「異教徒」のパトロンには見捨てられたが、自治実現 で政権を獲得したゲリラ

ミゾラム

首都:アイゾール 人口:33万2000人(1971年)


 
1966年3月1日 インドからの独立を宣言
1966年3月25日 インド軍が大部分の地域を占領
1986年6月30日 イ ンド政府と和平協定に調印
1987年2月20日 インド政府がミゾラム州を設置

インドの地図

インドの北東部、バングラデシュを挟んでさら に東の一帯は、アッサム州を中心に7つの小さな州に分かれ、100以上の少数民族が200 以上の言語を話しているという地域。風習や宗教も俗に言う「インド人」とは全く異質な民族も多く、インドが独立して以来、自治や独立を求めて紛争が頻 発している。

これに対してインド政府は、軍事弾圧を続け「独立」は認 めない一方で、新たな州を設置してある程度の「自治」を認め ている。こうしてイ ンド独立時にはすべてアッサム州だったこの地域は、7つの州に分割された。その1つがミゾラム州だ。

ミゾラム州の人口の90%はミゾ人という モンゴロイドの民族で、ミゾラムとは「ミゾ人の土地」という意味。伝説によればミゾ人のルーツは中国南部 で、紀元前210年頃に中国で起きた大乱(=秦の始皇帝が死んだ時)によって移動を開始し、ミャンマーを経て14世紀頃やって来たと言われている。だから チベット=ビルマ系の言葉を話し、ミャンマーに住むチン族とは近い関係にあるようだ。ミゾ人た ちは部族ごとに山の上に住んでいて、焼畑農業をして生活している。かつてはアミニズムで首狩りの風習もあったが、イギリス植民地だった時期に宣教師が大量 に入って、今では住民のほとんどがキリスト教に改宗した。

ミゾラムがイギリス植民地になったのは、インドよりも後で1895年のこと。1885年から翌年にかけてイギリスはビルマ〈現:ミャン マー)を支配し ようと第三次英緬戦争を起こしたが、ビルマ征服後にインドとビルマの間の山岳地帯も領土に加えたもの。だか らもともとミゾ人たちに「インド人」という意識はなかった。

さて1947年にインドが独立すると、ミゾラムはアッサム州の一部とされたが、ミゾ人たちは民族的にも歴史的にもつながりが深いビルマと一緒にしてほしいと要求し、46年4月にはUMFO(自由ミゾ 連合組織)を結成していた(※)。

※結局ミャンマー編入の要求は叶わず、アッ サム州議会で活動した。

59年にミゾラムは大飢饉に襲われたが、インド辺境のアッサム州のまた辺境のミゾラムには、政府による救援の手はほとんど届かず、多 くの餓死者を出した(※)。さらに60年にアッサム州がアッサム語を公用語にしたことで、ミゾ人たちの不満が爆発し、MNF(ミゾ国民戦線)が結成されて インドからの独立を目指して武装闘争を始めた。

※この年、ミゾラムでは竹の花が狂い咲きしてネズミが増え、ネ ズミの大群が村々を襲って食糧を食いつくしたとか。

MNFを支援したのはパキスタンだった。 インドがイギリスから独立する際に、イスラム教徒の国として分離したパキスタンは、カシミールの領有権をめぐってインドとの戦 争(印パ戦争)を繰り返していた。さらに59年から60年にかけては、中国人民解放軍がヒマラヤ山脈を越えてアッサム州の北東部(現在のアルナーチャ ル・プラデーシュ州)に侵攻し、インド軍が敗走する事件中印国境紛争、後に人民解放軍は撤退)も起きている。アッ サム州の南部(=ミゾラム)でも反乱が 起きれば、パキスタンにとっては戦略的に好都合だと、キリスト教徒のミゾ人たちを支援したのだ。

ミゾラムは南側でバングラデシュと国境を接しているが、当時は東 パキスタンと言うパキスタンの飛び地で、MNFはここで軍事訓練を受 けていた。そして65年に第二次印パ戦争が勃発すると、MNFは絶好のチャンスだと武装蜂起の準備を進めるが、66年に入ると両国は停戦で合意し、2月 25日までに軍を引き揚げることが決まった。そこで焦ったMNFは急きょ反乱を起こし、3月1日にミゾラムの中心地・アイゾールを占領して独立を宣言 した。

MNFはアイゾールで48時間以上「ミゾラム 国旗」を掲げていれば、パキスタンのようにミゾラム独立を支持する国が次々と現れ、国連で独立問題が取り上げられるだろうと期待したが、現 実にはそんなことはなく、5日後にインド軍はアイゾールへ空爆を開始。地上部隊も進攻して、3月末までにミゾラムのほとんどを制圧した(※)。

※議会で合法化をしていたUMFO系のミゾ 人議員たちは、「独立のおかげでミゾ人がたくさん死んだ」とMNFを非難した。

MNFはその後も東パキスタンを出撃拠点にゲリラ戦を続けた。インド政府は対抗手段として、山の上に住んでいたミゾ人を道路沿いに新 しく作った村へ強制移住させて、MNFとの接触を断ちきるとともに、インド軍の治安部隊の下にミゾ人による自警団を組織。さらに村人たちの信仰を集めるキ リスト教会を通じて、教育や医療、物資供給などを充実させる戦術を採った(※)。

※インド軍は古くからの村を焼き、80%のミゾ人が移住させら れたという。モデルになったのは、当時アメリカが南ベ トナムで「ベトコン掃討」のために作った戦略村

ラジブ・ガンジー首相(中)と和平協定に調印するプ・ラルデンガ(右)
またインド政府はミゾ人の不満を和らげるために、72年にミゾラムをアッサ ム州から切り離して連邦政府直轄地とし、自治を与える準備を始めた。一方で72年に東パキスタンがバングラデシュとして分離独立すると、MNFはパキスタ ンという後ろ盾を失い、リーダーのプ・ラルデンガらはビルマへ拠点を移して活動を続けたが、独立から自治へと要求を転換させて、86年にインド政府と 和平協定を締結。翌87年に発足したミゾラム州で、ラルデンガは州知事に任命された。

ラルデンガは翌年、MNFを離党して知事の座を追われたが、98年の選挙でMNFが再び政権を取り、ラルデンガの秘書だったゾラムチャンガが10年間にわ たり知事を務めている。

インド北東部は中国との国境問題や独立運動の頻発などで、外国人はおろか一般のインド人でも特別な許可がない限り、立 ち入りできない状態が続いている。ここ数年、ミゾラム州では外国人観光客にも入域許可証が発行されるようになったが、まだ制限は多い。

アッサム州をはじめマニプール州、メガラヤ州、トリプラ州、ナガランド州な ど、周辺の各州では独立紛争が続いているが、ミゾラム州は和平協定とMNF政権の誕生で、今では紛争が解決した州として安定している。インド政府や教会を通じて多 額の補助 金が注ぎ込まれて、アイゾールでは開発が進んだが、ミゾ人たちの暮らしは補助金に依存するようになり、大きく変わっているようだ。


参考資料
サークル・ミゾラム http://c-mizoram.jpn.org/main.html
india elections.co.in  http://www.indiaelections.co.in/chief-ministers/mizoram/pu-zoramthanga/
mi(sual).com http://www.misual.com/
wikipedia http://en.wikipedia.org/

●関連リンク
サークル・ミゾラム ミゾラムで農業指導などを行っている日本人のサイト
TIMESCONTENT 60年代から80年代にかけてのミゾラムの写真

 
 

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