風水開運祈願学会     

                                       

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三元地理風水術

 

中国の数千年の歴史の中で、現在に到るまで伝えられている占術は、六壬・奇門遁甲(活盤奇門遁甲、飛盤奇門遁甲、小奇門)、三元地理(三元択日日課之法、三元羅経盤応用法、玄空大卦応用法、真伝巒頭応用法、真伝葬法の変化法)、子平、河洛理数推命術、範囲数元会運世推命術、太乙神数、鉄板神数(南派)、皇極神数(北派)、紫微斗数(飛屋斗数、河洛斗数、奇門斗数)等があります。

そのうち、三元地理風水は、周易、帰蔵易、連山易、三元択日日課を用い、風水鑑定を行います。また、三合・九星地理術とは異なり、陽宅つまり家の風水鑑定を行う際、玄関の向きを最重要視し、そして神棚、台所、ガスコンロ、ベッドのそれぞれの向きを鑑定していきます。

陽宅に於いては、連山八卦の変卦を間違えたり、分金殺などがあると凶が生じ、その家の住民が傷つけられ、職を突然やめさせられたたり、病気になったり、破財、或いは、意外な思いがけない事故が発生します。

三元地理風水は三元択日日課を用いるため、種の凶殺・太歳・都天太歳・九宮太歳・羊刃・三殺・五黄殺・暗剣殺等にあたったとしても、交通事故、手術、自殺、ガンになること、子孫が途絶え、思いもかけない凶事が発生することを最小限まで防ぐことができます。

三元地理には五大理気があり、五種類に分かれる。一・玄空大卦応用法、二・三元羅盤応用法、三・三元日課応用法、四・巒頭応用法、五・葬法の変化法(基本的には七十二種類があるも、数百種もの多くの変化があって、地勢、地形の異なりによってその応用法は色々とある。)である。

 楊救貧仙師の真伝三元日課では各種の凶殺を修する秘法があります。秘伝によりますと、もしも発展しようとするならば三殺を修せ、もしも財を必要とすれば流財を修めよ、繁昌を必要とすれば、金神を修めよ、もし大貴を要すれば太歳を修めよ、大繁昌なるのを必要とすれば羊刃を修めよと記載しています。

 この秘伝を解釈しますと、毎年異なる方位の凶方の気でありまして、これは「修方」と呼ばれ、これには「文修」と「武修」との二種類があり、吊天星等の法によって、その凶方の気を散じなくする事が出来、例えば土地・庭のある人ならば、その方位の所に穴を掘るとか、マンション住まいの人ならば、その方位の所の壁を叩く等する事によってもその効果は出て参ります。

 流財とは、財(お金)が外に向かって流れ出る物で、常に破財(金銭の損失)或いは財産をなくする等、又財の気が流れ出て行くとの意味で、逆にこれを活用すれば、反対に進財(財が入ってくる事)を主とり、これには年流財、月流財とがあります。

 修金神をすれば、泥棒を防ぎ、運命が好転するのみならず、目に病気があるとも治り、これには天金神、地金神などがあります。官府を修すれば何年も裁判が終わらない時に此の法を修すれば、裁判はなくなり、公務員の人は地位が昇進します。これには天官府、地官府などがあります。

 何年も長く、病気で悩んでいて多くの医者に診てもらったが、全然良くならない時には、天医星或いは生気星のその方位を選んで行えば効果が生じます。もしもこれらが出来ない場合には、安神位の法でもって、神棚の向きを三元羅経盤で見てどの卦のどの向きかを定め、天医、生気等がきてから神をお祭りすれば、ある時には当日で良くなり、或いは三〜五日してから良くなるものであります。

 

 

茅山祈願術

 

現在台湾の符呪門派では、大別して「張天師派、三女乃派、茅山派、鳳陽派」等の門派があります。

一般的に広く民衆に知られているものには、第一に「張天師派」、次に「三女乃派」が挙げられ、「茅山 鳳陽」の道士に到っては数が非常に少ないものであります。

特にこの「茅山」に到っては、大衆より「サンマオ法(ファ)」と呼ばれ、同一の法術においては、多様な祈願法またそれに伴う成就も異なるため、この門派は現地にいる中国人、又道士間にあっても、誰が果たしてこの茅山の法術を心得ているのか、知っている者は極めて少数であります。しかしながらこの門派の符呪には、現在でも摩訶不思議なる秘術が伝わっています。

この「茅山法術」起こりは、かなり古くからあって、司馬遷史記『秦始皇本記』集解の「茅盈内記」に曰く、始皇三十年九月庚子、茅盈の高祖父に当る茅濠が、華山にて雲に乗じ竜に駕して白日昇天をした。これが、秦の始皇帝が不老不死の仙術を求める原因となったのであります。

そして漢の時代になり、その孫にあたる茅盈が祖父の秘伝書を得て、年十八にして恒山に籠って修道をし、その後、茅山に移り住み、王君に師事して得道の仙人となりました。そして迎えの神仙達と共に、又白日にしずしずと天に昇って行ったのであります。

この茅盈には二人の弟達がいて、それぞれ高い位についていたが、兄が得道の仙人となったのを聞いてそれを辞職し、家に帰り川を渡り山に来て、兄を探し求めました。すると間もなく兄が現れて弟達に仙道の伝授をし、九転の還丹を与えたあと、彼等も遂に仙と成り茅山に住むようになったところから、彼等を三茅君と呼び、その道門を茅山法と呼ぶようになったようであります。

また、宋の人の筆記した中には、茅山術に関した事件を記述したものが頗る多い。茅山の地運が旺運を得れば(風水というところのその土地のよい時期)得道の仙人が多く出て、衰運ならば邪師が輩出するとの言い伝えであります。 

           

飛斗七星燈法                               蓬莱仙船

 

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