やさないランが、珍しく苛ついた表情で吐き捨てるように言った。ダンが驚いたような、傷ついたような顔をする。
「ラン、それは不可抗力」
 レギが地面を見詰めながら、呟くように口を挟んだ。言い始めると止まらなくなってしまったのか、ランは激しい口調でダンを詰る。
 「いいや、俺は許せないね。魔力が弱まった? 封印できるようになりました? それでやっぱり貴族らしく武術師科に入ります? ふざけるなよな」
「ラン……」
「お前は俺たちを見捨てたんだ、捨てたんだよ。お前は人間らしく生きて、死んでいく。俺たちを置いてな」
 そう言ってランは腕を組み、そっぽを向いてしまった。途方に暮れるダンを見遣り、ランの後姿を見遣り、レギはため息をついた。
「ラン、それは仕方ないことだ。言ったところでどうにもならない」
「ラン、レギ、すまん」
 ダンはうなだれた。そう言う声は低く、震えていた。誰も何も言わず、夕暮れに沈黙が流れた。

「卒業式は感傷的になるな」
 しばらくして、ランがぽつりと呟いた。
「今朝は猫も死んだそうだし、きっと今日はそういう日なんだよ。……だから、どうかしてるんだ。俺の言ったことは気にしないで」
 その言葉に顔を上げたダンの目には薄っすら涙が溜まっている。組んでいた腕を解き、振り向いたランは笑った。
「何泣いてるんだよ」
「卒業式に涙は付き物だろう」
 鼻をすすりながらダンも言い返した。
「ランに言わせれば、むさ苦しい男の汗が付き物らしいけどね」
 しれっとした顔でレギが茶々を入れる。三人の間に静かな笑いが起きた。
「さて、そろそろお別れかな。ダンはどうせ身内で祝いでもするんだろ」
 打って変わった明るい声でランが言うと、ダンは頷いた。
「ああ、故郷から親族が出てきてる」
「それじゃあ」
「ああ」
「院長の真似をするか?」
「それは縁起が悪い。あんたも魔術を齧った人間ならあの言葉の意味を知ってるだろ?」

 再び三人は黙り込んだ。ある叙事詩の主人公、神々の愛し子ラーナが最期に恋人の青年に告げた言葉。
  『もう、会うことはない』
 呪力のある神語で発された言葉は、古語で記録される際に「さようなら」と翻訳された。
 しかし神語を学ぶ魔術師たちは、もとの科白を知っている。そのため、たとえ「さようなら」と翻訳されていても、あまりに不吉なラーナの最期の科白を口にしようとはしない。

「さよならは葬式だけで十分だ」
 寂しげな笑顔を浮かべて、レギは呟いた。

「それじゃあ、また」
「ああ、それがいい」
「また、会おう」

 今度は穏やかに抱き合って、三人はそれぞれの目指すほうへと歩き出した。


* * * * * * * * * *


 余談だが、弔いの歌『葬送』の中にはその言葉が含まれている。この歌はこの世での生を終え、神々の住む世界へと旅立つ魂へ送る歌だ。その最期の歌詞は、「この世ではもう会うことのない人よ、さようなら」である。
 しかし魔術師はこう歌う。

  もう二度と会うことのない人よ、さようなら

 魔術師は滅多なことでは死なない。神々の住む世界へ旅立つこともない。一度死んだ人の魂と、再び会うという希望すら持つことはできない。

 それがあまりに悲しすぎるので、魔術師は別れ際に「さようなら」と、決して言うことはない。
本編情報
作品名 時の大河
作者名 kiku
掲載サイト the River under the Moon
注意事項 年齢制限なし / 性別注意事項なし / 表現注意事項なし / シリーズ連載中
紹介 男にのみ許される称号・魔術師。
この世でただ一人、魔術師と名乗ることを許された女。

永遠の命、世界を一瞬で消してしまえるほどの魔力。
彼女は魔術師としての運命に直面しながらも、自分らしく生きようとする。

人には定まった宿命があるのだろうか。
生まれながらに負った運命を変えることはできないのか。

長い生の中で、彼女が見出す答えとは――
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