「日本軍の手先」に支配されるなら独立!

コートレイ共和国
 
首都:トングー

1949年7月14日 独立を宣言
1950年3月 ビルマ政府軍の攻撃で消滅
 
ミャンマーの地図 タイ国境のKayinが旧:カレン州

かつてはインドシナ戦争をはしめ紛争目白押しだった東南アジアで、最後までゴタゴタし続けているのがミャン マーだ。中央では2011年まで約50年にわたって軍事政権が続き、民主化勢力はアメリカに亡命政府(ビルマ国民連合政府)を樹立して対抗 した(※)。

※軍事政権は、91年に国名をビルマか らミャンマー、首都をラングーンからヤンゴンに改称したが、亡命政府やその支援者らは「軍事政権が決めたことは不当だ」と、今もビルマ、ラングーンと呼ん でいる。首都は2006年にネピドーへ移転。

一方で、人口の6割を占めるビルマ族中心の政府に反発して、シャン族やモン族、カレン族、チン族、ワ族、果敢族などが自治や独立を求めて武装闘争を起こ し、一部はビルマ共産党や中国国民党(※)と結びついて、北部や東部の山間部に中央政府の統治が及ばない「解放区」を作った。なかでも激しい抵抗を続けた のがカレン族だ。

※1949年に国共内戦で敗れた中華民 国政府は台湾へ移ったが、雲南省や四川省に取り残された国民党軍の一部は、国境を越えてビルマへ流入。ケシの栽培やアヘン製造で資金を稼ぎながら、中国大 陸奪還のチャンスをうかがっていた。50年代末にビルマ政府軍の討伐で、大部分はタイ領へ移ったが、「麻薬王」クンサー(張奇夫)はシャン族を率いて、 96年に投降するまで独立勢力を続けた。
 
カレン族はミャンマー南東部とタイ北西部に跨って住み、いくつものグループに分かれている。タイのメーホンソン近くに住み、観光客を集めている首長族(パ ダウン族)も、カレン族グループの一員だ(※)。

※女性は幼いうちから首に真鍮の輪っか をはめられて、ろくろ首のようになってしまうから「首長族」。 もともとはミャンマーに住んでいたが、難民となってタイへ来たら観光客の人気を集めたため、 集団で移住して来たとか。
美少女改造基地 首長族の村 私が94年に首長族の村へ行った時の話。
 
独立紛争の背景はイギリス植民地時代に遡る。イギリスは19世紀に3度にわたる英緬戦争でビルマ王国を滅ぼしたが、山間部を支配していた少数民族の王た ちはそのまま残し、間接的に支配した。ビルマ族は仏教徒だが、山間部では宣教師たちの活動で、伝統的なアミニズムからキリスト教へ改宗した民族も多く、カ レン族でもキリスト教徒が増えていった。こうしてイギリスは都市の商業は移住して来たインド人や中国人に掌握させ、官吏や現地軍の兵士にはカレン族やカチ ン族、 チン族などを多く採用して、多数派のビルマ族を支配するという、お得意の分 割統治を実行した。

一方で、戦時中にビルマを占領した日本軍は、ビルマ独立を認める一方で、「イギリスと通じている」と見たカレン族などを弾圧。アウンサン率いるビルマ国民 軍は日本軍と組んでカレン族の現地軍を武装解除したが、その中で虐殺事件も起きた(※)。

※実際にインドへ撤退したイギリス軍に は2000人のカレン族兵士もいて、イギリスは山 間部の少数民族や沿海部のカレン族を秘かに動員して、ビルマを奪還しようとしていた。

 ソウバウジー
さて戦後、47年にインドが 独立し、翌年ビ ルマの独立も決まったが、カレン族の間ではビルマとは別に独立したいと いう声が高まった。その中心となったのがソ ウバウジーだ。ソウバウジーはイギリスへ留学した弁護士で、42年にカレン中央機構(KCO)を設立し、戦後はカレン族の独立j国家を分離 するようにイギリスへ直訴して いたが、46年1月にイギリスから拒否された。

47年2月にアウンサンはビルマの各民族を集めてパンロン協定を結び、独立後のビルマは連邦制を導入して、 少数民族には自治を認めることを約束したが、 アウンサン側が提示したカレン州(89年にカヤン州に改称)の範囲は、カレン族の要求よりも大幅に縮小されたため、ソウバウジーらは調印を拒否。イギリス 植 民地政府で役職に就いていたカレン族たちは相次いで辞職し て、カレン民族同盟(KNU)を結成した。

KNUが47年10月に決議した独立範 囲(ピンク)と、実際のカレン州(オレンジ)

独立へ向けたビルマの政界は、日本軍と協力し たアウンサンやウー・ヌらが主導権を握っていた。彼らは日本軍がインパール作戦に失敗すると、秘かにイギリス 側と連絡を取って反ファシスト人民自由連盟(AFPFL)を組織し、45年3月にビルマ国民軍は日本軍に対して反乱を起こしていた。おかげで彼らは土壇場で連合国側の一員として終戦を迎えることができた。ソウバウジー らにとって、かつて日本軍と一緒にカレン族を弾圧し たことがあるアウンサンが主導権を握って独立するのでは、カレン族は「ビル マの二等国民」にされてしまう不安があった。

一方で、軍ではカレン族など少数民族が主導権を握っていた。戦後新たに編成されたビルマ軍は、旧ビルマ国民軍とカレン族らの旧植民地現地軍を統合したもの だが、部隊は別々で、指揮官として復帰したイギリス人将校は旧ビルマ国民軍を冷遇した。

ビルマは48年1月にイギリスから独立するが、カレン族以外を取りまとめたアウンサンは独立を目前に暗殺されてしまい、イギリス人将校がいなくなった軍で は主導権争いが本格化して、ビルマは独立早々から混乱が続く。 49年1月に陸軍参謀長だったカレン族のゲン・スミス・ドゥンが反乱容疑で逮捕されると、KNUはただちに反乱を起こした。

KNUには軍のカレン族兵士らが合流し、カレン州のみならずシャン州やモン州、さらにラングーン近郊や北部のマンダレー一帯など、「カレン国家」の要求範 囲を超えてビルマの東半分を占領 (※)。ソウバウ ジーを首相とする8 人の内閣を組織して、ラングーンとマンダレーの中間のトングー(現:タウングー)に政府を置き、コー トレイ共和国の樹立を宣言した。コートレイとはカレン語で「花咲く大地」を意味する理想郷だ。

※同じ頃、ビルマ共産党も反乱を起こ し、ビルマ政府軍に残った兵士は2000人以下だったという。

しかし占領範囲を広げすぎたKNUは、補給が続かずにカレン州内へ撤退。体制を立て直したビルマ軍の攻勢に、KNUは山間部へ逃れ、50年7月にはソウバ ウジーが戦死。コートレイ共和国は消滅してしまうが、 その後もKNUはタイ国境のマナブロウに司令部を置いて、ビ ルマ政府の支配が及ばない解放区として「コートレイ」を維持し続けた。

資金源となったのはタイとの国境貿易だ。ビルマは62年のクーデターで誕生した軍事政権が「ビルマ式社会主義」と鎖国政策を続けた。そのため不足した生活 物資はタイからコートレイを通じて運ばれることになり、KNUは多額の関税収入を得ることができた。

76年に KNUは、カレン族の独立からビルマの民主化勢力との共闘路線を転換したが、90年に民主化を約束して総選挙を実施 したビルマの軍事政権が、一転して民 主化を否定しアウンサンスーチー らを自宅に軟禁すると、数千人の学生らが「安全地帯」のコートレイに流れ込み、カレン族の武装闘争は国際的に脚光を浴びるようになった(※)。

※この頃、日本人の義勇兵がKNUに参 加し、戦死した人もいる。

その後、94年にキリスト教徒が主導権を握るKNUから仏教徒のグループが分裂して、民主カレン仏教徒軍を創設し、ミャンマー政府と友好関係を築くと、政 府軍の攻勢が激しくなり、翌 95年にはマナブロウが陥落。多数のカレン族難民がタイ領内へ逃げ込み、KNUはさらに奥地に追いつめられた。

しかし2011年にミャンマーで総選挙に基づいた政権が発足し、ようやく民主化が実現 すると、新政権は民族和解に向けて積極的に乗り出し、2011年末からシャン族、ワ族、チン族などの武装勢力と相次いで和平合意を実現した。

そして2012年1月にはKNUとも停戦で合意し、63年間に及んだカレン族 の武装闘争はとりあえず終息した。しかし和平後のカレン族の自治はどうなるのかはまだ未定で、タイの難民キャンプにいる15万人のカレン族の帰還が実現す るかどうかも不透明だ。


●関連リンク
Saw Ba Oo Gyi (JP)
 ソウバウジーの一生を日本語で紹介(動画)
Maw Naw Plaw 1994
 90年代のコートレイ への入国記。「入国ビザ」の写真もあります


参考資料
『緬甸事情』 (外務省南洋局 1941)
加藤博 『KAWTOOLEI 地図にない国』 (同時代社 1982)
中西嘉宏 「書評:Mary P. Callahan, Making Enemies: War and State Building in Burma」 『東南アジア研究』42巻2号 (京都大学 2004)
ビルマ情報ネットワーク http://www.burmainfo.org/column/column.php?mode =0& columnid=30
海外カレン機構(日本) http://www.cncjp.org/archives16aug2011.html
山の愚者の国際分析 http://elfire.blog73.fc2.com/blog-entry-139.html
Karen Unaited http://www.karenunited.com/index
wikipedia.org http://en.wikipedia.org/wiki/
worldstatesmen.org http://www.worldstatesmen.org/Myanmar_Regions.html
U Nu of Burma http://peoplewinthrough.com/
 
 
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