黒田如水孝高に係った宣教師たち


グネッキ・ソルディ・オルガンティノ(Gnecchi‐Soldo Organtino)1533-1609.4.22
 イエズス会のイタリア人宣教師。1570年来日。ルイス・フロイスと京都で活躍。1576年に南蛮寺を建てて、その後30年もの間、京都地区の布教責任者となる。1585年に小西行長・黒田孝高らを洗礼に導いた人物。1587年に禁教令が出ると小豆島(小西行長領)〜加賀(前田利家領)〜九州と転々とした。1591年、天正遣欧少年使節と一緒に大坂城の秀吉に謁見。黒田孝高が面会に尽力した(少年使節の一人中浦ジュリアンは孝高の没年に、その墓所でもある博多教会に赴任している)。その後は長崎に留まり、同所で没した。

ペドロ・ゴメス(Pedro Gomez)1535-1600.1.7
 イエズス会のスペイン人宣教師。1583年来日。1587年の復活祭、黒田孝高は弟利高・弟直之とその妻・息子長政・大友義統とその妻子・毛利秀包・熊谷元直を入信させた。その際、ゴメスを山口から中津に呼び出して洗礼させている。1590年、日本準管区長となり3年後,「天球論」「霊魂論」「カトリック教理要網」の三部作を著した。長崎で没。

グレゴリオ・デ・セスペデス(Gregorio-de Cespedes)1551-1611.12.24
 イエズス会のスペイン人宣教師。1977年来日。京都・大坂・高槻・中津で布教。1592年、小西行長に随行して朝鮮に渡り、かの地に初の布教を試みた。加藤清正に訴えられて黒田孝高の陣所へ逃れ、帰国後は中津〜小倉地方で長らく活躍。細川ガラシャの洗礼を行う。細川忠興に保護されて同地で没した。

ガブリエル・デ・マトス(Gabriel-de Matos)1572-1633.1.13
 イエズス会のポルトガル人宣教師。1596年来日。京都・秋月・博多で布教。黒田孝高の博多教会における葬儀に参列。一部始終を書き残した。晩年はマカオへ移住し、かの地で没した。

関ヶ原合戦時、小西行長領の肥後国宇土・八代にいたベドロ・ラモン神父とフランシスコ・ルイス神父は加藤清正に捕らえられたが、黒田孝高の配慮で長崎へ脱出している。


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