国際社会で「非公認の国」から独立しようとして挫折

アウダル共和国

首都:バキ

 
 

1995年2月 ソマリランドからの独立を宣言

ソマリアの地図(2002年)

ソマリアのうち、ピンクがソマリランド、赤がアウダル
国家崩壊状態のソマリアの北部にあって、政治と経済の安定が続いているにも関わらず、国際社会から認められていない非公認国家がソマリランド。しかしそのソマリランドから分離独立をしようとしていた地域があって、95年にはアウダル共和国として独立を宣言したことがある。

アウダルはソマリランドの西端で、ジブチと国境を接する一角だ。ソマリ人は多くの氏族に分かれていて、ソマリランドの住民の70%はイサック氏族だが、アウダルに住んでいるのはディル氏族で、もう1つのダロット氏族とそれぞれソマリランドの人口の15%ずつを占めている。

1960年にソマリランドがイギリス植民地から独立した時、政権を握ったのはイサック氏族中心のソマリランド民族連盟(SNL)だった。SNLは「ソマリ人の住む地域を1つの国家に統一しよう」という大ソマリ主義を唱え、独立5日後に旧イタリア領の南部と合併してソマリアになったのだが、結果は政治の主導権を南部に握られ、経済的な中心地だった北部の旧ソマリランドは没落。「これじゃ合併しなかった方が良かった」と、北部では分離独立(というよりソマリランドの復活)を求める運動が続き、91年にソマリア政府が解体すると、それまでゲリラ戦をしていたソマリア国民運動(SNM)がソマリランドの再独立を宣言した。SNM政権は間もなく崩壊したものの、ソマリランドは順調に政権交代が行われ、民主化によって総選挙も実施されている。

ところが、これらの流れに不満を募らせたのがディル氏族だ。そもそもディル氏族は旧フランス領ソマリランド(現在のジブチ)にも跨って住んでいて、イギリス領とイタリア領だけの合併によるソマリア統一には消極的だった。それなのにイサック氏族がSNLを率いて早急な合併を進め、今度はSNMを率いて勝手に分離独立を進めていると感じた。特に分離独立の過程で、SNMが91年2月にアウダル地方のボラマやゼイラで地元民と対立し、虐殺事件を起こしたことで反発を招いた。

そしてSNM政権が倒れ、かつてSNLを率いたイーガル大統領の下でソマリランドの経済が安定すると、アウダルでは「ソマリランドが独立してから、政府予算は首都ハルゲイザやベルベラ港がある中部に集中して、アウダルなど西部は放置されている」という不満が高まった。ソマリランドは再独立に踏み切った理由として「ソマリアとして合併してから、政府予算は首都モガディシュがある南部に集中して、北部は放置された」ことを挙げているが、これとまったく同じ構造だ。

アウダルの有力者たちは95年2月にアウダル共和国の独立を宣言して、国連へ独立承認を求める手紙を送った。それによると、1884年から87年にかけてソマリランドをイギリスが植民地化した時、イギリスはそれぞれの族長たちと個別に保護条約を結んで支配下に収めたのに、イギリスから独立した際にはソマリランドとして一まとめにされたのがそもそもの間違い。また91年のソマリランド再独立にあたって、ディル氏族も含めた全氏族の代表が集まって独立を決議したと言うが、実際にはディル氏族の長老たちはエチオピアへ連行されて、無理やり賛成させられたに過ぎず、国際社会がソマリランドの独立を承認するなら、アウダルの独立も認めるべきだと訴えた。

しかし、ソマリランドの独立でさえ国際社会からは無視されているのに、そこから独立するというアウダルの訴えは当然ながら完全に無視された。ディル氏族も反ソマリランドでまとまっていたわけではなく、独立を宣言したのはアウダルに住む北部のディル氏族だけで、アウダル共和国はほどなく雲散霧消した。

97年にはソマリランドの副大統領にアウダル出身のカーヒンが就任して、中央政界にディル氏族の声が反映されるようになった。ソマリランド独立の是非を問う形になった2001年の憲法制定の国民投票では、アウダル地方で投票ボイコットの動きがあったものの、翌02年の大統領選ではカーヒンがソマリランドの大統領に当選。現在ではアウダル分離独立の動きはほとんど終息したようだ。

一方で、28派もの軍閥が跋扈していたソマリアでは、統一に向けて2000年にジブチで和平会議が開かれ、暫定政権が発足した。この時ソマリランドは「もうソマリアから独立したので関係ない」と和平会議への出席を拒否し、暫定政権を「ジブチによる傀儡政権作り」と批判したが、和平会議にはディル氏族の有力者がソマリランド代表と称して出席していた。このためアウダル共和国の独立運動はジブチが陰で操っていて、いずれディル氏族が住む地域を併合しようと目論んでいたのではとも言われた。

アウダルに傀儡国家を作ろうとした?謎のフリードニア公国とは

「情熱のオランダ人」マイケルバン・ノテン
ところが、アウダル独立の背後にいたのは、ジブチのような小国ではなく、「人間が国家から束縛されない理想の国作り」を目指すオランダ人で、さらに「フリードニア公国」と称する謎の国際組織の存在が明るみになり、中心都市のボラマで暴動が起きる騒ぎになった。

このオランダ人マイケルバン・ノテンは、子供の頃オランダがナチスドイツに占領された体験から、個人の自由が国家に束縛されない国を目指して、自由主義運動を提唱。82年にISIL(個人の自由のための国際社会)という組織を結成して、代表に就いていた。その一方で、マイケルバンは弁護士の資格を取り、EUの前身にあたる欧州経済共同体(EEC)に勤務したり、アフリカのザンビアで働いたりしていたが、90年代前半に国家が崩壊してしまったソマリアに注目。「ソマリアこそ理想的な自由主義的無政府状態だ」と、さっそくアウダルに移住して、井戸掘りなどの復興プロジェクトに参加しながら、現地の長老たちと親交を結び、「国家から独立した裁判官によって秩序が維持されるkritarchyという社会を目指すべき」と熱心に説いてまわった(※)。

※国家が崩壊した後に、イスラム法学者が主導して社会秩序を維持しようとしたソマリアのイスラム法廷会議や、アフガニスタンのタリバン政権は一種のkritarchy。ただしイスラム法を厳格に適用したりして、「個人の自由」とは程遠い社会になったが。
もっとも戦乱で荒れ果てた地域の人たちに、そんな「理想国家の夢」を熱く語っても反応はいまひとつなわけで、マイケルバンがもう1つ持ちかけたのがゼイラ港の開発計画だった。ゼイラ港は9世紀頃からエチオピアとアラビア半島を結ぶ交易拠点として栄え、イエメンのモカ(コーヒーの積出港として有名だった町)の支配下にあったが、1885年にイギリスの植民地になり、97年にジブチとエチオピアを結ぶ鉄道がフランスの手で開通すると、貿易港としての地位は凋落。ソマリア内戦で町は徹底的に破壊され、住民の多くはジブチへ逃げ出していた。

そこでゼイラ港を整備してエチオピアとの間を結ぶ道路を建設すれば、ゼイラ港はジブチと並ぶエチオピアの海への出口となり、アウダルは発展して豊かになるだろうというわけだ。このプランには長老たちも乗り気になり、アウダル共和国が独立を宣言した95年にアメリカ人ジム・デビッドソンも加わって、プロジェクトは本格化。アウダルの独立がウヤムヤになっても計画は進み、2000年に2人はモーリシャスでアウダル・ロード社を登記して、アメリカなどで出資を呼びかける一方、ボラマに戻ってゼイラ港一帯を租借しようと地元リーダーたちとの折衝を続けた。

しかし01年1月、2人は「ジョン1世王子」と名乗るアメリカ人が率いるフリードニア公国のメンバーであることが発覚した。フリードニアは92年3月に誕生し、「人間が国家から束縛されない理想の国作り」を掲げた憲法を制定、フリードニア銀行を設立して「フリードニア・ドル」のコインなども発行している。そして世界18ヵ国にメンバーを持ち、当初は人工島を建設して新たな独立国を作ることを狙っていたが、財政面と国際法的な障害が大きいと方針を転換、どこかで領土を購入して自由国家を建設することを目指し、南太平洋の英領ピトケアン島などを候補地に挙げていた。ゼイラ港の開発計画は、単に理想主義者のオランダ人が進めようとしているだけでなく、背後にアメリカ人が率いる謎の国際組織が関与しているというのだ。

こうして2人はソマリランドの首都・ハルゲイザに呼び出され、ソマリランド政府によって滞在ビザの取り消しと国外退去処分を命じられて、カーヒン副大統領自らが護送してジブチへ追放されることになった。その間に、アウダルでは「オランダ人とアメリカ人が港の建設をエサに長老たちを騙し、港を租借して開発すると言いながら、傀儡国家を作ってアウダルを乗っ取ろうとしている」との噂が広がった。一行の車がボラマに差し掛かったところ、怒れる群衆に囲まれて投石を浴び、副大統領の護衛兵が群衆に発砲して死傷者を出す事件に発展。さらに一行は次の町で道路をバリケード封鎖した群衆に行く手を阻まれ、副大統領はヘリコプターで脱出し、マイケルバンとデビッドソンも命からがらジブチへ逃げ込んだという。

さて、謎の国際組織・フリードニア公国とは一体何か?実はこれ、ジョン・カイルというテキサスの大学生たちが始めたバーチャル国家だった。最初は仲間内で「独立国ごっこ」をしていたが、インターネットの登場で97年にホームページを開設してみたところ、反応が相次いだので世界各地にメンバーを増やした。そして国旗や国歌を発表したり、憲法を制定したり内閣を発足させたり、はたまた大統領制を立憲君主制に改めてジョン・カイルが王子が即位したりした挙句、「人工島建設」や「領土購入」などの構想(というか妄想)をホームページで書いてみたというもので、ほとんど趣味の世界のノリ。かつて世界各地で独立運動に介入し、「企業にとっての理想国家」を作ろうとしたフェニックス財団の再来とは程遠いものだった。マイケルバンがアウダルの独立運動に影響を与えたのは事実かも知れないが、引き合いに出されたフリードニア公国にとってはトンだとばっちりに過ぎなかった(※)。

※アウダル・ロード社のHPでは、ゼイラ港の写真を掲載して、よせばいいのに「フリーダニアにとっても興味の対象です」などと解説を付けていた。
ソマリランド政府も2人を呼び出して調査を進めるうちに、フリードニア公国は単なるバーチャル国家に過ぎないとわかったが、敢えて気づかない振りをして2人を国外退去処分にしたようだ。ソマリランド政府は独立運動が再燃することを恐れてゼイラ港から徴税できずにいたが、ゼイラ港が本格的に整備されたら税収源であるベルベラ港が衰退しかねないことを恐れていた。そこで「謎の国際組織の介入」を口実に、ゼイラ港のプロジェクトを葬ろうとしたらしい。

思わぬ事件で世界的に有名になってしまったフリードニア公国だが、「ソマリランドでの2人の行動は、あくまでアウダル・ロード社としての商業活動であり、わが国とは一切関係ありません」というお知らせを出した後、ホームページの更新はストップしてしまったようで、現在の活動実態は不明。マイケルバンは2002年に急死したが、ナチス占領下での体験がもとになって、「あらゆる国家による支配から脱した理想郷作り」への情熱を駆り立てたという意味では、フェニックス財団を率いたユダヤ人マイケル・オリバーと共通ですね(※)。

※もう1人の主役、ジム・デビッドソンだが、投資コンサルタントが本業で、かつて「投資者に宇宙旅行をプレゼント」を謳い文句に出資を集め、不起訴になったが会社を潰したことのある人物・・・だそうです。


 
フリードニアの国旗とジョン1世王子。「国家元首」なのになぜ王子?やっぱ「王子様」の方が女の子にモテるからでしょうw

旅の3年記 第15章ソマリランド  1990年代後半のゼイラの旅行記
ソマリア内戦  氏族分布とアメリカ海兵隊の作戦を中心に解説しています  
Awdal "Republic": Declaration of Independence アウダル共和国が国連事務総長宛に送ったという手紙(英語)
The Principality of Freedonia Embassy フリードニア公国の公式サイト(英語)
 

参考資料:
進藤貢 「崩壊国家と国際社会:ソマリアと「ソマリランド」」 http://www.sirag.org.uk/Somaliland(ENDO).pdf
Awdal "Republic": Declaration of Independence http://www.africa.upenn.edu/Hornet/awdal.html
afrol News http://www.afrol.com/articles/13854
NetNames http://www.somaliawatch.org/archivedec02/021207202.htm
Wikipedia http://en.wikipedia.org/
The Principality of Freedonia Embassy http://www.freedonia.org/sovereignty2.html
Awdal Roads Company http://web.archive.org/web/20010202170100/http://www.awdal.com/
 
 

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