オペラ座|パリ名所案内

パリ旅行|パリの名所案内

パリのオペラ座|Opera

豪華絢爛なパリの社交場、シャガールの天井画も

オペラ座(オペラ・ガルニエ)はパリで最も有名な観光地の一つ。ルイ14世によって設立された王立音楽アカデミーが前身で、いくつか場所を変えたのち、現在のパリ9区に1875年に建てられました。「パレ・ガルニエ」とも呼ばれるオペラ座はナポレオン3世によるデザイン・コンペで選ばれたシャルル・ガルニエの建築によるもの。ナポレオン3世の時代の第二帝政を代表する壮麗な建築物で、ネオ・バロック様式の傑作とされています。しかしバスチーユに新しいオペラ座オペラ・バスチーユができて以来、オペラは専ら新オペラ座で上演され、オペラ・ガルニエでは主にバレエが上演されています。カルポーの彫刻を始めとして多くの華麗な彫刻で飾られ、オペラ座の内部も豪華絢爛。天井にはロシアの画家マルク・シャガールの天井画『夢の花束』もあり、見るだけで楽しめる美しいオペラ座です。オペラやバレエを観劇しなくても、内部を見学することができます。

パリ改造の主役となったオペラ座の完成

オペラ座の建築が始まった1862年は、まさにパリの街自体が大きく変貌した時期でした(日本で言えば幕末です)。狭く湿気の多い街路を嫌ったナポレオン3世は、セーヌ県知事オスマンに命じてパリの街路を大幅に整理し大通りを切り開いていきます。オペラ座前のまっすぐなオペラ通りも、この時期にできたもの。それ以前オペラ座が建築される場所の前には、ごみごみとした建物がひしめきあっていました。150年前のパリは今のパリとは違い、中世そのものの街並でした。オペラ座は工事開始から13年後の1875年に完成します。それはパリが変貌した瞬間でもあり、今日私たちが知っている「花の都」が生まれた瞬間でもありました。

オペラ座の怪人

ナポレオン3世の時代に建てられたオペラ座ですが、ナポレオン3世の在位中には完成しませんでした。工事が遅れた原因は、「地下」にありました。基礎工事で地下を掘っていく段階でローマ時代採石場跡が発見され、そこに地下水が流れ込んで巨大な湖ができていたためです。このオペラ座地下に眠っていた湖に着想を得て作られたのが、1910年に発表された『オペラ座の怪人』です。元ジャーナリストの人気作家ガストン・ルルー(1868-1927)は豪華絢爛なオペラ座とその地下にある不気味な湖という対比を見事に描き、オペラ座の地下に住む燕尾服姿の怪人を生み出しました。19世紀に恐怖の対象だった暗い森や城から離れて、パリの都会にゴシック的な恐怖を持ちこんだことが受けたのかもしれません。しかもオペラ座は当時もっとも有名だった建物で、彼の作品は注目を浴びました。その斬新さは今でも多くの人の心を惹きつけ、世界中の劇場で上映され続けています。

日本人街としてのオペラ座

またオペラ座周辺は日本人街としても知られています。パリ13区(プラス・ディタリー)や4区(北マレ)にある中国人街とは違い、街としての明確なエリアではありませんが、日本食材店や日本料理レストランが多くあるため日本人をよく見かけます。ラーメンやかつ丼、すし屋など、日本食が懐かしくなったときに便利です(ただし、経営者は日本人でないことが多いです)。お土産を買う日本人が集まるのもオペラ通り周辺です。待ち合わせ場所としても分かりやすいオペラ座正面はいつも多くの人で賑わっています。ルーヴル美術館にも徒歩圏内で、日本人に人気のデパートプランタンギャラリー・ラファイエットもすぐ近くです。

オペラ座のミツバチ

パリにはほとんど虫がおらず、街はおろかブーローニュやヴァンセンヌの森などを歩いていても出会うことはほとんどありません。これはパリの緯度が高いせいだと言われていますが、夏の風物詩セミの声が聞こえないのはなんとなく寂しい気もします。その中で例外的なのがミツバチ。意外にもパリの街の至る所に飛んでいます。これはサトウキビの栽培以前に蜂蜜がフランス人にとって砂糖の代わりとしての大事な栄養源だったからです。パリには今でもいくつかの養蜂場があり、その中でも面白いのがオペラ座の養蜂場。オペラ座の屋根裏部屋に作られており、チュイルリー公園のミツバチたちが集まってくると言われています。ナポレオンの紋章にも使われたミツバチ。今は美容と健康のために蜂蜜を食べるフランス人が多いようです。なので、パリのお土産に蜂蜜というのもいいかもしれません。

最寄メトロ:オペラ(Opera) /パリ9区


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