レピュブリック広場|パリ名所案内

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レピュブリック広場|Place de la Republique

共和国を象徴する巨大な広場

「共和国」を意味するレピュブリック広場は、パリ10区にある巨大な広場。8本の通りに5つのメトロが交差する、交通量の非常に多かった通り。そのため、いつも車がロータリーを通過し、静けさとは無縁の場所でしたが、2013年にリニューアルされ新たな観光広場として生まれ変わりました(後述)。レピュブリック広場が他の広場と違う点は、イベントやデモのときに多くのパリジャンがこの広場に集まること。レピュブリックという名前のとおり、共和国としてのフランスの諸問題を提起する場所として使われています。それはレピュブリック広場の中央にある女性像マリアンヌが自由と革命の象徴だから。広場の周りにはたくさんのカフェやレストランがあります。またパリ散策で人気のサン・マルタン運河も近くです。

広場にいる女性像の正体

レピュブリック広場に立つ女性像はフランス共和国を象徴するマリアンヌ。自由と革命のシンボルで、そのため多くのデモがこの広場から始まります。マリアンヌは自由の象徴としてのフリジア帽(赤い三角帽)を被り、右手には平和の象徴としてのオリーブの枝を持ち、左手には「人権宣言」の碑銘板を抱えています。マリアンヌは像だけでなく、絵画にも描かれています。有名なものとしては1830年の7月革命を描いたドラクロワの『民衆を導く自由の女神』(1830)。絵の中に出てくるマリアンヌもフリジア帽を被っており、この赤い帽子には隷属から自由への開放という意味があるそうです。マリアンヌが民衆を率いて歩く姿は、そのままフランス市民の自由を表しています。女性が歩く時歴史は動くことはフランス革命時にパリの農民女性がヴェルサイユまで行進したときに証明されています。その後この絵はフランス国家に買い取られ、絵の中のマリアンヌは共和国を代表する偶像として知られるようになります。レピュブリック広場にマリアンヌの像が建てられたのは1883年7月14日のこと。像の足元にある石の台座には、自由・平等・博愛の像が並んでいます。

かつてシャトー・ドーという名前の広場だった

レピュブリック広場は昔シャトー・ドー広場と呼ばれていました。近くに貯水塔(シャトー・ドー)があったためです。水道技師ピエール・シモン・ジラールが設計した貯水塔は、パリの市民に水道を供給しました。当時のレピュブリック広場は貯水塔の十字路で、中央には水道技師ジラールが設計した噴水がありました。この噴水はパリ改造時代の1867年に解体され、ラ・ヴィレットの屠殺場前に移築されました。屠殺場がラ・ヴィレット公園に変わった今でも、同じ場所に置かれています。

広場の近くにあった「犯罪大通り」

フランス革命後、レピュブリック広場につながっていたタンプル大通りには芝居小屋が次々に生まれ、流行のメロドラマを求めてパリの人々が集まる歓楽街になっていました。タンプル大通りは当時「犯罪大通り」と呼ばれ、それは舞台の上で人が殺される場面が連夜繰り広げられていたせいでした。最盛期には15もの劇場が軒を連ねていたと言われ、1830年代にはパリ演劇界の中心地となっていました。しかし約30年後の1862年、ナポレオン3世によるパリ改造の一環として拡張工事が行われ、犯罪大通りの象徴であった劇場はほとんど取り壊されてしまいます。その後、繁華街の中心は西側のブールヴァールに変わって行きます。マルセル・カルネ監督の名作『天井桟敷の人々』(Les Enfants du Paradis)には、1840年代の犯罪大通り(タンプル大通り)の様子が描かれています。

劇場解体後のシャトー・ドー広場界隈は、本当の犯罪が多発するようになりました。かつてのレピュブリック広場は貧民街ベルヴィル・メニルモンタンに住む人間がパリ中心部に出てくるときの通過点だったためです。アパッチと呼ばれる町のごろつき(ポン引きなど)が徘徊するようになり争いや事件がたびたび起こりました。共和派が王党派(ボナパルト主義者)を破った1879年、シャトー・ドー広場はレピュブリック広場へと改称されました。その後1883年、広場の中心にマリアンヌの像が建てられます。フランスが共和国である限り、マリアンヌの像はいつまでもその広場で人々を見つめ続けていることでしょう。

2013年6月にリニューアル

観光地としてはあまり注目されていなかったレピュブリック広場ですが、2013年6月にリニューアルし、快適な広場へと生まれ変わりました。もともと交通量の多かった広場でしたが、第2帝政時代からあった環状交差点が撤去され、広場の中心部に車が入れなくなりました。また広場の面積が拡張され、新たに噴水も設置されました。以前の交通量の多い散文的な広場のイメージは払しょくされ、子供たちが遊べる清潔で安全なパリ市民憩いの場所に変わりました。散策や日光浴する人や大道芸人も現れ、今では新たなパリの観光地として人気を集めています。

大規模な集会の場所

レピュブリック広場は今でも大規模なデモ・集会・行進の出発地点として使われています。2015年1月に起きたフランスの新聞社シャルリー・エブド本社へのテロ事件を受けて、1月11日にレピュブリック広場で大規模な集会が開かれました(事件翌日の8日には追悼も行われました)。広場には160万人の人が集まり、フランスの表現の自由を守るために行進しました。参列者の中にはフランスのオランド大統領をはじめ、世界47カ国の首脳も参加しました。これほどの規模の集会は1944年のパリ解放以来で、多くの人が「je suis Charlie(私はシャルリー)」というプラカードを掲げ、表現の自由を守るためのメッセージを伝えていました。フランスは革命によって自由を獲得した共和国(レピュブリック)で、自由への意識と伝統は根強く、レピュブリック広場はその自由を尊重するための象徴的な場所といえます。

最寄メトロ:レピュブリック(Republique) /パリ10区


レピュブリック広場の写真

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