
虐殺して独立したら、虐殺されて消えた国
マーチャゾ共和国
1972年5月1日 独立宣言
1972年5月9日 ブルンジ軍が制圧して消滅ブルンジの地図 マーチャゾ共和国があったのは、南部のMakambaから Nyanza-Lacにかけて
近年アフリカで起きた惨劇の1つに、ルワ ンダ大虐殺がある。1994年に多数派のフツが少数派のツチとフツの穏健派を襲撃し、3ヵ月間で人口の約1割にあたる80万〜100万人が 殺害されたという事件だ。当時ルワンダには国連軍(国連ルワンダ支援団)2500人が駐留していたが、国連軍も襲撃されるなどして手が出せなかった。
一方で隣りのブルンジでも、1962年の独立以来、多数派の フツと少数派のツチとの間で殺し合いが繰り返されていて、72年にタンザニア国境沿いの南部で、フツが独立を宣言したのがマーチャゾ共和国だ。
フツとツチは、ルワンダとブルンジ(それと一部はコンゴ民主共和国の東部)に跨って住んでいて、両国とも人口比は84%対15%くらい。言語はどちらもル ンディ語(ルワンダ語)で、宗教もキリスト教で同じ。居住地域も分かれているわけではなく、同じ村に住んでいる。じゃあ一体フツとツチの違いは何かといえ ば、歴史的に少数派のツチは支配層で、多数派のフツは支配される側だっ たのだ。
もともとこの地域には農耕民のフツ族が住んでいたが、北から遊牧民のツチ族がやって来て、フツ族を支配するようになった・・・と長年言われていたが、ツチ のDNAを調べても「北から来た形跡」はないことがわかり、近年ではツチも フツも同じ民族で、1000年くらい前から牧畜中心の人たち(ツチ)と農業中心の人たち(フツ)に分かれるようになり、やがて集団意識が形 成されるとともに、ツチ主体の支配体制が確立したと言われている。資産〈牛)を増やしてフツからツチへ「変化」した人もいた。
ルワンダとブルンジはどちらも旧ドイツ領で、第一次世界大戦後に隣りのコンゴを支配いていたベルギーの委 任統治領(第二次世界大戦後は信託統治領)となり、当時はルワンダ―ウルンディと呼ばれていた。
フツとツチが明確に分かれたのはベルギー統治時代で、 1930年代に住民にIDカードを交付したが、そこにフツかツチかを明記した(※)。そして植民地になる前から存在していたツチの王国を活用して間接統治 を行い、行政ポストへの任命や教育でもツチを優遇。ツチを白人支配層と多数派住民のフツとの間の中間層に置くことで、ツチを味方につけ、フツの不満が白人よりもツチへ向かうようにした。
※フツかツチかの識別にあたっては、「牛を10頭以上飼っ ているからツチ」「鼻が低いからフツ」といった調子で振り分けたこともあったようだ。
さて戦後、ベルギーは60年に独立を認めたコンゴが大動乱と なって、隣りの小さな植民地にかまう余裕がなくなり、国連の承認を経てルワンダ―ウルンディの独立を決定。昔からの王国をそのまま国家にして、北はルワン ダ、南はブルンジと分割して62年に独立させることにした。
しかしルワンダでは、59年に王のムタラ3世がベルギー人医師から予防接種を受けたところ死亡。ツチが「ベルギー人に王が暗殺された」と騒ぎ出し、フツも ツチを襲撃(※)。ベルギーは独立直前にフツに肩入れし、住民投票を実施して王制を廃止して独立した。民主主義なら多数派のフツが政権を握り、73年以降ツチを弾圧したた め、ウガンダへ難民となって逃げたツチが87年に愛国戦線を結成して反撃。93年に政府と和平協定を結んだところ、危機感を持ったフツの過激派が冒頭の 「ルワンダ虐殺」を引き起こした。その後、愛国戦線が全土を占領すると、こんどは報復を恐れた200万人以上のフツが周辺諸国へ難民となって逃げ出した。
※59年11月にフツのリーダーがツチ に殺され、フツが報復して多数のツチを殺害した(万聖節事件)。これがその後ルワンダやブルンジで延々と続く、フツとツチの殺し合いの最初の事件。
一方でブルンジでは、66年にツチ軍人のミコンベロがクーデターを起こして王制を廃止し、共和制に移行した。しかし真面目に民主主義を実行したら多数派のフツに政権を取られるので、ツチ政党による一党独裁体制を敷き、多数派のフツを弾圧した。
そして72年4月29日にアントワーヌ・セルクラブらフツの憲兵隊がタンザニア国境沿いで反乱を起こし、ニャンザ・ラックなどの町を占拠。5月1日にマー チャゾ共和国の独立を宣言して、すべてのツチと協力を拒んだフツを殺し、フ ツだけの独立国を築こうとした。マーチャゾ共和国には、これまで弾圧を逃れてタンザニアやコンゴにいたフツも戻って協力し、1万人を殺した と言われているが、8日後にツチ主体のブルンジ軍が鎮圧。こんどは8月までに25万人のフツが殺され、21万人が難民となってタンザニアへ逃れた。
93年に民主化で初めてのフツの大統領であるンダダイェが政権を握ると、再び対立が激しくなった。ンダダイェがツチの軍部に暗殺されると、数万人のツチが フツに殺され、続いて就任したフツのヌタミャリア大統領の搭乗機がミサイル攻撃で撃墜されて同乗していたルワンダの大統領もろとも殺される事件が起き(※)、96 年にクーデターで再びツチが政権を握った。
※この事件がルワンダ大虐殺の引き金になった。
何十年間も殺し合いが続いているなら、フツとツチでそれぞれ別々の国を作ればいいのにと思うが、前述したようにフツとツチは民族や地域の違いではなく、 「独立前に支配される側か支配層だったか」の違いで、同じ町や村に隣り合って住んでいる。「独立前に貧乏だった人だけの国」と「金持ち(牛持ち)だった人だけの国」に分けるだ なんて、とうてい無理でしょう。
世界各地には「多数派が少数派を弾圧している国」や「少数派の支配者が多数派を抑圧している国」はよくあるし、なかには革命が起きて、抑圧されていた多数 派が権力を握り、かつて支配者だった少数派を徹底弾圧するケースもある。しかしブルンジやルワンダの場合は、フツとツチとの間で何度か政権が入れ替わり、 そのたびに虐殺が繰り返されている。さらに周辺諸国に逃げた難民も、機を見て報復に戻って来るので、事情は複雑だ。
さすがにルワンダ大虐殺は世界に衝撃を与え、現在では両国とも和平協定と民主化が実現している。ルワンダでは国際法廷を設置して虐殺に関わった11万人を 逮捕する一方で、IDカードから「フツかツチか」の記載を廃止。ブルンジでは憲法で、国会議員の議席数をフツ6:ツチ4の割合で配分することを規定した (多数派のフツの議席が多いが、ツチは人口比の2倍の議席を獲得できる)。難民の帰還もようやく軌道に乗り出したようだ。
参考資料
佐藤章 「ブルンジにおける1993年体制の崩壊過程」 〈『現代アフリカの紛争を理解する ために』 アジア経済研究所 1998)
武内進一 「ルワンダの紛争とエスニシティ―創られた民族?」 (端信行編『民族の二〇世紀』 ドメス出版 2004)
鶴田綾 「ルワンダにおける民族対立の国際的構造」 (『一橋法学』第7巻第3号 一橋大学 2008)
Tomoya Kamino Homepage (人道的介入の事例・ルワンダ) http://www2.odn.ne.jp/kamino/hi4.html
国連UNHCR協会 タンザニア/荒木裕子 レポート http://www.japanforunhcr.org/act/a_africa_tanzania_02.html
外務省 各国情勢 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/africa.html
バルバラ・ヴィニョー 青木泉・訳 『新たなジェノサイドが懸念されるブルンジ情勢』 「ル・モンド・ディプロマティーク」日本語電子版 http: //www.diplo.jp/articles04/0410-3.html
wikipedia http://en.wikipedia.org
Online Encyclopedia http://www.massviolence.org/The-Burundi-Killings-of-1972
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