妙清地蔵(朝鮮地蔵)




妙清地蔵

林掃部は日本史上、槍で虎を倒した唯一の武将
(加藤清正の逸話のモデル)

林掃部は福岡藩士で唯一、特例として二階建ての門を許された。
名島城の遺構で小型のため、ある人が勝手に「名島城の脇門」
と書いてからそれを踏襲して書く人が多いが「脇門」なんて記録は
一切無い。崇福寺の唐門も名島城の遺構というがそれは嘘。

江戸期の林家の広大な屋敷図(部分)
名島門の両脇には多聞櫓のように長屋が連なっていた
(両脇の長屋は第二次大戦の空襲で焼失)


文禄役の戦災孤児を黒田24騎の1人・林掃部(太郎右衛門)が
娘同様に養育した。彼女を祭ったものが妙清地蔵であり、別名
朝鮮地蔵と呼ばれている。彼女の石像の右側にはその由来を
記した古い石碑もある。
(福岡市今川橋金竜寺境内)

文禄元午辰年四月、太郎右衛門、長政公に従ひ奉り
朝鮮に渡海し、彼の地に於いて戦功多し。
同三甲午年、二月十三日、慶尚道機張の山に於いて
長政公虎を狩り給いて後、御陣所に帰り給ふ。然る処、
太郎右衛門壱人は猶後に残りしが、虎又出で来たり。
口を開けてかかりけるに立ち向かひ、大身の槍を虎の
口に突き入れければ、即ち槍のうのくびを食い折りたり。
この時太郎右衛門、槍を捨て様に刀にて切り殺しける。
この後、朝鮮において長政公より太郎右衛門が軍功且つ
虎を弊せし事を賞し給ひ、黄昇に朱の餅つきたる御差物
を賜ふ。(中略)
掃部朝鮮在陣の時、いずれの所にか有りけん。
山中を通りけるに、8〜9才ばかりの女子ただ1人
泣き居りたるを生け捕りて帰りける。
帰朝の後、字を「里」あるいは「いち」と付け、成長
し、生涯掃部が養いを受けらる。
掃部死去の時、金竜寺に入りて剃髪し、名を妙清
と改め同寺に小庵を営み、日夜掃部がため、香花
をとり、墓の酒掃をつとめける。
            文政3年 『二十四騎伝記』


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