甲冑の時代考証(基準資料をベースとして)2010.1


安土城より過去の城に天守台の発掘が無いにもかかわらず、天守の起源を古く言う人がいる。また、信長の書状は「天守」であるのに、それより一寸古い聞き伝えで書いた公家の日記に「天主」とあるから、最初は「天主」と書いただってさ。馬鹿な大人ばかりだ。
十手の起源は室町後期?嘘の伝書を信じなさんな。そんな遺物があるなら出しなさい。
カリギュラを真似た信長の鉄甲船は鉄の札を打ちつけた船で、当時は大きな鉄板を作る技術なんて無い。どれもこれも根拠のない定説ばかりだ。

甲冑も偽りの伝来に惑わされてTVや書籍の考証が歪みきっている。江戸時代のものを「戦国!戦国!」と馬鹿丸出しなのである。
西洋鎧の真似をして飾ることに重点を置いたあんな通気性の悪い亀の甲羅のような二枚胴具足で戦うなんて、怪獣のぬいぐるみを着て戦うようなもので、三分間が限度だろう。わざわざ内側に皮や紙を貼ってぐしゃっとならないようにして、空気通さなくしてるんだからアホである。秀吉晩年の頃の丸胴は防弾チョッキのように軽い。

そこで時代と所用者の確かなものを選んで基準資料として比較した表が下表である。個人所有だったものが近年全国各地の博物館に収まって、ポジを借りれば簡単に本が出せるようになって、まるで怪獣図鑑のように武将の甲冑本が出回っている。だが、夢を壊すようで申し訳ないが、世の誰々所用と証する甲冑の8〜9割は時代の合わぬ代物である。

○戦国時代の甲冑は使い捨てで質素なものがほとんど。漆の色からして違う。頭形兜も古頭形と言って、数えるほどしか残っていない。
○鎧は信長の時代までは小札の腹巻、胴丸が中心。秀吉の時代で伊予札の丸胴(ただし小田原では五枚胴とかが発生)。
○初代のものとして大名家に伝来していても実は二代目(平和な時代になってから作った)というケースが多い。
○甲冑工房は主に大和国と上野国にしかなく、地方で作られるようになったのは江戸時代になってから。そして規格外の鎧兜が作られるようになる。
○ヨーロッパの甲冑が日本に届いたのは秀吉の晩年。信長は南蛮甲冑は着てないし、黒くて長いマントはカトリックの宣教師のみ使用。
○南蛮具足は徳川家康が最初。難破船の乗組員が海賊相手に使用する兜鉢と胴を改良した。これ以後、二枚胴の鎧が流行り出す。
○当世具足は江戸時代になってから登場した。胴に樽型の曲線があるのは西洋鎧の影響。それ以前の胴は直線的。
○日本の兜に脇立・後立がついたのは西洋の影響。自己アピールの独特な形になったのも西洋の影響。それまでは画一的。
○身分のある武士なのに袖が無い=製作当初から具足羽織が付属していた。
○二枚胴は関ヶ原役の直前に登場し、初めは身分の低い者が利用した。
○お貸し具足が登場するのは文禄役の立花隊の金兜から。
○足軽のお貸し具足は大坂陣から。それまでは各自で雑多に用意していた。
○紙でできた足軽の二枚胴を後北条家のものだとか、国宝ものだとか平気で言う人がいるのだから驚きである。当時は紙だって貴重品である。
○戦国時代に幕末の陣羽織を着せるのは止めて欲しい。具足羽織は桃山期に発生して薄手で形も自由奔放である。
○ボロボロだから古い=とんでもない。作りが悪いだけである。

武将名 備考
明智光春 兎耳頭高兜 和製南蛮胴具足 ×江戸前期の甲冑。 
明智光秀 黒漆鬼喰形大瓢箪脇立兜 ×江戸時代半ばの作。
浅野長政 大水牛脇立黒漆兜 茶糸威桶側五枚胴具足 ×ありえない。角は現代作。
井伊直政 朱漆塗越中形兜 朱漆塗仏胴具足 ○関ヶ原役直前の作。二枚胴。
黒漆塗日根野形兜 黒漆塗雪下胴具足 ○関ヶ原役直前の作。五枚胴。
稲葉良通 黒漆越中頭形兜 素懸威五枚胴具足 ○基準資料。 天正末期。
大友宗麟 半月前立白檀塗二十二間椎実形筋兜 白檀塗浅葱糸威腹巻 ○桃山期。秀吉の下賜か。 
織田信長 金小札色々威胴丸 ○信長が謙信に贈ったもの。
木瓜前立鍬形紺糸威二十四間総覆輪筋兜 紺糸威胴丸具足 ×織田の分家に伝来したが時代は下る。 
加藤清正 銀箔押長烏帽子形張懸兜 ×時代下る。由来に矛盾。日の丸も使わない。 
蛇目紋長帽子形張懸兜 ○桃山期。下散シコロ。
蛇目紋長帽子形張懸兜 蛇目紋紺糸威二枚胴 ○江戸時代初期。
加藤嘉明 銀箔押富士山形張懸兜 ○桃山期。たいへんよい。  
可児才蔵  日輪前立日根野頭形兜  ○関ヶ原役時の家康の近習用のお貸し兜。
吉川広家 白糸威黒漆大鯰形兜 無  ○桃山期。関ヶ原役使用。
福島正則 大水牛脇立黒漆桃形兜 ○桃山期。黒田長政から貰う。前立が無い方。
黒田孝高 銀白檀塗合子形兜 ○関ヶ原役直前の製作。下散シコロ。 
黒田長政  大水牛脇立黒漆桃形兜 ○江戸初期の製作。日輪の前立がある方。 
歯朶前立銀箔押南蛮兜 ○関ヶ原直前の仕立て。家康拝領の品。
銀箔押一ノ谷形兜 黒糸威胴丸具足 ○兜はもともとは福島正則所用。 
真田幸村 日輪前立四十二間筋兜 鉄二枚胴具足 ×時代下る。ありえない。  
千利休 日輪前立日根野頭形 紺糸威二枚胴具足 ×時代下る。ありえない。孫の時代のもの。 
武田勝頼 富士山形前立六十二間小星兜 紅糸威最上胴丸 ○基準資料。とてもよい。五枚胴。 
武田信玄 黒漆塗六十二間筋兜鉢 ○寒川神社に奉納された上州鉢の兜。 
獅噛前立ヤク毛小星兜 ×江戸半ば。演劇によって生まれた兜。 
丸頭巾形兜 ×時代下る。ありえない。 
竹中半兵衛 小星兜 紺糸威二枚胴具足 ×竹中家伝来なれど時代下る。 
黒漆張懸魚尾形兜 煉革魚鱗具足 ×元禄頃のもの。紋が同じというだけ。 
黒漆張懸兜 軍配図金箔押韋包仏胴具足 ×胴の時代は合致するが紋が違う。兜は時代下る。 
立花宗茂 輪貫脇立鳥毛後立錆塗頭形兜 黒糸威縫延胴具足 ○江戸初期。  
伊達政宗 三日月前立黒漆六十二間筋兜 黒漆紺糸威五枚胴具足 ○晩年の製作。他に一領。墓に一領。 
徳川家康 大黒頭巾形兜 伊予札黒糸威胴丸具足 ○大坂陣頃の製作。関ヶ原は嘘。 
金白檀塗日根野頭形兜 金白檀塗黒糸威仏胴胸取具足 ○大坂陣頃の製作。初陣は真っ赤な嘘。 
金溜塗日根野頭形兜 金溜塗黒糸威仏胴胸取具足 ○大坂陣頃の製作。初陣は真っ赤な嘘。
溜塗桃実形兜 南蛮胴具足 ○関ヶ原直前の仕立て。舶来の品。
黒漆十六間筋兜 天下泰平文字白糸丸胴 ○家康がヨーロッパに贈ったもの。  
水牛脇立熊毛植頭形兜 熊毛植胴具足 ○晩年の遺品。 
大釘後立銀箔押一ノ谷形兜 ×大釘は合わせもの。 
豊臣秀吉 総髪形兜 仁王胴具足 ○秀吉がスペインに贈ったもの。
六十二間小星兜鉢 丸胴具足 ○秀吉がスペインに贈ったもの。 
十四間総覆輪阿古陀形筋兜 色々威二枚胴具足 ○秀吉がスペインに贈ったもの。 
黒漆馬藺後立兜 ×時代が下る。由来に矛盾。
軍配前立熊毛植兜 銀伊予札白糸威胴丸具足 ○小田原役で伊達政宗が拝領。基準資料。 
銀箔押帽子形兜 色々威二枚胴具足 ×時代が下る。鎧は各部合わせもの。  
金箔押桃形形兜 金箔押札段替胴具足 ×時代が下るし粗末すぎる。 
内藤如安 黒漆頭形兜 素懸威最上胴具足 ○とてもよい。海外流出。 
直江兼続 愛の字浪前立六十二間筋兜 浅葱糸威最上胴具足 △兜はいいが胴の時代が下る。 
蜂須賀正勝 朱漆塗日の丸金箔押萌葱糸威丸胴 ○とてもよい。
細川忠興 鳥尾頭立越中頭形兜 畦目綴桶側胴具足 △胴の一部に後補がある。 
堀直寄 銀箔押鯰尾形兜 無  ○とてもよい。 
本多忠勝 獅噛前立鹿角脇立黒漆十二間椎形筋兜 黒糸威二枚胴具足 ×時代が合わない。二代目あたり。 
前田利家 天満宮打出鉄錆地縦矧鋲留二枚胴 ×時代下る。鉄砲の試し撃ち痕あり。
金箔押鯰尾形張懸兜 金箔押伊予札白糸威丸胴具足 ○基準資料。とてもよい。
前田慶次 黒漆編笠形兜 朱漆紫糸威最上胴具足 ×胴のみ時代が合致。元禄頃の仕立て。 
森乱丸 南無阿弥陀仏文字前立黒漆頭高兜 金箔押色々威伊予札胴丸具足 ×江戸中期。真っ赤な偽物。 
山中鹿之介 半月前立鉄錆地十二間阿古陀形筋兜 ○兜はよいが喉輪は後補。 
山本勘助 朱漆塗兜 無  ×ありえない。時代下る。

真面目な甲冑研究団体に鑑定に出せば↑と同じような結果が出るはずです。


最近甲冑に詳しい知り合いが本を出した(2010.8)



「日本甲冑図鑑」新紀元社

合子兜について質問されたが本になったことは知らされず2ヶ月たって本になっていることを知った。
その兜はいいのですが、如水・長政の鎧がいかんです。桃山以降、大身でありながら袖の無い鎧というのが
登場するわけですが、その場合は陣羽織(当時は胴服とか筒服と呼ぶ)が、初めからセットとして作られる
のです。この姿じゃ下級武士みたいで威厳がありません。時代劇の考証係はマネしないで下さい。痛んで
現物が残っていない場合がほとんどですが、黒田長政のは騎上画像として残っていますね。
つまり、別ページの細川忠興も同じで、陣羽織を着ていないとおかしい。余談ながら佐竹義重の兜の派手な
脇立(鳥の羽)も後補です。非常に良い本なのに、そういう事を知らないなんて残念です。
如水が片足不自由だったというのも、質の悪い資料にしかありません。山本勘助と同類の作り話です



真面目な服装・武装の考証はここ。


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