| 武者小路実篤 日向新しき村を訪ねて |
| 武者小路実篤の「土地」という作品を久しぶりに読み返してみた。ご存知の通りこの作品はこの日向の地に開村した「新しき村」について書かれたものである。以前に何度かこれを読んだ時にいつも思うことだか、一度この地に行ってみたいという気持ちに今回漸く拍車がかかった。 考えてみれば我が家からこの「新しき村」まで行くのにそんなに時間がかかる場所ではないのだ。車で走って1時間半もあれば優に辿り着く距離なのである。しかしながら今まで腰が上がらなかった理由はおそらくこの地がかなり山の中であるという固定観念が強かったためだと思う。 聞くところによると道も山道ではなく、トンネルも開通して新しくなったとのこと。それでは、と妻共々出かけることにしたのである。 |
![]() 石柱「日向新しき村 実篤」 ![]() 右が石河内、左が新しき村 ![]() 四方が森に囲まれている ![]() そのまた森を山々が囲んでいる ![]() 展望台 ![]() 記念碑(展望台) ![]() 記念館(正面) ![]() 記念館(横) ![]() 記念館(裏) ![]() 記念館の内部 ![]() 記念館の内部 ![]() 記念館の内部 ![]() 記念館の内部 |
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| 武者小路実篤の作品「土地(大正8年11月)」(集英社)の文頭で、 「自分は1918年12月のある日朝早く川岸に出た。清い川の流れは岩にぶつかり、泡を立てて流れている。ある岸の岩の上に自分は立った。自分は顔を洗い、うがいをつかった。そして川向うの城の土地を見て祈った。(改行)日はまだのぼるのに間があった。そこは四方山にかこまれていた。自分は辺りを見まわした。誰もいない。(改行)自分は暁方の空気につつまれた、その清い水と、清い山と、空を見た。自分は跪きたい気がした。自分たちの仕事はこの土地で始められる。神よ守護してくれ、あなたの助けなくしてこの仕事はできない」 とある。 現地に到着して思ったこと。それは当時の描写が正にそのまま伝わってくるということである。今風の言葉で言えばタイムスリップしてきた感じ。その描写通り「四方山にかこまれ、清い水と清い山と空」はおそらく当時のままであるに違いない(もっともこの日は先日の雨で川は濁っていたが…)。 それではこの「新しき村」で何をしようと考えたのだろうか。 「自分たちは何をしようと云うのか、新しき社会をつくろうというのである。そこでは皆が働けるとき一定の時間だけ働くかわりに、衣食住の心配からのがれ、天命を全うするためには金のいらない社会をつくろうと云うのだ。その上に自由をたのしみ、個性を生かそうと云うのだ」 そのためには土地が必要だと続いている。 「土地をどこにきめるか、それが第一の問題であった。(改行)初め東京から日帰りのできるところを選もうとした。(中略)しかしおちつく土地はきまらない。自分は毎日土地のことを考えた。(中略)近くにいい土地がないときまると、だんだん遠いところでもいいと云うことになった。(中略)北海道ということが第一に頭に起るのは自然である。しかし自分には北海道は禁物であった。父は北海道で肺をやられて死んだ。それからもう一つは自分の初恋の女がいることだ。(中略)ついで頭にくるのは日向である」 その時分、ほうぼうのことを知っているある人が「日向はいいところだそうです」と云ったので遠いなと思いながらも友人に相談したところ賛成したので日向にきまったようだ。 「自分たちは自分たちの仕事のために雑誌を出していた。それに日向に土地をきめたようにかいた。それを見て、日向の知らない人から、小林方面が一番いいだろうと知らせて来た。(中略)小林方面の話をきくと、もう他をさがす気になれなかった。一直線に小林にゆくことにした。(中略)しかし思わしいところはなかった」 それから妻方面で茶臼原をさがしたがいいところはなく、それから漸く石河内の城が登場する。 「そこは摺鉢の底のように、四方高い山に囲まれていた。そして城は石河内の村とは川をへだてていかにも別天地だった。それの三方をかこんで流れる川は昨日の見た川の上流でさらに美しかった。激流のところや淵のところがあった。仲間の一人は、11月に近かったが、その川にとび込んで泳いだ。(中略)やっとぶつかるところにぶつかった気がした」 しかし話はそううまく進まないようである。売値と買値が合致しないのである。それから飫肥に向かう。当地の大束村や市木村が候補に上がった。特に大束村は有力だった。ところがである。石河内の話が再び盛り返してきたのである。そして話し合いが合致した。 「その日はロダンの誕生日の11月14日だった。(改行)そのとき、わきにいた妻が恥かしがるほど自分は嬉しそうな顔をした。自分たちはすぐ皆のいる家に出かけた。皆、万歳、万歳とよろこんだ」 「翌日ほうぼうへよろこびの電報を打った。そしてその日、病人をのぞいて皆城を見に行った。高城から二里半ほどはなれたところだ。峠から見おろすと、真正面に三段の高低ができて川に三方かこまれ、後ろは高い山につづき、崖には青々と木のしげっているのが城だ。(改行)自分たちは峠の上から見おろした。よろこんだ。あすこがわれらの仕事の第一の根をはるところだ。幸あれ!(改行)そこはもと城のあったところで、今は一軒の家もなく、一人の人も住んでいない。川をへだてて石河内の村がある。(改行)自分たちは舟で城に渡った。自分たちの土地に」 「日向日向と云っていたのが、いつのまにか日向に来、土地土地と云っていたのがいつのまにか土地を得、登記がすんだらと思っていたら、いつのまにか登記がすんだ。(改行)そして今日から自分たちの土地の上で働く。(改行)幸よあれ」 「(中略)すべて私の力ではありません。あなたの力です。しかし私の真心を通してのみあなたがあらわれることを私は信じております」 「神よ。自分は心で神に礼拝した。自分の目は涙ぐんでいた。清き流れはたえず流れ、仲間を受入れて海へと流れてゆく。(改行)幸よあれ!」 |
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| 一軒の玄関前の庭先で電気カンナで長い板を削っている男性がいた。およそ40前後で彼は上下つなぎの作業着を着ていた。彼は働き者に違いない。髪は中途半端に長く耳を覆っていた。彼の近くに車を止めたのに振り向こうともしないからもしかすると気難しくて無口な人かもしれない。 私は車から下りて気軽な調子で声をかけた。ところが私はこの時とても無知で失礼なことを聞いてしまったような気がした。 「こんにちは。ちょっとお尋ねしていいですか」 「はい」 彼は笑顔ではなかったが、ちゃんとこちらに顔を向けて答えた。 「この辺りに残っている家はみんな新しき村の名残りですか」 彼は一瞬「えっ」と不可解な顔をすると、 「名残りではなくて、今でも日向新しき村ですよ」 そう言われて私は今初めて知ったのである。新しき村は今でも続いている…。 私はすぐに返す言葉が見つからなかった。とっても無礼なことを聞いてしまったのだという自己嫌悪に陥ってしまったからである。 「今は村民5名。財団法人で管理しています」 「そうですか。書物によると開村当時は100名ぐらいいたんでしょう」 「いや、そんなにはいないです。50名ぐらいでしょうか。あ、でも、村外の人を入れるとそのくらいはいたかもしれません」 それからは彼は記念館のことや展望台の記念碑のことなどを丁寧に教えてくれた。彼は最初に思ったような気難しい人でも無口な人でもなかった。私はわずかの間に二つも彼に無礼を働いたことを後悔し反省した。 「どうも、ありがとうございました」 そう言うと彼は軽く頭を下げたが、すぐに、 「あ、ちょっと、待って」 と言って玄関の方に行くとすぐ戻ってきた。彼の手には一枚の小さな紙片が握られていた。 「これどうぞ。僕が描いたんです」 それには細かい文字を含めた地図が描かれてあった。新しき村を中心に隣の石河内や小丸川がはっきりと描かれてある。本当によく出来た地図である。 「どうもありがとうございます」 「気をつけてお帰り下さい」 彼はそう言うと再び電気カンナを動かして板を削り始めた。 そういえば彼の話の中にはよく「先生」という言葉が出てきた。もちろん「先生」とは武者小路実篤のことである。私はいつしか文学青年に戻ったような気がしてうれしい気持ちになった。 |
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| 武者小路実篤 記念館 |
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