気 功 武 術 健 身 会

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 【お知らせ】平成27年10月東京講習会の日程が決定しました。

詳細につきましては、 kiko_kanfu@ybb.ne.jpまでお問い合わせ下さい。

 

 少林内勁一指禅気功

 

 少林内勁一指禅気功は、または羅漢神功とも言い、仏教禅宗の強門績功術で、数十代の提練を経て充実発展して武林界に推崇される上乗気功となりました。

 一般の静功や動功とも異なり、二大功法の特徴を集め、また技撃、武術の精華を吸収し、病を防ぎ病を治癒し、強身健体及び延年益壽等の特徴があります。少林の特定の馬歩の姿式により、それに加えて少林特有の手指の振動によって、体内機能を調整し、人体内在の潜能を発揮し、強身治病.延年益壽の目的に到るのであります。

 「内勁一指禅気功」は、南少林寺武術なかの護山功で、修練が相当程度に練り到れば、どの一指でも人を傷つける事ができます。歴史的原因によって、秘密にされ過ぎて、故にそれを知る者はとても少なかった。

 闕文元(闕阿水)、法号海騰、またの名は練法和尚、南少林寺一指禅功法の第17代掌門人(宗家)でした。

 原籍は江蘇省の蘇州の人で、幼き時に家が貧しかったことによって、7才の時に南少林寺の高僧杜金標が彼を収養して養子、関門弟子としました。

 彼は仕事を真面目にこなし、聡明にして学を好み、品徳は高尚だったので、深く法師の崇愛を受けていました。一指禅功のなかで人に伝授しなかった、七陰白骨鎖骨手・点棉球・弾指二・珠砂陰掌・陰経封経手・抽元法・定身法などの絶技を全て彼に伝授しました。法師のたゆまなき精進に培養のもと、彼は一指禅の絶技神功を我が物としました。彼は身に絶技があるとも、反動暗黒の年代の時に、彼は姓を隠し名を埋める事30余年、60年代の終わりに、政治的迫害の中、牢につながれる危険を犯して、内勁一指禅功法を運用して、農民・軍人・人夫・知識分子及び若干の党幹部を治病し、病院の玄関より患者たちを送り出し、当時の患者は現在の中国で有名なる気功師となった方もいました。

 解放の後は、党の政策教育のもと、彼は努力し続け、もとより外伝もなかった内勁一指禅功法の部分功法を世に公にし、人民の賛誉を受けるに到りました。その後は、上海中医研究所の科学者と協力して、現代の科学技術的手段を使って、古い中国の気功を研究して、大量に価値のある科学的根拠を取り得ました。これらの科学的論文は上海中医雑誌・新医学雑誌および上海交大学報や1980年中国科学院出版の中国大百科全書年鑑などに記載され、それには内勁一指禅気功の外気発放の実験の成果が記載されていました。

 

 武当派

 

 中国武術は現在に到るまですでに数千年を経過しており、その間の変化はとても多いが、しかしその淵源は二つの大きなる主流に分かれていました。

 一つには内家、もう一つは外家であります。武当は内家、少林は外家の源であると言われています。

 武当派は張三豊仙人によって作られた門派であります。

 武当派祖師、洞玄真人張全一、名は君宝、号は三豊、中国宋朝末時代の遼東の人で、内家武術・仙道に優れた仙人でありました。彼は武術の奥義を得て、拳法の精華を知り、後に武当山に隠居して練気修丹しました。柔で以て剛に勝つおよび守りながら勝つ学を研究して内家武術を作り、のちに内家拳の宗となりました。

 武当派は今でも中国で一大門派で、名門正派でもあります。

 

 縦鶴拳

 

 縦鶴拳法は清の時代の道光元年(西暦1821年)に始めて作られた物で、創始祖師の姓は方、諱(いみな)は徽石、字(あざな)は世培、福建の福清舘口の人であります。

 代々読書人の家柄で、幼にして聡く而も学を好み、最も拳法を好み、鶴法に力を入れて練習しました。諸派の師の教えを受けましたが、皆天才と驚き、練功以外に空を飛ぶ鳥や走る獣の戦い方を研究するのが好きで、武芸に対して更に悟り精進する所がありました。

 年僅か20歳にして官吏登用の試験(郷試という地方の予備試験に合格して、会試という中央政府の官吏登用試験に応じる資格のある者)に受かりましたが、仕官する気持ちがなく官をやめて各山大川を雲遊行脚し、師を尋ね友を訪れて諸派の拳芸を精研しました。

 たまたま寒い時にカラスが木の枝に止まって、羽根を動かして身についた雨をはらっていて、木の枝は終にこれによって動揺し、雨も身についた雨はそれによって飛び散った。また霊犬が水に落ちて岸に上がってから体を震動すると水玉は飛び散り、池のほとりにあっては魚や海老の生態をつまびらかに見るに、魚の体の柔遊、海老の腕の伸縮の軽速でゆったりとしているさまを見て、軽捷・弾性が生ずる所の力道の無窮をすぐに悟りました。

 これより以後、茶山の天竺寺に深くこもり、悟った大自然の魚・海老・鳥・獣の防衛対敵の術をつまびらかに研究し、鶴法の精髄と融合させました。力を抜く柔、円化、才率弾、抖震の技法を作り上げて、真心をこめて修行しました。

 そして天竺寺の長老に褒めたたえられ、行拳運気を伝授され、任・督二脈に導入し、真気を奇経八脈の中に貫注させ、意気を体、呼吸を用となし、理を明らかにするによって縦鶴拳法を悟りました。

 鍛錬する事十寒暑、ついに縦身鶴法一門を開宗立派し成し遂げました。

 拳法を行う時には内力が絶え間なく生じ、千もの型をこえるとも疲れの感じもなく、かつ拳勢の変化は既に化境に到りました。常に敵を機先に制した威力の大なるは、極めてまれに見る縦法一脈を独創し、ここにおいて伝流される事既に百六十余年でありました。

 

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