――恋や恋
 ――行けや行け
 ――見えはせぬ
 
 幼かった男がその唄を初めて聞いたのは、旅の楽師からだった。祭りに来ていた楽師が披露したものの中にあったのだ。さして気にせず、男はただただ聴いて、憶えていた。あまく艶やかに歌い上げる楽師の声に聴き惚れたものだ。
 二回目に聴いたのは町へ足を延ばした時だ。艶は控えめにけれど身分違いの男に恋した女の心を情感たっぷりに歌っていた。
 次は流れの楽師が路上で披露していた時に。はきはきとした声で歌われたそれは切なさを滲ませるには不出来であったが、好意を前面に押し出してかわいさが感じられた。
 そうやって耳にすることの多い唄だが、ある時それはまったく異なる響きをもって男の元へあらわれた。
 地響きのように低く唸るような声に視線は否が応にも引き付けられる。初めはまったく別の唄だと思った。しかしよくよく歌詞を聞いてみれば、憶えのあるものだ。明らかに今までと様相の異なる唄に男は訝しむ。
 歌うのは橋の上にて佇む女である。長いローブを被って、顔はフードに隠れている。女だとわかるのは、凹凸のある体型がわずかにわかるからだ。この集落の近くではあまり見ない風体の女は、なおも恨みがましく、寂しく、苦しく、声を絞り出している。
 唄を聞いていた中には首をかしげる者が幾人か。しかし知っている唄とは思っていないようだ。寂しい唄よりもにぎやかな唄を歌うほうがいいよ、と誰かが助言をして去って行った。女はさして気にした様子はなく、ローブをゆるりと揺らしていた。
 どうするのかと暫く見ていたが、女はまた唄を口ずさみ始めた。今度は違う唄も含んでいる。
 だが男はさっきの唄が気になった。恋の唄だ。違う部族の男に恋した女の唄のはずだ。男が一等気に入っている。恋を夢見る、ほんのり甘くて、かわいくて、心をくすぐる唄だ。諦めなくてはいけない。諦めたくはない。そんな揺れる心を表した唄だ。けれど女は恋の欠片も見当たらないように歌う。
 ふいに突風が女のフードを拭い去る。今はもう見ないといわれる赤い瞳。稀にまみえることがある薄い色の髪。慌てた女と一瞬目が合ったように思う。すぐにフードをかぶり直し、女はその場を後にする。
 かの地遠く、いつからか衰退していった古い時代の名残の唄だと言われている。だからどうしたと思っていた。過去の栄華を誇っていたかつてのひとつの部族は、赤い瞳に氷の髪の特徴を持っていたという。恨み節で歌われた唄を、もしも女に当てはめたなら、それは――。

■■■

 親から子へ、受け継がれている唄がある。
 数多ある唄を教わった。その中でどうしても解せぬことがある。世間との認識との差だ。ひとつふたつではないけれど、その中でもとびきりずれている唄がある。
 どこで間違ったか、恋の唄とされるひとつだ。
 あまく、やわらかく、何処で聴こうとも楽師たちは身分違いの恋だと言う。けれど違う、違うのだ。
 女はそれが腹立たしく、どうしても納得がいかなかった。故に新たな地へ来る度に女は歌う。あまく、切なく、艶のある歌い方とは真逆に――歌う。
 恨みを持って、唄の本質を理解しようとしない者たちへの苦々しさを声に乗せる。本来軽く一言で恋唄などと言えるものではないのだ。誰もそれを皆知らない。憤る理由には足る。
 かつて大陸の西に広がる大地には、女と同じ姿形をした者が多くいたという。燃える瞳に融ける雪の髪が今はとても珍しい。栄枯盛衰、いつまでも栄華を保っていられないことはわかっている。それが悪いとも良いともいうつもりはない。ただ女は正しく伝わっていないことに理不尽を感じた。
 これはあまい恋の唄ではない。
 恨みつらみの方が強い。負の感情が溢れて誰かを大事が起きる前に、自分の気持ちに嘘をつく。そうして物事を何とはなしに終わらせるのだ。
 断じてあまい恋の唄ではない。
 これは楔だ。
 女は自分と同じ風貌の者に親以外で会ったためしがない。かつて女の部族は土地の多くを所有していた。けれど部族はひとつだけでなく、段々と人々は争うようになった。暴走した感情をもてあまし、そのまま部族は解散してしまった。その当時を女は知らない。けれど口伝にて親から子へ、唄を通して知らされるかつての己らの姿との今の認知されている差に腹立たしくなるのだ。
 歌っていれば誰かが気づくものかと思ったが、そう簡単にいかないらしい。女の唄に立ち止まるものは幾人か居れども、本当の意味を理解した者は居ない。
 突風にフードを飛ばされ、髪が風にさらわれる。珍しいが、咎められるわけではない。女は重い息を吐く。と、男の一人と目が合った。すぐに目は逸らしたものの、確実に見られたことに苦みが増す。逃げるように場を後にする。
 知らぬ男だ。下手に興味をもたれては面倒である。女はさっさと宿へ下がり、もう今日は出歩かないようにしようと決めた。
 男がいつから女の唄を聴いていたのかはわからない。けれどじっと見ていたのだろう様子にもしかしたら唄のことに気付いたかもしれないと思う。明確に気づかなくともいい。ただ女が歌った唄に気付いて、奇妙な歌い方をしていたことを憶えていて欲しい、と静かに願った。
 無意識に女は唄を口ずさむ。
 低く、苦く、寂しく――。

 ――来いや来い
 ――逝けや逝け
 ――見得馳せぬ

 

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