「インパール作戦」が契機となった独立運動

ナガランド連邦


1947年8月14日 ナガ民族評議会が独立を宣言
1956年3月22日 ナガランド連邦政府を設立
1975年11月11日 インド連邦政府とナガ民族評議会がシロン和平協定に調印

インドの地図ナガランド州は一番東のミャンマーとの国境地帯
ナガランド州とNagalimの地図赤枠内がナガランド州、それを含む赤やオレンジ色の部分が独立派が主張するナガリムの領域

ナガランドとは、ミャンマーと国境を接するインドの最東端。「インパール作戦の舞台」といえば日本にもなじみのある場所だ。ナガランドを中心に住むナガ人は、チベット=ビルマ系の言葉を話すモンゴロイド系民族で、人口約300万人。一部はミャンマー領内にも住んでいる。数十年前までは「男は首狩りをしないと結婚できない」という民族だったが、20世紀に入ってキリスト教の宣教師が盛んに布教をし、現在ではほとんどがキリスト教徒になっている。

さて、ナガランド独立のきっかけとなったのは、日本軍のインパール作戦だ。1944年、日本軍は「ビルマからインドへ攻め込めば、英国の植民地支配にあえぐインド人大衆が合流して戦局を一気に好転できる」と、当時から無謀だと言われたインパール作戦に突入。マレー半島などで日本軍に投降した英軍インド兵を「インド国民軍」に再編して日本軍に同行させた。そして3月にはインパールとともにナガランドの中心地・コピマ郊外まで到達した。この時、ナガ人たちは日本軍を「解放者」と見て協力する者もいれば、英軍に協力して抵抗する者もいたが、後にナガ民族評議会(NNC)の議長となるピゾは、インド国民軍を率いていた自由インド政府のチャンドラ・ボースと接触し、「インド解放の後にはナガランド独立を認める」との約束を得て日本軍に協力した。

ピゾ
結局、補給などの条件をまったく無視したインパール作戦は散々な結果で終わったが、戦後インドでは独立運動が急速に高まり、ナガ人たちも「かつてイギリス人に降伏したことはあるが、インド人に降伏した覚えは無い」と分離独立の気運が高まり、ナガ民族評議会(NNC)を結成した。NNCはイギリスと交渉し、イギリスは「ナガランドなどインド北東部はイギリス植民地のまま残す」という案も検討したが、パキスタンの分離独立を巡ってインド中が大混乱となる状況の中でこの案は放置された。「ナガランド独立」を約束したチャンドラ・ボーズは飛行機事故ですでに亡く、NNCは「インド独立の父」ガンジーと会見するが、イスラム教徒の分離独立に猛反対しパキスタンを含めた統一インドの独立を主張していたガンジーには、ナガランドの独立なんてトンでもないと諌められてしまう。こうして孤立無援となったNNCは、インド独立の前日、1947年8月14日にナガランド独立を宣言したが、国際的にはまったく無視された。

パキスタンとの分離をめぐる混乱や藩王国の併合などが一段落すると、インド軍はナガランドに対する平定を本格化させる。これに対し、NNCも武装闘争を激化させ、56年にはナガランド連邦政府の樹立と憲法発布を行った。ナガランドを支援していたのはインドの宿敵パキスタンで、東パキスタンにはNNCの軍事訓練キャンプが置かれた。しかし、63年にインド政府がナガ人居住地域の一部にナガランド州を設置してある程度の自治を認めたり、71年には東パキスタンがインドの支援を受けてバングラデシュとして分離独立すると、NNCの独立闘争は行き詰まってきた。ナガ人内部でも部族対立が表面化し、68年にはアンガミ族主導の連邦政府に反発してセマ族が独自のナガランド革命政府を樹立したが、73年にインド政府に降伏。連邦政府とNNCも75年にインド政府との間でシロン和平協定を結び、インド憲法を受け入れて独立を断念した。

和平協定に不満な急進派はナガランド民族社会主義評議会(NSCN)ナガ人民共和国政府(GPRN)を組織し、インド領内のナガランド州のみならずミャンマー領のナガ人居住地域を含めた「Nagalim」の独立を求めて武装闘争を続けているが、88年に部族対立を背景にイサク・ムイヴァー派とカプラン派に分裂。現在では支配領域といえるような場所はなく、州外からのゲリラ戦が主体となっているようだ。武装闘争を止めたNNCもロンドンに亡命していたピゾが90年に死ぬと、後継者を巡って分裂し、弱体化している。

Nagalim  「ナガランド民族社会主義評議会イサク・ムイヴァー派(NSCN) 」の関連組織らしきサイト(英語)
東北インド紀行 ナガランド州の旅行記
ミャンマー旅行記(西部辺境)  ミャンマー側のナガ族の村の写真があります
インドナガランドのあやとりl  ナガ族の女性があやとりを教えてくれます・・・行きたかったな、アイチ万博w
一兵士の戦争体験  インパール作戦に参加した日本軍兵士の体験記
 
 

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