
「聖職者大統領」を追放した「人喰い革命軍」
アルティボニット共和国

首都:ゴナイブ 人口:116万8800人(2002年)
2004年2月19日 独立を宣言
2004年3月19日 消滅ハイチの地図 西北部にArtiboniteがあります
カトリックには「解放の神学」を提唱する人たち がいる。聖書に記述された解放者や正義をもたらす者としてのイエスを強調し、貧しい人や抑圧された人々に対して、教会で「お説教」を唱えるだけでなく、教 会や聖職者が自ら社会運動や政治活動を実践して、救済していこうという運動だ。
こうして教会が権力者に対抗する反体制運動の拠点になったりするが、政治活動を続ければ、なかには権力者を倒して神父が新たな権力者になることだってある。例えばハイチの大統領に就任 したジャン・ベルトラン・アリスティドだが、クーデターや内乱で2度失脚したあげく、中央アフリカへ「誘拐」されてしまった。
アリスティド大統領
ハイチではデュバリエ親子による独裁政治が 30年にわたって続いたが、86年に崩壊。90年に行われた民主化選挙で、「解放の神学」を実践していたアリスティド司祭が、アメリカの傀儡候補を打ち破って大統領に当選し た。しかし就任から8ヵ月弱でクーデターによって倒され、ベネズエラやアメリカに亡命。国連やアメリカの圧力で、軍事政権は94年にアリスティドの大統領 復帰を認めたが、任期を終えた96年にいったん引退した。
しかし後を継いだプレバル(元首相)の下で、国会選挙の不正疑惑が相次いで混乱。2000年の大統領選挙では再びアリスティドが出馬し、91・8%という 圧倒的な得票で当選した。野党に加えてアメリカも選挙は不正だったと批判し、国会議員の任期が満了しても選挙実施のメドは立たず、野党やマスコミによるア リスティドへの辞任要求は強まるばかりだった。
一方で、アリスティドは権力を維持するために、ギャングの力にも頼った。そんな組織の1つが、アミオ・メテイェというボスが率いるその名も「人喰い軍」と呼ばれたギャングで、反対勢力のリーダーや反政 府デモの参加者たちを次々と殺害し、恐れられた。
さすがにアミオ・メテイェは02年5月に逮捕されたが、8月に脱獄すると、今度は一転してアリスティドを批判し始めたが、03年9月に惨殺死体となって発 見された。そして弟のビタ・メテイェは、「兄を殺害するように命じたのはアリスティドだ」と報復を誓い、新たにRARF(革命的アルティボニット抵抗戦線)を結成した。
大統領に就任したはずのビタ・メテイェ
04年に入ると、RARFは西部のアルティ ボニット州を中心に各地で警察署を襲撃し、2月5日から州都コナイブへの攻撃を開始。19日に占領してアルティボニット共和国の独立を宣言した。コナイブはハイチ建国の父で あるデサリーヌが1804年にここでハイチ独立を宣言した、いわば「ハイチ独立の地」だ。しかしビタ・メテイェらは、アルティボニットをハイチから独立さ せる気はもとからなく、RARFはFLRN(ハイチ解放国民革命戦線)と名 を変えて、引き続きハイチの首都ポルトーフランスへ向けて進撃を続けた。
2月29日にFLRNの軍勢が首都周辺に迫ったところで、アリスティドは大統領を辞任し、中央アフリカへ亡命した。しかし半月後に再度ジャマイカへ亡命し たアリスティドは、官邸でアメリカ大使館員に辞職を迫られ、それに同意するとそのまま行き先も告げられずに米軍兵士が乗った飛行機に乗せられてしまい、 20時間かけて着陸したら中央アフリカで、そのままフランス軍の「保護下」に置かれた・・・と、亡命はアメリカによる「誘拐」だったことを明らかにした。
アリスティドの辞任後はただちにアレクサンドル最高裁長官が暫定大統領に就き、国連安保理は多国籍軍の派遣を決議。その日のうちに1000人の米軍海兵隊 がハイチに展開し、6月にブラジル軍が主体の国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)が発足するまで、実質的にハイチを占領した。アリスティド政 権を倒したFLRNは「外国による調停を歓迎する」と声明を発表して、政権には就かなかった。
FLRNのメンバーは、元「人喰い軍」のギャングたちと、元ハイチ国軍の兵士で、91年のクーデターでアリスティド追放に協力し、その後ドミニカ共和国へ 亡命していた民兵組織の元メンバーも途中から加わった(※)。FLRNの武器はアメリカがドミニカ共和国経由で提供したものだとみられている。
※ハイチ国軍は、1994年にアリスティドが大統領に復職 した際、「2度とクーデターを起こさせないために」と解散させられ、ハイチに軍隊は存在しなくなった。その結果、警察だけではFLRNの攻撃に対処でき ず、アリスティドは自らの首を絞めることになった。
結局のところ、FLRNはアメリカがアリスティドを排除するための傀儡に過ぎなかった。それなら、ビタ・メテイェはなぜ当初はRARFを名乗り、アルティ ボニットの独立を宣言したのか?ひょっとして単に「建国の父」のようにコナ イブで独立を宣言してみたかっただけかも知れない。
ビタ・メテイェは05年6月に35歳の若さで腎臓病のため死去したが、「人喰い軍」の元メンバーたちは、ビタは毒殺されたと疑っている。
参考資料
外務省 ハイチ共和国 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/haiti/
益岡賢のページ http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/
Violent Extremism Knowledge Base http: //vkb.isvg.org/Wiki/Groups/National_Revolutionary_Front_for_the_Liberation_of_Haiti
wikipedia http://en.wikipedia.org/wiki/
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