以下の文章はウミガメ OFF @京都(2006/11/04)の「旅のしおり」用に 書かれたものです。

■■■■■  京都オカルトスポットガイド  ■■■■ あせむ

1. 伝承

(1) 一条戻橋

 堀川に架かる一条通の橋です。三善清行がここで蘇ったとする伝承から「戻橋」と名づけられました。
 安倍晴明がこの橋の下に式神を隠しておいたことで有名です。
 現在の橋は 1996 年に架け替えられたものです。川底はコンクリートで固められ、式神も住みにくそうです。

一条戻橋
一条戻橋の説明
一条戻橋 一条戻り橋の説明

(2) 六道珍皇寺

 小野篁は、昼間は朝廷に仕え、夜は冥府で閻魔大王の手伝いをしていました。冥府に行くために使用したのがここの井戸です。

 冥府から戻る時は福生寺の井戸を通っていました。この福生寺は廃寺となっています。寺は、嵯峨薬師寺に引き継がれていますが、井戸は失われてしまいました。したがって、六道珍皇寺の井戸に入るのお勧めできません。この世に戻れなくなります。

 ここの鐘は「迎え鐘」といって、お盆にあの世から霊を呼ぶために撞きます。霊を送るための「送り鐘」は矢田寺にあります。

 近くの木村茶舗で売られている「幽霊子育飴」も注目です。

(3) 鵺

 近衛天皇は、毎夜丑の刻に聞こえる怪しい鳴き声に悩まされていました。天皇の命を受けた源頼政は、黒雲の中の「頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎、鳴く声はトラツグミ」という怪物を射落としました。これが鵺です。

 黒雲が湧き出したのは東三条の大将軍神社の社叢で、「鵺の森」と呼ばれました(この森は、現在では失われています)。

大将軍神社
大将軍神社の説明
大将軍神社 大将軍神社の説明

 二条城近くの二条児童公園内に、頼政が鵺の血がついた鏃を洗った「鵺池」と鵺をまつった「鵺大明神社」があります。

鵺池
鵺大明神社
鵺池 鵺大明神社

 その時の鏃とされるものが神明神社に残されています。

(4) 鬼

 大江山の酒呑童子を討った源頼光と四天王は、その首を京に持ち帰ろうとしました。しかし、不浄なものを都に入れることができず、途中でその首を埋めました。これが老ノ坂の首塚大明神です。

 平安京の南にそびえていた羅生門は平安中期には荒廃してしまいました。その様子は芥川龍之介「羅生門」でもおなじみのとおりです。
 荒廃した羅生門に鬼が住み着きましたが、渡辺綱に腕を切り落とされ、退散したと伝えられています。

羅生門跡の碑
羅生門跡の説明
羅生門跡の碑 羅生門跡の説明

 朱雀門もやはり荒廃して鬼が住み着きました。こちらの鬼は風流で、琵琶や笛をたしなんだそうです。

朱雀門跡の碑
朱雀門跡の碑
朱雀門跡の碑 朱雀門跡の碑

 ある公家の娘が、夫を愛人に奪われたこと恨み、貴船神社に参篭しました。そこで鬼になることを願い、宣託を受けました。それに従い37 日間宇治川に漬かった女は鬼となり、夫と愛人を取り殺しました。
 この女は「宇治の橋姫」と呼ばれ、橋姫神社にまつられています。橋姫神社はかつて、宇治橋上にありました。現在の宇治橋には上流側歩道に「三の間」と呼ぶスペースがあります。これが橋姫神社のなごりです。

 謡曲「鉄輪」の元になった話も似ています。
 ある女が、夫とその愛人を恨み、貴船神社へ丑の刻まいりをして宣託を受けました。 「身には赤い衣を着け、顔には丹を塗り、頭には鉄輪を戴き、三つの足に火をともし、心に怒を持つならば忽ち鬼神となる」
 それ以来、夫は悪夢に苦しみ、安倍晴明に助けを求めました。女は晴明の遣わした三十番神に追われ、鍛冶屋町で倒れて亡くなりました。現在、その場所には鉄輪井と鉄輪社が建てられています。縁切りのご利益があるといいます。

鉄輪井
鉄輪井の説明
鉄輪井 鉄輪井の説明

(5) 土蜘蛛

 熱病にうなされる源頼光のもとへ怪しげな法師があらわれ、手にした縄を投げつけてきました。頼光が切りつけると、法師は血痕を残して消えてしまいました。
 頼光配下の四天王が血痕をたどると、北野天満宮近くの大きな塚にいたりました。これを崩したところ、1メートル以上もある大きな手負いの蜘蛛が現れたため、退治しました。すると、頼光の熱病はたちまち治ったそうです。

 蜘蛛塚と伝えられる塚が2箇所ありました。ひとつは上品蓮台寺境内に頼光塚として残っています。。
もうひとつは七本松通一条の蜘蛛塚ですが、こちらは現存せず、塚から出土した灯篭が北野天満宮近くの東向観音寺境内に残されています。

蜘蛛灯篭
蜘蛛灯篭の説明
蜘蛛灯篭 蜘蛛灯篭の説明

(6) 動物たち

 相国寺近くに住む狐は、しばしば千宗旦に化けて茶会でお茶を点てたといいます。宗旦狐と呼ばれ、相国寺境内の稲荷社にまつられています。

 京都御所の鬼門を守るため、北東の塀に木彫りの猿がまつられています。ここを猿ケ辻と呼びます。
 この猿は夜になると抜け出すため、金網で閉じ込めてあります。

猿ケ辻
猿ケ辻

 光清寺の絵馬に描かれた猫は、三味線の音を聞くと絵馬を抜け出して踊ったそうです。「浮かれ猫」と呼ばれています。

 報恩寺の掛け軸「鳴虎の図」を気に入った豊臣秀吉がこれを聚楽第に持ち帰ったところ、毎晩虎が鳴いて眠れなくなったため報恩寺に返したそうです。

 永福寺の僧が病気の母親のため、禁を破って蛸を買って帰ったところを檀家に見つかってしまいました。責められてしかたなく箱の蓋を開けると、中の蛸は経典に変わっていました。母親の前では経典は蛸に戻り、それを食べた母親は快癒したそうです。この寺は蛸薬師堂と呼ばれています。

2. 心霊スポットなど

(1) 志明院

 石楠花で有名な寺です。歌舞伎「鳴神」の舞台としても知られています。
 司馬遼太郎はここで体験した怪異を「石楠花妖話」(新潮文庫「司馬遼太郎が考えたこと1」に収録)に記しています。

(2) 鞍馬寺

 創建は西暦770 年。源義経が修行したことでも知られる古刹です。
・・・だったはずなのですが、先代官長が神智学にはまって、「本尊の魔王尊は650万年前に金星からに飛来したサナート・クマラだ」などと言い出したおかげで、今ではニューエイジ方面の聖地となっています。

 国宝の毘沙門天像は傑作です。「近くて遠き」(枕草子)と称された山道を登るだけの価値はあります。

(3) 清滝トンネル

 京都の心霊スポットを挙げるとき、ここは欠かせません。おそらく京都の(あるいは日本の)最恐スポットです。問題にもなっています(あれ?)。
267-584 http://umigame.s17.xrea.com/log26/umigame267.html#R584
 一車線交互通行の狭いトンネルで、信号が赤で一旦停止するとよいのですが、青のまま停止せずにトンネルにはいってしまうと「出る」そうです。

清滝トンネル
清滝トンネル

(4) 深泥池

 よくあるタクシーの怪談(乗せたはずの女性客がいなかった)が京都で語られるとき、行き先として指定されるのがここです。もちろん、現地での目撃談も数多くあります。
 ここは、古来より不気味な場所だったようで、小栗判官の物語では、判官の受難はここに住む大蛇が女性に化けて近づいたことから始まりました。

(5) 大将軍商店街

 大徳寺真珠庵に伝わる百鬼夜行絵巻(伝土佐光信作)は、ユーモラスな付喪神の行進を描いた傑作(重要文化財)です。
 この舞台は一条通ということで、一条通沿いの大将軍商店街は「妖怪ストリート」を名乗っています。

 各店舗の店頭に置かれたオリジナル妖怪もいい味をだしていますが、最大の名物は「お食事処いのうえ」の「妖怪ラーメン」です。

(6) 三条河原

 鴨川沿いは散歩コース・憩いの場として京都市民に親しまれています。しかし、ここも強力な心霊スポットで、霊感の強い人は決して近づかないそうです。かつて、この河原は処刑地として使用されました。恨みを残して死んでいった者が多いのでしょう。
 三条河原では石川五右衛門が釜茹でになり、豊臣秀次の一族が斬首され、近藤勇の首がさらされました。

参考文献

「京都魔界案内」小松和彦
「うわさの神仏」加門七海
「ひとり歩きの京都」JTB
「京都・観光文化検定試験 公式テキストブック」京都商工会議所

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