東ティモール第2の都市・バウカウへ


ディリとバウカウの間は頻繁にミニバスが出ています。個人営業なので出発時刻は決まっていません。3人か4人もいる車掌が「バウカウ!バウカウ!」と客引きをして、満員になったら発車します。荷物は屋根に載せますが、人も屋根に乗れます。まぁ、屋根の方が気持ちがいいですね。ガタガタ道だと怖いけど。

発車したと思ったらまずはガソリンスタンドで給油。非常に原始的な方法でガソリン入れてますね。この後、客を乗せたまま車掌たちが総出で車を揺さぶり、タンクを完全に満タンにするよう努力してました。だから車掌が何人もいるのか・・・(てなわけないか)。

ヒガチモの東部は穀倉地帯、西部は森林地帯が多いのですが、中部の海岸沿いは荒涼たる風景が続きます。野原にも大きな岩がゴロゴロしていて、農業には向いていない感じです。景色はいいけどたいした産業はなさそう。

援助物資を運ぶ国連のトラック隊。道幅が狭い峠道で遭遇すると10何台も続く相手の通過を待たなければなりません。道路も破損個所があったり、橋が壊されていたりで、バウカウまで約80kmを3時間くらいかかりました。

途中の町は建物がほとんど破壊されて廃墟になっていました。これは中間点にあるマナトゥトゥの町。

あちこちの道路脇に竹の皮を結んだような謎の物体が立っていました。なんかのオマジナイなんですかね?日本の道路脇のお地蔵さんも、外国人から見たらかなり謎なようです。「なんで小さな石像に帽子被せてあるの?」とか。

バウカウに着きました。バウカウ県の人口は約11万人ですが、バウカウ市だけだと2〜3万くらいのようです。東ティモールで2番目に大きい都市ですが、歩いて数十分でひと回りできちゃうくらいの大きさで、都市というより町ですね。郊外に日本軍が建設した空港があり、99年まではオーストラリアからの定期便が発着していて、東ティモールの空の玄関口にもなっていました。ただし現在は、国際線はすべてディリ発着です。

バウカウにはポルトガル時代の旧市街とインドネシア時代の新市街があって、こちらは旧市街。ここは99年の暴乱で「奇跡的」に破壊されず、昔からの街並みがほとんどそのまま残っていました。

  

メルカド、つまりマーケット。町の中心部にあって一番立派な建物ですが、使われていませんでした。発電所が破壊されたので停電・断水しているからかも知れません。広場の噴水には天使像がありましたが、何やら日本的な灯篭が・・・。かつて大航海時代の覇者だったポルトガルらしいですね。

旧市街の商店は華人(中国系)がやっている店がほとんどでした。東ティモールの華人はほとんどが「ケ・チャイニーズ」つまり客家人ですが、この町には広東人もいました。いろいろ話を聞いたところ、99年の暴乱でバウカウが破壊されなかったのは、町の人達が併合派民兵と話をつけたからで、「いっぱいお金も出した」とか。「店は残ったけど、品物はみんな持って行かれちゃったのよ」とオバサンは嘆いていました。

  

バウカウは東ティモールで一番かわいい女の子が多かったような気がします。

ポルトガル時代からあるバウカウ唯一のホテルは国連に接収されて事務所になっていました。そのためゲストハウスに泊まったのですが、ここも客はほとんどが国連スタッフでした。バウカウの町は1日3〜4時間しか電気は送電されないのですが、このゲストハウスには自家発電機と衛星放送用アンテナがあって、インドネシアやオーストラリアの番組が1日中見られました。宿のオヤジはインドネシアのコメディ番組と「バリ祭」の軍事パレードを中継していたフランスの放送がお気に入りだったようです。なぜフランスの放送が入るのかと思ったけど、よく考えてたら、フランス領のニューカレドニアにも結構近いわけですね。

日曜日の朝になると住民が続々と教会に集まってきます。ミサが始まっても中に入りきれないほど。

  

そこかしこでお祈りしています。聖書を熱心に読んでる子もいました。

一方、インドネシア時代の行政施設などが並んでいた丘の上の新市街はかなり破壊されていました。東ティモールが独立するなら、インドネシア時代に建設したものは徹底的に壊してしまえ、ということだったんでしょうか。

バスターミナルは新市街にあって、その周りには「闇市」的なマーケットができています。

  

マーケットでは子供の売り子もたくさんいます。ようやく学校が再開されたばかりでした。商売繁盛のようで売上げを数えてニッコリ。
 


東ティモール4:『日本軍のヒミツ基地を探検する』へ

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