姫の処遇

 

  1 グレイク

 

 少し、意外であった。

 ローレンスならもっとうまく立ち回るだろうと思っていた。彼の真意はわたしには図りかねるが、姫を悲嘆にくれさせることは回避させるだろうと思っていた。そうではない結果に終わり、わたしはローレンスを買いかぶりすぎたことに、自身を責めた。

 

 姫――アリアンヌ姫は国王陛下のただ一人の娘であった。陛下から砂糖の如き愛情を注がれ、そして幾重もの綺麗な箱に収められていた。

 可憐で、無知で、笑うだけのお姫様。だが皆はこぞって彼女を欲しがった。彼女を手に入れられればという打算が見え見えていた。ローレンスはその多くの中からアリアンヌ姫の心を射止めた。彼には打算などなかったはずだ。陛下の生誕を祝う席で初めて姫を見たときのローレンスの顔を、わたしは知っている。

 見開かれた眼、視線の先は一点、頬は熟れた林檎の如く。

 長らく友人として共にあるが、あれほど興奮した顔は滅多に見られるものではなかった。それからあの手この手を使い、最終的には詩で、ローレンスは姫と心を通わせるに至ったのだ。

 それからのローレンスはいつも姫のことばかりだった。姫がどうした、姫が何をした、姫が――。そう語るローレンスの表情は活き活きとしていて、友として微笑ましかった。

 けれど彼は変わってしまった。いつの間に彼はわたしの知る彼でなくなってしまったのだろうか。

 国王陛下の崩御によって、と初めは思っていた。だがおそらく違う。ただわたしは見逃していたのだ。段々と彼が変わっていく様をそうと気づかないまま、見逃していた。

 アリアンヌ姫は可憐で無知で、それだけではローレンスには物足りなくなったのだ。わたしは気付いて諌めなければならなかったはずだ。しかし全く気付けなかった。人の機微に疎いとはいえ、ほどがある。

 わたしは国王崩御の報を聞いて、ローレンスに言った。姫を娶るのだろうと。おめでとうと。だが彼は何故かうっすらと笑ったのだ。

 次の王となるのは甥の王子だと決まっていた。それでも王の縁者となれば大層な地位に就くことが出来る。姫を望むだけだとしても、それは身分を約束されたものだと思っていた。

 彼が姫を望まなくなったのは――いつからだろうか。

 

「グレイク、何を言っているんだ。私は今でもアリアンヌを望んでいるさ」

 ローレンスは姫を得ず、けれど代わりに国の要人としてその身を深く食い込ませることを選んだ。

「アリアンヌのことは今でも熱く想っている」

「ならば、共に居てはやらないのか」

 前と変わらぬように姫を想い、頬を紅潮させる彼が不思議であった。

「……私は途中で気付いてしまったんだ。グレイク、よく考えて見てくれ。アリアンヌの可憐な笑顔を知っているだろう。本当に可憐なんだ。あの笑顔を向けられるだけで、私は疲れも吹っ飛ぶ」

 恍惚とした表情で告げる彼は変わらないままなのに。

「……だからこそ、ね。彼女が涙に濡れる様は耐え難いほど可憐で」

 彼はうっとりとしたまま告げる。ああ、聞くべきではなかったとわたしはひどく後悔した。

 

「心が奮えるんだ」

 

 

 

  2 アリアンヌ

 

 お父様、どうしてなのでしょう。

 わたくしは日々を泣き暮らしております。お父様が居なくなってしまって、それだけでも哀しいのにローレンスにも会えない日々が続きました。王様であったお父様が亡くなられて、それはそれは大変な混乱でした。叔父様が何も心配はいらないと、悲嘆にくれるわたくしを何度も見舞って下さいました。

 お父様が亡くなられたことはわたくしにとって本当に哀しいことでございました。いえ、でも、仕方のないことでございます。いくら哀しいとはいっても、お父様を生き返らせてなどとは誰にも言えません。ここは御伽の国ではございませんものね。でも、本当に哀しかったのでございますよ。もっとお父様との楽しい日々を過ごしたかったです。

 葬儀は叔父様が筆頭になり、皆が滞りなく済ませて下さいました。わたくしにもお父様と最後の挨拶をさせてくださいました。わたくしの言葉はきっと葬送の詩と共にお父様の元へ届いていることでしょう。そう願っております。

 ですからお父様、わたくしが泣き濡れておりますのは、その後のことでございます。

 わたくしは当然離宮へ移されることになりました。これは構わないのです。お城へは叔父様と従兄弟のお兄様たちが住まわれると聞きました。お父様の跡はお兄様が継ぐことになりましたので、それは仕方のないことだと思います。

 わたくしが何より涙するはローレンスが、恋人のローレンスが一度もわたくしに会いにきてくださらなかったことです。忙しいのでしょうかと思いました。それでもほんの一瞬、たった一言でもよかったのです。けれど、ローレンスはお父様の亡き後、ひと月もわたくしを忘れたように放置したのです。。

 お父様も御存知と思いますが、ローレンスは素晴らしい方です。やさしくて、穏やかで、けれど詩文では熱い胸中を語ってくれます。わたくしはローレンスが好きです。幾人もの方がわたくしに愛の言葉を囁いて下さいました。その中で一際輝いていたのが、ローレンスなのです。それは間違っていなかったと思います。ローレンスと過ごした甘い日々は夢のようでした。ローレンスはわたくしの喜ぶことをいつもしてくださいました。訪ねてくる時にはいつも花を携えていました。白い花、青、赤、黄色、たくさんたくさんくださいました。それから会えない時は言葉をいただきました。甘い砂糖菓子のような言葉をたくさん。

 何が、いけなかったのでしょうか……。

 そういえば一度だけローレンスはわたくしとの約束を破ったことがございました。今なら仕方のないこととわかっているのですが、あの時は感情に任せてしまったのです。急な仕事で来れなくなったと謝罪の手紙をいただいたのに、わたくしときたら翌日慌てて訪れたローレンスを詰ってしまったのです。どうして昨日は来てくださらなかったの、約束したではございませんか、と。昂ぶっていたわたくしはローレンスの胸を叩きながら泣きじゃくってしまいました。今思うと、とんでもないことをしてしまったと思います。あの後、ローレンスはもしかしたらもう来てくれないかもしれないと恐々としました。でも、ローレンスは来てくださいました。仲直りの花を携えて。

 ローレンスは今頃になってわたくしに愛想を尽かしたのでしょうか。わかりません。

 お父様、お父様の座っていた玉座は今、お兄様の物になりました。わたくしは女ですから、国の役には立ちません。だからきっとお兄様は喪が明けたらローレンスとの婚儀を行い、わたくしを離れた場所に置くのだろうと思っていました。それなのにわたくしは――。

 ローレンスはわたくしへ愛の言葉をくださいました。熱の籠もった瞳で、わたくしの手に口づけを落として。手だけではございません。この髪に、この目蓋に、この頬に、この腕に、この指に、この足に、この脛に、この腿に、この胸に、この首に、そしてこの――唇に、口づけをくださいました。

 それなのにローレンスは言ったのです。さようならだ、と。わたくしは意味がわかりませんでした。けれど、もう会えないことをローレンスは告げました。どうして理解出来ましょう。

 わたくしとローレンスの間には何の障害もなかったはずです。皆が祝福してくれていたのに、今では誰もがわたくしと目を合わせようとしません。わたくしは胸が張り裂けそうでした。

 泣いて叫んだ気がします。あの時のことは記憶がはっきりしないのです。ローレンスにいやだと縋ったと思います。けれどローレンスはわたくしが零す涙を舐め取ると、去ってしまいました。間近で見たローレンスの顔はやはり愛しいもので、だけれども彼は何故か満足そうに笑っていました。

 何が、何がいけなかったのでしょうか。今でもわたくしは思い出すことがあります。ローレンスの吐息や、その大きな体に抱かれた安心感、あまい夢のような日々。

 わたくしが悪かったのでしょうか。

 

「お久しぶりです、姫」

 その顔には覚えがありました。不健康そうな青白い顔。いつも具合が悪そうな人です。

「具合が悪いのではなくて?」

「いえ、寧ろ今日はよい方です。顔色が悪いのは家系です。気になさらず」

「そうなのですか。ところで、わたくしは貴方と会ったことがあったのでしょうか」

 顔に覚えはあっても、何処の誰かは思い出せなかったのです。彼は言いづらそうにしながら口を開きました。

「グレイク、と申します。……二度ほど、ローレンスを介してお会いしたことがございます」

「ああ……」

 そういえばそんなこともあったかと思いました。もう遠い昔のようにも思えます。けれど、つい最近のようにも思えます。

「姫……彼は変わってしまったのです。純朴な彼はもう居ないのです。わたしの友人であった彼も、もう居りません」

「………」

「彼は貴女を差し出すことで、その身の保証を得たのです。……そう、貴女の処遇が決定しました。わたしは他の誰よりローレンスに告げられる前に貴女にそれを告げに参りました」

 青白い顔は真っ直ぐにわたくしを見つめていました。そこには心配そうな色が見えて、もう何を心配することがあるのだろうかと笑いたくなりました。すでにわたくしは満身創痍だというのに。

「……アリアンヌ様、貴女はお后になられます」

「え?」

 どういうことでしょうか。わたくしはお父様の娘ですが、后ではありません。母はもうわたくしが幼い頃に亡くなっております。后と呼ばれるのはお兄様のご正室のはずです。

「新しく玉座にお付の国王は、……貴女を正室にとお望みです」

「わたくしを……?」

「……はい」

 静かに肯定され、その瞬間わたくしの視界は滲み始めました。泣かないように思うのにどうにも止められませんでした。ぎこちなく、大きな手がわたくしの頭をその胸に押し付けました。彼とは違うけれど、やさしいものでした。

「哀しみはすべて此処に置いていってしまえばいいのです」

 幼子をあやすようにわたくしの髪を撫でられました。聴こえた囁きに、わたくしは胸が突かれる思いでした。やさしい言葉はローレンスを思い出します。

 顔を上げたわたくしに、グレイクは跪くとその青白い顔をくしゃくしゃにして言いました。

 

「貴女は笑っているほうが断然いい。せめて此処に一人、貴女の笑顔を待ちわびている者がいることをお忘れなく」

 

 

 

  3 ローレンス

 

 私にとってアリアンヌは可憐で麗しいお姫様だ。彼女との日々はとても大切な宝物のようなものだった。二人で額をくっつけて笑い、些細なことで楽しみを見つけた。本当に、楽しかった。

 満足していたのだ。

 それは間違いなく私は断言できる。けれど何が間違ってしまったのだろうか。

 グレイクからはあれ以来会話らしい会話をしていない。あれ、というのはアリアンヌのことを訊かれた時のことだ。私がアリアンヌを遠ざけたことをグレイクは責めた。それは、私とて褒められたことではないと自覚している。それでも止められなかったのだ。いつだったか、アリアンヌが私の前で泣いたことがある。その時のアリアンヌをなんと表現したらよかったのだろう。可憐さはいつにも増して、涙に濡れた瞳は色香が漂い、雷にでも打たれたかのように私は暫く呆けていた。美しかった。この世のものであっていいのかとさえ思った。

 けれどその時はただ疲れていたのだと思った。初めてアリアンヌが泣くところを見たから、それでだろうと思ったのだ。だが私の中で欲求は日に日に膨らみ、消えることはなかった。

 国王崩御の報を知った後、私はアリアンヌには会うことが叶わなかった。忙しさもあった。けれどそれ以外にも、新しい国王に持ちかけられた相談に悩んでいたからである。

 国王の座に新たに就いた王子は私も顔見知りであった。ただし数度挨拶程度の話をしただけだ。あれを会話と呼ぶかどうかは不明だが、それくらいしか接点はなかったのだ。それがいきなりの相談である。内容を聞いて理解した。相談の内容はアリアンヌに関することだった。

 アリアンヌは前国王の娘である。娘であるから王位継承権はないのだが、彼女は国民に広く慕われている。可憐な姫だ。当然だ。だがそのために扱いに困っていると言われた。彼女を娶ったならば、その者の地位は上がることだろう。王宮の中でも多大な発言権を持つはずだ。まあ、その地位に最も近かったのが私だったのだが――。

 国王は私にアリアンヌを諦めるように言ってきた。悩む所である。私はアリアンヌを愛していたし、今も愛しいと思っている。そもそも私はしがない貴族の一人である。アリアンヌを娶ったからといって、そんな大きな発言権を得るとは思えなかった。そう正直に伝えたが、国王の意見は違った。代わりに別の身分をくれると持ちかけられたのだ。

 最終的に私はその案をのんだ。重ねて言うが、アリアンヌのことは今でも好いている。だが、私はどうしてももう駄目なのだと気がついた。彼女を泣かせてしまいたくなる。笑った顔はもちろん好きなのに、ふとした瞬間にあの無垢な心に針をつきつけたくなってしまう。そのうちに私はきっと彼女をもっともっともっと傷つけてしまうだろう。そこに罪悪を覚えなくなってしまうのではないかと思った。だから、彼女を捨てたのだ。

 最後にただ、彼女との逢瀬を楽しもうと思った。結局は傷つけてしまうのだが、充足感で胸がいっぱいになったことに内心驚いていた。アリアンヌは泣いていた。ほろほろと涙を零していく。その様があまりに可憐で、彼女はやはり清らかなるものだと思わされた。それから後のことは私の知るところではなかった。

 アリアンヌは私にとって太陽のように眩しかった。いつも笑っていた。少し曇ることが稀にあったけれど、雨など降ることはほとんどなかった。可憐な麗しき姫、アリアンヌ。

 

 その後、王の后になるのだと聞いた。それを聞いても、私がまず考えたことは、彼女はきっと涙を流すだろうということ。そしてその姿はどれほどの魅力を持っているだろうということだった。

 アリアンヌは何も悪くなかった。悪いのはきっと私なのだ。

 だが後悔は何もなかった。アリアンヌを捨てたことで私は失くすものも多い。それは彼女への罪悪として、受け止めることにした。

 私はもう彼女の傍に行くことが出来ない。彼女は私を想って泣くだろうか。それとも忘れてしまうだろうか。なかったことにしてしまうのならそれでもいい。ただ一つ、私がアリアンヌを愛していた事実を忘れないでくれたらと願うばかりだ。

 

「ローレンス」

 囀るように私を呼ぶのはアリアンヌだ。ついばむようにその口を私の口で塞ぎ、彼女の呼吸を奪う。

「ロ、ローレ……ンン……」

 真赤になった彼女に私は笑みを零す。

「もう!」

「ごめんよ。君の唇があまりに美味しそうだったから、つい」

「も、もう……ローレンスったら。恥ずかしいわ」

「そんなことないよ。アリアンヌ、この白い肌が熱く染まるのは私の前だけなのだろう。これ以上なく嬉しいよ。恥ずかしいことなどないさ」

 そう言って彼女の体を抱き寄せる。髪に頬に口づけを落としていく。私の腕の中で大人しくなった彼女に私の頬は緩みっぱなしだ。

「ねえ、ローレンス。わたくしの何が一番好きですの?」

「一番、かい? 一つでないといけないのかな」

「もちろんよ。それはまあ、好きなところをたくさん言ってもらえたら嬉しいけれど、一番がなんだとわかっていたらわたくしはそれをいつでも万全にして、貴方にずっと好きだと思っていてもらいたいの」

 私のためにと言う彼女にとろけそうになる。

「わかったよ、一つだけだね」

 本当は一つだなんて選べなかった。彼女のすべてを愛していると言いたかった。だがそれだとアリアンヌは許してくれそうにない。

 私は腕の中で返事を待っている彼女を見つめた。はにかんだ笑みを浮かべるアリアンヌ。

 ――ああ、アリアンヌ。

「笑った顔が一番好きだよ」

 アリアンヌが顔をほころばせる。一瞬にして花が咲いたような笑みになる。私は彼女を改めて愛しいと思った。

「でしたら、わたくしは貴方の前ではずっと笑っておりますわ。ずっとずっと、貴方に好きと言っていただくように」

「そんなことをしなくても私はずっと貴女の虜ですよ、アリアンヌ」

 私はアリアンヌに口づけを落とし、そうっと囁く。

 

「私の可憐なお姫様です」

 

 

 

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