狛江弁財天池特別緑地保全地区

泉龍寺弁財天池

弁財天池の湧き水は、清水川と呼ばれ和泉・猪方・岩戸の境界点から、深い堀割を流れて猪方の天神 ( 菅原神社 )下に流

れていたそうです。

下の2枚の写真は弁財天池と弁財天

 

狛江弁財天池特別緑地保全地区

(左)管理棟 (中)弁財天池からひょうたん池への流入口 (右)ひょうたん池

(下)ひょうたん池

(左)園内通路 (中)白木蓮、栗、ヒマラヤ杉等の古木 (右)竹林、奥の建物は狛江駅

 

泉龍寺弁財天池説明板

              狛江市史跡

                        泉龍寺弁財天池

  この池は、市民に「しみず」という名で親しまれています。

  「和泉」という地名もこの池からうまれたものと推定されます。

  伝説によると、今から約千二百年以上も前の奈良時代に全国的な大旱魃があり、東大寺開山として有名な良弁

 僧正がこの地において雨乞いを行ったところ、竜神が現れて雨を降らし、その時に水が湧き出したということです。

 旧「和泉村」の雨乞いの行事をする 霊泉として信仰を集めてきました。

 池の中島には元禄六年(1693)にできた石の祠があり弁財天がまつられています。
 

  いつの旱魃にも涸れることなく、その豊富な水量で下流の水田の灌漑用水に利用されてきましたが、

 昭和四十七年十一月に涸れ つきてしまいました。昭和四十八年三月十二日に、狛江市史跡第一号に指定され、

 復元工事が行われました。

                                平成十三年三月        狛江市

 

弁財天池の湧き水は、清水川と呼ばれる川となり野川に合流します。清水川跡は今の岩戸川緑地公園、喜多見緑道、喜

多見公園、として残っています。水道道路荒玉水道交差点から東名高速脇を通り、世田谷通り手前で野川に合流する部分

は、今でも川となって残されています。

野川にある、清水川流路図

泉龍寺弁財天池から流れ出る湧き水は駅を通り、スーパー三和の辺りの向かい側から川跡が姿を現します。

世田谷通りの狛江市下水道ポンプ所の所から、世田谷通りを渡り

下の大雄電設工業鰍フ看板が目印です。白いガードレールに沿って 50 m ほど入ってください。

この間は未整備の区間ですが、その先に整備された岩戸川緑地公園が続いています。

上の写真と同じ様な石組みが下の写真の場所でも見られます。当時の川の護岸跡かな。

岩戸川緑地公園は慶元寺幼稚園の通りで終わりますが、川跡は喜多見緑道、喜多見公園と続きます。

喜多見公園を過ぎて、砧浄水場前で暗渠となり姿を消します。

水道道路、荒玉水道バス停で再び水路が現われ、東名高速の脇を流れて野川に合流します。

 

これは、田中橋児童遊園前の次大夫堀と田中橋の説明板です。

地元の皆さんのお話からはこちらの水路図の方が分かりやすく正確に示されているようです。

清水川の水源は泉龍寺の弁財天池とやや右下の池、谷田部稲荷の池になっています。

世田谷通り南の二つ橋で合流し岩戸川として東に向かう流れと、二中通りを白幡菅原神社に向かう流れとに分かれていま

す。さらに、白幡菅原神社の手前で東方向に分水しています。

二中通りと水道道路の交差点付近のお宅で伺ったお話では、水道道路の北側を川が流れていたと言います。

白幡菅原神社の前には共同洗い場があって、近所の皆さんが洗い物をしていたそうです。

水道道路の南二中側は道路があったものの野道でリヤカーがやっと行き違える道幅しかなく、二中の辺りは一面の田圃が

拡がっていたのだそうです。