パンテオン|パリ名所案内

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パンテオン|Place de la Republique

聖ジュヌヴィエーヴの丘に立つギリシャ神殿

パリ5区、学生街カルチェラタンを歩いていると、ひと際壮麗な建物が見えます。巨大なドームとコリント式の円柱が特徴的なこの建築はパンテオン。ルイ15世の病気回復を祝って再建されたギリシャ風神殿です。パリ観光名所になっているパンテオンは、パリでも高いサント・ジュヌヴィエーヴの丘の上にあり、1757年に着工され、1792年に完成しました。パリの守護聖人だった聖ジュヌヴィエーヴが祀られています。彼女はフン族の来襲からパリを救った女性で、現在パンテオンが建つ丘で祈りをささげていたと言われています。彼女の死後(502)、遺体はサン・ピエール・エ・サン・ポール教会の地下に埋葬されました。その教会のあった場所に今はパンテオンが建っています。

もともとはキリスト教の大聖堂だった

パンテオンの歴史は6世紀初めまでさかのぼります。507年にキリスト教に改宗したフランス国王クロヴィスは自分と妻の墓所として大聖堂を建設します。それがサン・ピエール・エ・サンポール教会でした。パリを蛮族の侵入から守った聖ジュヌヴィエーヴは502年に亡くなり、この教会のクリプトに葬られました。教会を造ったクロヴィス王も彼女の墓の隣に埋葬されたと言われています。この教会は12世紀に修道院になり、1744年にはルイ15世によってサント・ジュヌヴィエーヴ教会へと変貌していきます。これは聖ジュヌヴィエーヴへの祈願によって重病を克服したルイ15世が、自分を救った聖女にこの大聖堂を捧げたいと希望したためでした。新しい大聖堂の計画は新古典主義建築の代表的な建築家スフロに委ねられ、1790年に完成します。完成した大聖堂はローマのサン・ピエトロ大聖堂に匹敵するものとなりました。その1年後の1791年、完成した大聖堂は国立のパンテオンに改造され、フランスの偉人の遺骸を祀る神殿となりました。これはフランス革命の指導者ミラボーの遺骸を納める場所を探していた憲法制定議会によって決定しました。なお元々パンテオンの立つ場所に眠っていた聖ジュヌヴィエーヴの石棺は、フランス革命の混乱を乗り切り、パンテオンの向かいにあるサン・テティエンヌ・デュ・モン教会に移されました。クロヴィス王の墓は消えてしまい、未だに見つかっていません。

ヴィクトル・ユーゴーなどの偉人たちが眠る

教会として完成したパンテオンでしたが、フランス革命期の国民議会によって、フランスの偉人たちを祀る霊廟として利用されることが決まります。現在パンテオンに埋葬されている偉人には、マリ・キュリ(キュリー夫人)、アレクサンドル・デュマ、ヴィクトル・ユーゴー、アンドレ・マルロー、モネ、デカルト、ジャン・ムーラン、ジャン=ジャック・ルソー、ヴォルテール、エミール・ゾラ、ベルトロなど、フランスを代表する作家・思想家・画家などがいます。作家ヘミングウェイはパリ修業時代にパンテオンの近くに住んでいましたが、新古典主義の傑作と言われるこの建物にはあまり興味がなかったようです。

「フーコーの振り子」の実験が行われた場所

パンテオンの設計は国王の建築物の監督官であったジャック・ジェルメン・スフロ(彼の名前を冠したスフロ通りがパンテオンからリュクサンブール公園の間にあります。近くにあったホテル・スフロは永井荷風が泊まった明治期の日本人御用達のホテル)。またパンテオンは地球の自転を証明した「フーコーの振り子」の実験(1849)が行われた場所としても知られています。実験が行われたドームは展望台になっていて、カルチェラタンとパリ左岸を眺めることができます。

最寄メトロ:カルディナル・ルモワーヌ(Cardinal Remoine) /パリ5区

パンテオンの写真
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