ドフィーヌ広場|パリ名所案内

パリ旅行|パリの名所案内

ドフィーヌ広場|Place Dauphine

王太子のために作られたパリ最古の広場
パリの広場と言えば、人が多く活気にあふれたイメージを持つ人が多いと思います。しかし今回ご紹介する広場は少し変わった広場です。セーヌに浮かぶパリの中心地であるシテ島の中にあります。それなのに観光客の絶えないノートル・ダム大聖堂の近くにあるとは思えないほど静まり返っています。ドフィーヌ広場は1607年に建設されたパリ最古の広場。当時6歳だった王太子(のちのルイ13世)の名誉のために国王アンリ4世が作りました。ドフィーヌ(Dauphine)とは、「王太子」を意味するドーファン(Dauphin)の女性形です。ちなみにアンリ4世の時代に作られた広場としてはほかにマレ地区のヴォージュ広場があります。ドフィーヌ広場ができるちょうど1年前にはポン・ヌフが完成し、その真ん中に位置するドフィーヌ広場はパリ市民や金職人たちで大いに賑わったそうです。広場の三角形を縁どるV字型に配置された2つの建物にはショッピングアーケードが設置され、庶民に人気のショッピングセンターとしてにぎわいました。

パリで最も静かで美しい広場
しかし現在、当時の商人たちのにぎわいを想像することは難しい。19世紀後半のオスマンによるパリ改造以来、ドフィーヌ広場にはショッピングアーケードもなくなり、ここに活気が戻ることはありませんでした。それほどにここは静かで美しく、また何か物語が始まる予感を感じさせるロマンチックな場所でもあるからです。ノートルダム大聖堂というパリ随一の観光地が近くにあるのに人はおらず、周りにはシテ島では珍しい民家が立ち並んでいます。これは19世紀後半のオスマン知事によるパリ大改造の手を逃れたためで、中世の風景をいくらか残しています。そして、この広場の形(三角形)が400年前と変わっていないことはパリという街の素晴らしさの一つです。昔と比べれば広場の活気は決定的に失われ、まさに400年間見放され続けてきた孤独な広場となっています。しかしそれゆえに、ここはパリで最も奥深く美しい広場だといえるでしょう。

広場にはシュルレアリスムの作家が食事した店が残る
またこの広場は作家の心を惹きつけました。シュルレアリスムの作家アンドレ・ブルトン(Andre Breton / 1896-1966)の作品『溶ける魚』(Poisson soluble)と『ナジャ』(Nadja)には不思議なことが起こる場所としてドフィーヌ広場が登場します。『ナジャ』の中でブルトンはドフィーヌ広場について言及し、「まさに私の知るかぎりもっとも深く引きこもった場所のひとつであり、パリでも一番よからぬ空地のひとつである。私はそこへやってくるたびに、よそへ行きたい気持ちがどんどん薄らいでいくのを感じたもので、やけに優しく、快すぎるほどしつこく絡みつき、ついには私を粉々にしてしまう一種の抱擁から逃れるために、自分自身を説き伏せなければならないほどだった(巖谷國士・訳)」と言っています。小説の中で(現実でも)ブルトンは写真中央にある張り出しのレストランでナジャという女性と食事をし、予知夢のような不思議な体験をします。またアンドレ・ブルトンはエッセイ『ポン・ヌフ』の中で「ドフィーヌ広場は、日が暮れると、今もなお強烈な磁力と魂を揺さぶる測り知れない暗示とを与えてくれる」と書いてます。そしてブルトンはドフィーヌ広場を「パリ(女性)のセックスシンボル」に重ね合わせてもいます。セーヌの2つの流れを分けるシテ島先端にあるこの三角形の広場は、たしかにパリという女性を象徴している気がしてきます。

*最寄メトロ:Cite(シテ)


ドフィーヌ広場近くのパリ観光
ドフィーヌ広場のエリア(パリのカルティエ)