黒田官兵衛・年表(播磨時代)

年号 西暦 事柄 出典
応仁1 1467 足利将軍の力が衰え、細川・山名氏の戦いが近畿を中心
に約10年続いた。戦国時代の始まり。
永正5 1508 黒田高政の子重隆、近江国伊香郡に生まれる。 黒田家譜
同8 1511 京都船岡山の戦い(細川家の内紛)に黒田高政抜駆けし
て将軍の怒りを買い、備前福岡に追放される。△
同合戦に櫛橋尚則、衣笠村氏を討つ。
黒田家譜

赤松大系図
同16 1519 小寺政隆、御着城を築く。 姫路城史
大永1 1521 守護代の浦上村宗が守護の赤松義村を室津城に殺す。 姫路城史
同2 1522 浦上村宗、播州高峰山城(城主妻鹿氏)の赤松政村を攻
めて落とせず。
赤松大系図
同3 1523 黒田高政備前国福岡に没。墓は妙興寺。 黒田家譜
同4 1524 黒田重隆の長男職隆、備前国福岡に生まれる。 黒田家譜
同5 1525 黒田重隆の次男高友、播磨国竜野(栄?)に生まれる。 黒田略系図
同7 1527 黒田重隆、京都桂川で梶原氏と先陣争いをする。△ 赤松秘士録
享禄3 1530 小寺政隆(59歳)庄山城で浦上村宗に殺される。
黒田重隆、姫路の小寺則職(政隆の子)に仕える。△
姫路城史
同4 1531 小寺則職・明石長行、摂津国で浦上村宗を討つ。
則職は御着城に移り、八代道慶が姫路城代となる。
赤松記
姫路城史
天文3 1534 宇喜多能家(備前国砥石城主)攻められて自決。
播州朝日山合戦に櫛橋尚則と井口家繁が戦死。
備前軍記
赤松大系図
同4 1535 阿弥陀宿仏心寺で黒田重隆と梶原氏が反目。赤松晴政
の出馬で丸く治まる。△
赤松秘士録
同5 1536 宇喜多能家の子興家、備前国福岡に没。墓は妙興寺。 備前軍記
同6 1537 尼子晴久の兵、播磨国に侵入を開始。 尼子一族
同7 1538 黒田重隆の三男友氏、播磨国井口家で生まれる。△
小寺・明石氏が尼子氏に味方したため、赤松晴政は置塩
城を捨てて、淡路島に逃げる。
黒田略系図

姫路城史
同8 1539 赤松晴政、細川氏の協力で明石氏と和して、三木城に入
るが、城主別所氏を疑って和泉国堺に逃亡。
姫路城史
同9 1540 赤松晴政、小寺氏と和睦して置塩城に戻る。 姫路城史
同11 1542 黒田重隆と山脇職吉連名で小寺氏の政務をとる。 芥田文書
同12 1543 黒田職隆、香山重道を討って小寺家に仕える手土産とす
る。×(100%ありえない話)
夢幻物語
同14 1545 黒田職隆、八代道慶に代わって姫路城主となる。 姫路城史
同15 1546 黒田職隆の長男官兵衛、姫路に生まれる。 黒田家譜
同17 1548 黒田重隆の四男重孝、姫路に生まれる。
小寺則職、芥田氏に命じて別所家臣妻鹿氏を討つ。
別本林系図
芥田文書
同20 1551 黒田重隆、近江国佐々木氏の和歌の会に参列。△ 江源武鑑
同23 1554 前年から続く枝吉合戦に明石氏、三好長慶に降る。 細川両家記
永禄1 1558 赤松晴政、竜野へ走り娘婿(赤松政秀)の庇護を受ける。 姫路城史
同2 1559 黒田重隆夫人(妻鹿氏)没。墓は不明。
黒田職隆夫人(明石氏)没。墓は御着の真言宗梨原寺。
黒田家譜
同3 1560 黒田職隆、梨原寺を心光寺として大改修する。
尼子晴久没。尼子氏の勢力が衰退する。
姫路城史
尼子一族
同4 1561 黒田職隆、姫路城を大改修して山上の長谷寺を城下に移
す。また、官兵衛を御着城に出仕させる。
姫路城史
村田出羽伝
同5 1562 黒田官兵衛(17歳)初陣。 黒田家譜
同7 1564 浦上政宗(室津城主)と黒田家(井口の養女?)との婚礼
を赤松政秀が奇襲する。井口茂元と黒田重隆没。
姫路城史
赤松大系図
同8 1565 赤松晴政、竜野で没。 赤松大系図
同9 1566 尼子氏、毛利元就に滅ぼされる。 尼子一族
同10 1567 官兵衛が結婚して、父職隆は隠居する。
小寺政職夫人が没する。
黒田家譜
黒田略系図
同11 1568 織田信長が挙兵上洛する。
黒田官兵衛の長男長政が生まれる。
黒田家譜
同12 1569 青山合戦。母里一族24名戦死。 黒田家臣伝
同13 1570 浦上宗景が別所氏の三木城下を焼く。 別所記
元亀2 1571 黒田職隆、佐々木氏に属して近江で信長と戦う。△ 江源武鑑
天正1 1573 黒田職隆、妻鹿城を大改修する。
宇喜多直家、備前国岡山城を築く。同国天神山城主浦上
宗景、織田信長に助けを求める。
姫路城史
同3 1575 官兵衛、岐阜城の織田信長に謁見する。 黒田家譜
同4 1576 小寺加賀守則職82歳で没。 赤松大系図
同5 1577 黒田家重臣の曽我大隅、加古川で没。
羽柴秀吉軍、播磨国に出兵し、上月城を落とす。
広峰長則(小寺則職弟)66歳で没。
宇喜多直家に攻められて浦上氏滅ぶ。
母里家位牌
信長公記
広峰系図
備前軍記
同6 1578 別所長治と荒木村重が離反。官兵衛虜となる。 黒田家譜
同7 1579 官兵衛、有岡城から一年ぶりに救出される。
御着城が落ちて小寺政職が英賀城へ逃亡する。
黒田家譜
播磨鑑
同8 1580 鳥取城攻めに参加。秀吉代理で官兵衛が淡路を平定。
英賀・長水山城落ちる。黒田家が1万石の大名となる。
黒田家譜
同9 1581 秀吉、淡路を平定。姫路に三層の天主を築く。
黒田家が2万石の大名になる。×
姫路城史
寛政諸家譜
同10 1582 黒田官兵衛次男の熊之助生まれる。
小寺政職、備後国鞆津で没。58歳?
備前高松城攻め。本能寺の変。山崎合戦。
黒田家譜
同11 1583 官兵衛の縄張りで大坂築城。天満に屋敷を設ける。
また、キリスト教の洗礼を受ける。賤ヶ岳の戦い。
キリシタン
大名記
同12 1584 小牧役に長政参戦。黒田家は5万石の大名になる。 黒田家譜
同13 1585 官兵衛、四国征伐の軍監となり平定。
黒田職隆没。墓は妻鹿。
黒田家譜
黒田略系図
同14 1586 秀吉、聚楽亭を築く。官兵衛は従五位下勘解由次官に叙
される。また、秀吉の露払いとして九州征伐に出兵する。
黒田家譜
同15 1587 秀吉の出馬により九州平定。豊前国18万石を拝領。
聚楽亭の城下、猪熊に屋敷を設ける。千利休の隣。
黒田家譜
聚楽亭絵図

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