
1968年9月30日
大学主催=「日本大学学生集会」改め
→全共斗主催=「日大9・30大衆団交」会場
(旧両国国技館=日大講堂)
国技館、接収が解除されるのは昭和27年4月になってからで、それ以後はローラースケート場やプロレス、拳闘の会場として使われ、33年6月、相撲協会が日本大学に譲渡し、以後日本大学の講堂として使われた。
なお、日本大学が安全・保安上の問題から撤退せざるをえなくなってからは旧両国国技館だった建物は昭和57年に取り壊されてしまい、住友、安田、東洋の各銀行が跡地を手に入れて、90年初めに両国シティコアという名前の複合ビル施設に生まれ変わった。
新両国国技館の隣に江戸東京博物館が建てられるなど両国界隈の発展はめざましいものであったが旧国技館跡の場合は本所回向院の境内だっただけに少々残念な気がしてきた。
先代武蔵川(故人)は旧両国国技館は名古屋の明治村に移すべきだと言っていたが、あまりにも大きい建物だったので運ぶのは無理だったと落胆を隠しきれなかったようである。
接収を解除された国技館は 約20年もの間日本大学講堂として使われた。