エッフェル塔|パリ名所案内

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エッフェル塔|La Tour Eiffel

世界的に有名なパリの象徴

エッフェル塔は、誰もが知っているパリのイメージシンボル。世界で最も観光客の訪れる場所の一つとして知られています。初めてパリに来た人がパリを実感できるのも、このエッフェル塔を見たときかもしれません。しかしかつてパリにエッフェル塔はありませんでした。この世界一有名な塔ができた歴史を見てみましょう。

最初は反対された?エッフェル塔の歴史

エッフェル塔はフランスの象徴となっているパリの塔です。パリ7区のシャン・ド・マルス公園内にあり、パリの様々な場所から見ることができます。フランス革命100周年を記念して、第4回パリ万博の1889年に完成しました。1887年から建造が開始され、万博に間に合わせるために2年2ヶ月という早さで完成した高さ320メートルの塔。当時は今までのパリにはない素材と形の奇抜な建築物だったため、反対意見もたくさんありました。中には「金属製アスパラガス」と皮肉るパリジャンも。エッフェル塔が嫌いだった作家ギ・ド・モーパッサンも反対者の1人です。逆にエッフェル塔を賛美した著名人としては、詩人のギョーム・アポリネールがいました(詩「ミラボー橋」で有名)。1900年の万博のためにパリへやってきたアポリネールは、完成したばかりのエッフェル塔を美しいと感じた数少ない人間の一人でもありました。当初は万博期間が終わった後の1909年に解体が決定していましたが、軍事用の無線電波の送信に使えることが分かり、残されることになりました。観光用だけではなく実は国防用でも重要なエッフェル塔。今ではパリにエッフェル塔がないことは考えられないくらい、パリを象徴するモニュメントになっています。

エッフェル塔は立たなかったかもしれない?

「パリに高い塔を作ろう」という計画は19世紀の初期からありました。でも何故それがエッフェル塔になったのでしょう?エッフェル塔は19世紀当時のフランスの美学からすれば、明らかに理解できない異様な建築でした。これを設計したのはギュスターヴ・エッフェルの事務所の2人の技師ヌギエとケクラン。のちにエッフェル自身がそのプランを買い取って、1889年のパリ万博のコンペに設計案を提出しました。当初コンペの最有力候補はトロカデロ宮を設計したジュール・ブールデの「太陽の塔」でした。これは頂上に特殊な反射鏡を設置してパリ全域をアーク灯で照らすという石造りのパリらしい塔でしたが、建造に時間がかかるし現実的でないというデメリットがありました。それに比べて鉄の塔であるエッフェル塔は2年間で建造が可能で費用も安く済むということが分かりました。その結果、優勝候補「太陽の塔」を退けてコンペで優勝します。その後、ギ・ド・モーパッサンやデュマ・フィスなど文化人による反対運動が起こりましたが、機能美を主張するエッフェルによりエッフェル塔は予定通り完成し、万博で成功を収めます。万博開催中には200万人が上り、その中にはサラ・ベルナールやトマス・エジソンもいました。それでもなお、エッフェル塔が美しいと感じるまでには20世紀まで待つ必要がありました。1909年には取り壊しが決定していましたが、軍事用の無線電波の送信で活躍。そのうちにエッフェル塔の美学に共感するアポリネールのような詩人が現れます。今では、エッフェル塔がなければパリではないと言われるほど。人間の美学は時とともに変わっていくものなのですね。

パリの版画家が描いたエッフェル塔版『冨嶽三十六景』

エッフェル塔は今では毎日のように写真の被写体になっていますが、完成当時その姿を版画で残した作家がいました。アンリ・リヴィエールはパリの版画家です。葛飾北斎の『冨嶽三十六景』に感銘を受け、様々な場所から見たエッフェル塔のある風景を描いた連作『エッフェル塔三十六景』を制作しました。まだエッフェル塔が完成間もない頃のパリの様子が活き活きと描かれています。江戸の庶民を描いた葛飾北斎の版画のように、当時のパリの街で暮らす人々の生活がよく分かります。

参考文献:鹿島茂「パリ・世紀末パノラマ館」

Tour Eiffel
完成:1889年
高さ324メートル、重量10,000トン
最寄メトロ:ビラケム(Bir-Hakeim)、トロカデロ(Trocadero)、RER線シャン・ド・マルス・トゥール・エッフェル(Champ de Mars Tour Eiffel) /パリ7区

エッフェル塔の写真
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