両替橋(シャンジュ橋)|パリ名所案内

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両替橋(シャンジュ橋)|Pont au Change

両替商の店があった古い橋

両替橋はパリ右岸とシテ島の間に架かる橋です。パリ1区と4区の境界線になっています。橋のシテ島側にはマリー・アントワネットがフランス革命後に囚われた牢獄として有名なコンシェルジュリーがあり、橋の右岸側にはシャトレ劇場があります。12世紀には橋の上に両替商が店を構えていたことから「両替橋」と呼ばれるようになりました。

両替橋の歴史

最初の橋は9世紀、シャルル2世(シャルル禿頭王)の時代に架けられ、プチ・ポン(小橋)に対してグラン・ポン(大橋)と呼ばれていました(15世紀までシテ島にかかる橋はこの2つしかありませんでした)。10世紀末にはロベール2世(敬虔王)が橋を再建しますが、その後老朽化します。12世紀には橋の上に両替商が店を構え始めたことから「両替橋」(ポン・ト・シャンジュ)と呼ばれるように。橋の上にあったのは国内の農業共同体の負債や債券を民間の仲介業者に付けかえる取引所のようなものでした。こうしてパリで最初の証券取引所は橋の上にできました。当時のパリでは橋の上には建物や商店が立っていまして、橋の上からはセーヌ川の流れが見えないほどだったと言われています。その後両替橋は何度か架けかえられ、一番新しいものはナポレオン3世時代の1860年に完成しました。石造アーチの壁面に刻まれた大きな「N」の文字は、皇帝ナポレオンのイニシャルです。

フランス革命時のギロチンへの道だった

両替橋はフランス革命時代の舞台にもなりました。革命後、牢獄となっていたコンシェルジュリーから多くの囚人が革命広場(コンコルド広場)に設置されたギロチンの処刑場へ連れて行かれるために両替橋を渡りました。ルイ16世と王妃マリー・アントワネットもこの橋を通って処刑場まで連れて行かれたと言われています。マリー・アントワネットが両替橋を渡ったのは1793年10月16日のことでした。両替橋はフランス革命の一場面を語る重要な橋でもあったんですね。

「レ・ミゼラブル」の舞台にもなった

また両替橋は多くの小説や詩の舞台にもなりました。ヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」やパトリック・ジュースキントの「香水 ある人殺しの物語」にも登場します。ポール・フォール(Paul Fort, 1872-1960)が「両替橋の上で」という詩を残し、上田敏が訳しています。

両替橋(Pont au Change)/パリ1区・4区
セーヌ河にかかる橋
最初の完成:9世紀
最新の完成:1860年
最寄りメトロ:シャトレ(Chatelet)

両替橋の写真
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