ハゲワシと少女
 私が、こんな衝撃的な写真、内戦が続くスーダンにおける「うずくまる少女を狙うハゲワシ」を目にしたのは、確か1990年代の半ば頃でした。当時、少なからず興味を持ちましたがインターネットはおろか、家にパソコンもない頃でした。それから4、5年経ったでしょうか遅まきながらインターネットで調べてみました。

 
ある朝、新聞を開くと、そこにケビン・カーターの撮影した「ハゲワシと少女」の写真が掲載されていた。そして、その写真につけられた記事には「彼はなぜ助けなかったのか」という非難が世界中から寄せられていると記されていた。つまり、私は、まず写真そのものを見たわけではなく、ケビン・カーターと、この写真にまつわる物語の中ほどで、この写真に触れたのである。

 スーダンは10年越しの内戦を行っている。しかし、昨年までスーダン政府が取材者を締め出していたため内戦による詳しい飢餓の状況は、ほとんど伝えられていなかった。そのスーダンの内戦の状況をケビン・カーターは取材しょうと思い立った。彼が訪れたアヨドという村では、一日に10人から15人の子供たちが死んでゆく。辺りをおおう子供の泣き声。しかし、泣くことの出来る子供は、まだ幸せであるという。多くの子供は、もう泣くこともできずに、ただ横たわっているだけ。もし今、食料があっても、子供たちはもう食べることが出来ないのである。カーターは言う。「私は、村から出て一人で歩き始めました。とにかくただ村から離れて出来る限り遠くへ歩いて行きたかったからです。私は、砂漠の中へ入り、子供の泣き声が聞こえない静かな所へ行き、ただ座って静かに思いをめぐらしてみたかったのです」。

 そこで、彼は写真の光景に出会う。少女は二、三歩歩いては立ち止まり、うずくまってしまう。甲高い声を上げ必死に立ち上がろうとする。カーターは、一度はそのままその場を通り過ぎたが、少女のすぐそばにハゲワシがおり、少女に向かって飛び跳ねて近づいていくところであった。「その瞬間、フォトジャーナリストとしての本能が、私に写真を撮れと命じたのです。目の前の状況をとても強烈で象徴的な場面だと感じました」。その後、彼は木陰に座り込み泣き続けたという。

 1994年3月26日「ニューヨークタイムズ」の三面に特派員の記事と共に、カーターの写真が大きく掲載された。その反響はすさまじかった。そして、そのほとんどが「なぜカメラマンは少女を助けなかったのか」というものであった。その後、各新聞、雑誌がこの写真を掲載するに及んで、ますますカーターへの非難は大きくなっていった。これだけインパクトの写真である。この写真は1994年度のピュリツァー賞企画写真部門賞を獲得した。

 私が新聞記事で、この写真を見たのはこの時期だった。この後、事態は思いもかけない方向へ動いていく。1994年7月27日。ピュリツアー賞カメラマン、ケビン・カーターは自殺した。この死は再度、全世界に波紋を広げた。今度は「カーターは、なぜ死ななければならなかったのか?」という形で。非難を苦にして自殺したという説がもっとも説得力がありそうである。しかし、家族や友人はこれを真っ向から否定している。真相は今もって謎である。

 あの写真をめぐる動きは、「報道か、人命救助か」という命題に形を変えてその後ますます拡大していく。この「報道か、人命救助か」という命題は、国内では、かつて豊田商事の永野会長刺殺事件の際にも取り上げられた。NHKがカーターの特集を組み、雑誌も次々に取り上げた。そして今回の阪神大震災の際にも、先の命題が報道陣の中で話題になったという。
あのハゲワシは、実は日本人なのかも知れません?

 この、アフリカのスーダンから、日本は「ソルガム」という穀物を輸入しています。家畜の飼料にするためです。ところが「ソルガム」は、現地の人にとっては貴重な主食なのです。この輸入が始まったのが、なんとこの写真と同じ1994年からだといいます。写真のハゲワシが日本人に見えてきませんか?

 国内の農地を荒らしておいて、外国から農産物を買いあさる日本。食料の輸入は、見方を変えれば「飢餓の輸出」にほかなりません。ちょっとお金があるからといって、そんなことが許されるのでしょうか。

 次に紹介するのは、ある教育現場からの授業における実践報告です。とにかくインパクトの強い写真である。ケビン・カーターという一人のカメラマンが、一人の飢餓に苦しむ少女を助けることより写真撮影を優先したという事実、現場であるスーダンの状況、そこから彼の行動の是非を考えさせていくのも十分に意義のあることだろう。

 しかし私は、写真そのものを子供たちに提示することに決めた。そして写真にまつわるストーリー(世界中から彼に寄せられた非難、そして彼の自殺)には出来るだけ触れないように心がけることにした。これは写真以外の情報が、写真そのものを見つめる集中力を薄れさせると考えたためである。

 次に、私はケビン・カーターに浴びせられた「なぜ少女を助けなかったのか」という批判の「助ける」という行為の内容を精査してみた。この批判にある「助ける」とは、どういう行為を指すのであろう。考えられることは、恐らく次の三点である。

     1、ハゲワシを追い払う
     2、その場で食料を与える
     3、食糧配給センターまで連れて行く
 

 しかし、これらで本当に「助ける」ことになるのだろうか。この三点のいずれかをすれば、確かに写真の少女だけは助けることができる。しかし、このような少女は一人だけではない。この写真の少女はスーダンの現状の象徴であって、すべてではないのである。この子だけを「助ける」行為をしても、スーダンの現状は変わらない。ハゲワシを追い払い、何らかの方法で食料を与えたとしても、それは単なるその場限りの対処療法に過ぎないのではないか。写真少女を単なる個人としてではなく「象徴」としてとらえさせたい。「なぜ助けなかったのか」という素朴な疑問を大切にしながら、もっと別な「助ける」があるということを考えさせたい。私はそう考えた。学級は五・六年生である。

1.ハゲワシは何を狙っているのか?
 まずハゲワシのイラストを提示した。「ハゲワシ?」「ハゲタカかな」。『よくわかったね。この鳥はハゲワシという鳥です。ところでハゲワシは何を食べるか知っていますか?』。「死んだ動物」という答えが即座に返ってくる。ほとんどの子が、テレビでライオンなどの死骸をついばむ様子を見た経験があるということであった。

 次に、 サイズに拡大した「ハゲワシと少女」の少女の部分を隠して提示した。このハゲワシの狙っている獲物は何でしょうか。どの子も隠された部分に、動物が死んでいるか、または死にかけている様子を想像している。そこで、覆っていた紙をはずすと少女の姿が現れる。「えーっ!?」という驚きの声があがった。「人間だ!」「病気なの?」「死んでるの?」「男の子?女の子?」これらの質問に答えて、この子が少女であること、まだ生きていること、タイトルが「ハゲワシと少女」であることを知らせた。

 「写真を撮っている人がいるんでしょ?その人は助けなかったの?」。取りあえず彼が写真撮影後ハゲワシを追い払い、少女が歩み去るのを確認したことのみを知らせた。

 もしも、あなたたちがこの場所でこの少女を目の前にしたら、何が出来ますか。「食べ物や水をあげる」「家族や仲間の所へ連れて行く」「日本へ連れて行ってあげる」。サハリンのコンスタンチン君の治療(火傷)を思い出しての発言である。「恐くて逃げ出すと思う」。これはこれで正直な意見だろう。 

2.たくさんの「少女たちのいる国」『この少女を助ける人はいなかったのでしょうか?』。
 「写真の後ろの方に村のようなものが見えるから、きっと仲間に置き去りにされたんじゃないかな」「伝染病がはやったんだよ」「みんな死んじゃったのかな」ここで乾いた大地の方へ目を向けさせた。「日照りが続いて食べ物がなくなったんだ」。『さっき、アフリカだと言ったけど、何という国だかわかりますか』。残念ながら国名までは出てこなかったのでスーダンであることを教えた。

 「戦争やってる国だ」「小学生が徴兵された国!」「内戦なんだよね」以前、新聞記事について学級で話題になったことを思い出したようである。『このような少女がたくさんいる国へ、みなさんを案内します』。全員を図書室に連れて行った。図書室には、あらかじめ サイズの同じ写真のカラーコピー二〇枚が、いたる所に貼ってある。どっちを向いても少女の姿が目に入る。

 「うわー!」「いっぱいいる」。驚きの声を上げながら、一枚一枚写真を見て回る。『こんなにたくさん少女がいたら、どうやって助けてあげたらいいの?』「全員に食料を配ってあげる・・・?」。『あなたが、この国にいたら、そんなことが出来ますか。一人一人に食料を配ってあげられるかな』「できない」。『全員日本へ連れて来られますか』。「無理だと思う」。

 『あなたがこの国に行ったら、全員に食料を配ってあげる?全員日本に連れて来られますか?』「無理だと思う」『じゃあ、さっき考えた方法ではあの少女一人は助けられるかも知れないけど、ほかの少女は助けられないね』。ここでみな、一様に考え込んでしまった。「助ける」という行為を具体的に考え始めたのである。最初に写真を見たときに感じた「助ける」と、今考え始めている「助ける」には質の違いがある。子供たちは、写真の少女の持つ象徴の意味を感じ取ったのである。

3.誰が少女を救えばよいのか?
 「この国の大統領が戦争をやめさせたらいいと思う」「日本から食べ物をいっぱい送ってあげる」「病院だとか、この人たちの世話をする施設を作ればいい」「募金とかすれば、この国にも送れるんだよね」。話し合いの後、教室に戻って自分の考えを原稿用紙に書かせて授業を終えた。考えを文章にまとめる際「誰が」「どうやって」を明示的に書くように指示しておいた。大別して、三つのパターンに別れた。
*自分、もしくは自分も含めた日本人が、募金や寄付などの援助をする。
*この国の政府が内戦をやめる。そのために各国首脳が調停に入る。
*子供たちの家族や村の仲間が、見捨てないで面倒を見る。

 その他、この写真の少女にこだわり、問題を一般化できないまま、カメラマンが助けるべきだったという意見もあった。

4.授業を終えて
 この授業の後、スーダンの状況について、もう少し詳しく説明した。百万もの人々が飢餓に苦しみ、この村だけでも毎日十〜十五人の子供が死んでいること、食べ物を与えても食べることすらできず、死を待つだけの子が大勢いること、内戦のため他国からの救いが届かないこと、カメラマンも命がけでこの国へやって来たことなどを話した。特にカメラマンが昨年七月に自殺したという話は、みんな興味深そうに聞いていた。カメラマンケビン・カーターの写真が、子供たちの心に強く印象付けられたことは確かである。