絵葉書に見る

第一次大戦劈頭の日本艦隊主力


全主砲を艦首方向に指向して進撃中のわが巡洋戦艦(イメージ)

1914(大正3)年8月23日、わが国は日英同盟の規約に従って帝政独逸に宣戦布告し、日本海軍も連合国軍の一員として同国の東洋における根拠地・青島の攻略を始め、太平洋、印度洋、地中海において英国その他と共同作戦を遂行しました。1918(大正7)年11月11日、同大戦は連合国軍の勝利によって終結し、わが海軍は世界第三位の地位を獲得しましたが、同時に第二次大戦への遠因も生じていました。ここでは、同大戦劈頭における主力艦14隻の艦影をかかげ、往時をしのびたいと思います。

<注>
1. ここでは、対独開戦に備えて戦時体制に移行した1914年8月18日の編成を示します。なお、第一次大戦においては、大演習の前後など一部短期間を除き、連合艦隊は編成されませんでした。
2. ここに使用した絵葉書は全て当研究所の所蔵品です。

3. 「日清戦争黄海海戦」「日本海海戦」のページで紹介した各艦の艦影は省略します。


<第一艦隊>黄海方面哨戒および通商保護
司令長官 中将 加藤友三郎、 参謀長 大佐 山路一善
第一戦隊(艦隊主力)
戦艦 摂津(艦隊旗艦)、河内、安芸、薩摩
第三戦隊
巡洋戦艦 金剛(旗艦)、比叡、鞍馬、筑波
第五戦隊
巡洋艦 矢矧(旗艦)、平戸、新高、笠置
第一水雷戦隊
巡洋艦 音羽(旗艦)、 第一駆逐隊(駆逐艦4隻)、第二駆逐隊(駆逐艦4隻)、第十六駆逐隊(駆逐艦2隻)、第十七駆逐隊(駆逐艦2隻)



戦艦 摂津。呉工廠建造、1912年竣工、21,443トン、30.5cm砲12門、20ノット。



戦艦 河内。横須賀工廠建造、1912年竣工、21,443トン、30.5cm砲12門、20ノット。



戦艦 安芸。呉工廠建造、1911年竣工、20,100トン、30.5cm砲4門、25.4cm砲12門、20ノット。



戦艦 薩摩。横須賀工廠建造、1910年竣工、19,372トン、30.5cm砲4門、25.4cm砲12門、18.25ノット。



巡洋戦艦 金剛。英国ヴィッカーズ社建造、1913年竣工、27,500トン、35.6cm砲8門、27.5ノット。



巡洋戦艦 比叡。横須賀工廠建造、1914年竣工、27,500トン、35.6cm砲8門、27.5ノット。



巡洋戦艦 鞍馬。横須賀工廠建造、1911年竣工、14,636トン、30.5cm砲4門、20.3cm砲8門、20.5ノット。



巡洋戦艦 筑波。呉工廠建造、1907年竣工、13,750トン、30.5cm砲4門、20.5ノット。


<第二艦隊>
青島攻略ないし膠州湾封鎖
司令長官 中将 加藤定吉、 参謀長 大佐 吉田清風
第二戦隊(艦隊主力)
戦艦 周防(艦隊旗艦)、石見、丹後、 海防艦 沖島、見島
第四戦隊
巡洋艦 磐手(旗艦)、八雲、常磐
第六戦隊
巡洋艦 千歳(旗艦)、秋津洲、千代田
第二水雷戦隊
巡洋艦 利根(旗艦)、 第九駆逐隊(駆逐艦4隻)、第十二駆逐隊(駆逐艦4隻)、第十三駆逐隊(駆逐艦4隻)
艦隊直属
特務艦 熊野丸、高千穂、松江、 掃海隊 (甲隊、乙隊)
艦隊航空隊
水上機母艦 若宮丸
特務部隊
工作船 関東丸、 病院船 八幡丸


戦艦 周防(旧ポべーダ)。露国バルチック造船所建造、1902年竣工、12,683トン、25.4cm砲4門、18ノット。




戦艦 石見(旧アリヨール)。露国ガレルニ島工廠建造、1904年竣工、13,516トン、30.5cm砲4門、17.5ノット。



戦艦 丹後(旧ポルターヴァ)。露国新アドミラルティ工廠建造、1899年竣工、11,354トン、30.5cm砲4門、16.5ノット。


<第三艦隊>
東支那海方面哨戒
司令官 少将 土屋光金、 参謀長 中佐 吉川安平
巡洋艦 対馬(旗艦)、 通報艦 最上、淀、 砲艦 宇治、隅田、伏見、鳥羽、嵯峨


<開戦直後3ヶ月間の異動>

月日 第一艦隊 第二艦隊 枝隊 第三艦隊
編入 解除 編入 解除 編成/編入 解除 編入 解除
8/20 - - 琉球丸
第二長門丸
第三長門丸
第五長門丸
第六長門丸(→ 9/20弘養丸に改名)
第八長門丸
第三日乃出丸
八幡丸
- - -
8/24 - - 関東丸 - 春日
日進
鳥羽
伏見
隅田
8/25 - - 漣丸
皐月丸
文月丸
敷波丸
巻雲丸
霞丸
- - -
8/29 - - 最上

宇治
嵯峨
- - 最上

宇治
嵯峨
8/30 - - 第五駆逐隊 - - -
9/14 - - - - 第一南遣枝隊
鞍馬(旗艦)
筑波
浅間
第十六駆逐隊
南海丸
遠江丸
- - -
9/23 - - - - - - - 日進
9/26 - - - - 第二南遣枝隊
薩摩(旗艦)
矢矧
平戸
幸寿丸
- - -
10/1 - - - - 特別南遣枝隊
伊吹*
筑摩
日進
- - -
10/2 - - 淀橋丸 - - - - -
10/16 - - - 琉球丸
第二長門丸
第三長門丸
第五長門丸
弘養丸
第八長門丸
第三西宗丸
- - - -
10/20 - - 第八駆逐隊 第九駆逐隊 - - - -
10/26 - - - - 第二南遣枝隊
生駒*
- - -
11/12 - - - 八幡丸 - - - -
11/19 - - - - 遣米枝隊
出雲(旗艦)
浅間
肥前*
- - -

表中*印の各艦の艦影を以下に紹介します。



巡洋戦艦 伊吹。呉工廠建造、1909年竣工、14,636トン、30.5cm砲4門、20.3cm砲8門、21.5ノット。



巡洋戦艦 生駒。呉工廠建造、1908年竣工、13,750トン、30.5cm砲4門、20.5ノット。



戦艦 肥前(旧レトウィザン)。米国クランプ社建造、1901年竣工、12,900トン、30.5cm砲4門、18ノット。


<解説>
第一次大戦において、わが主力艦は開戦劈頭を除いてほとんど活躍せず、最も戦局に寄与したわが海軍兵力は、英国の懇請によって1917(大正6)年に地中海へ通商保護のため派遣された駆逐艦隊でした。同隊は実に見事な働きを示したものの、ショー・ザ・フラッグの見地からは、主戦場の北海海域に主力艦隊を派遣することがより効果的であったと考えられ、途中から参戦した米国などは戦艦延べ6隻(旗艦ニューヨーク、テキサス、ワイオミング、アーカンソー、フロリダ、デラウェア)を北海海域に派遣し、英国大艦隊の第6戦艦戦隊として対独共同作戦を実施しています。これに対し、わが国は英国海軍から1917年以降、金剛級巡洋戦艦4隻の北海海域への派遣を懇請されたにもかかわらず、これを拒絶し続けました。
その結果、せっかく連合国の一員として参戦し、多くの犠牲を払いながら、英国本土近海でわが主力艦の活躍を広く天下に示すことも無く、主戦場たる北海海域での熾烈な実戦経験も得られなかった一方、対独戦遂行に非協力的であるとの悪印象を英国その他に与えました。こういう点が昔も今もわが国の外交音痴なところで、果然当時も米国などに付け入る隙を与え、1921〜22(大正10〜11)年のワシントン軍縮会議では日英同盟の破棄と英:米:日=5:5:3の劣勢比率を強いられる結果に至りました。その後のわが国がたどった暗転の歴史は、ここに改めて述べるまでも無いと思いますが、元来海洋国家のわが国が同じ海洋国家の英米と反目する一方で、大陸国家の独ソなどに接近を図るなどの国家戦略上の大錯誤は、今後二度と繰り返してはならないものと考える次第です。

<主要参考文献>
海軍制度沿革 巻四
日本海軍編制事典

<資料その他協力>(順不同)
橋本MZ殿、吉岡伊豫守爛柯殿、Hush小池殿

<関連資料1>
当時、三菱造船所(長崎)で建造中の巡洋戦艦 霧島の絵葉書(1914/大正3年8月9日消印)を紹介します。葉面の文章から時代の雰囲気が偲ばれます。曰く
「欧州の天地戦雲乱れ飛びて東亜乃風雲又急に、果して何人がよく最後乃覇権を握り得るものぞ 我には実に骨鳴り肉動くの感なくんば御座なくは、当地三菱大起重機下に悠々迫らず将に立たんとする大獅子の如く毅然としてその巨大なる船体を横ゆるわが新造戦艦霧嶋(ママ)の勇姿を見ずや 金剛の姉妹二万七千噸のその勇姿を見ずや 大正三年夏日」



<関連資料2>
第一次大戦での戦利独潜水艦7隻は、本邦への回航時に通し番号が付されましたが、今日ではその読み方に混乱が生じています。
本来の読み方はどうであったか、参考として当時発行された所長所蔵の絵葉書をご紹介します(回航母艦は一等巡洋艦 日進)。なお、同様に「零何号」と記載された発行元の異なる絵葉書も数点存在しますので(下記タカハシスタンプのHP参照)、これが日本海軍当局の公式呼称であったと推定して良さそうです。




潟^カハシスタンプ商会
東京・銀座の有力スタンプ・ディーラーで、「日独戦争」のページは一見に値します。
http://www.takahashistamp.com/


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