黒田孝高(如水)に兄はいたか?


 ホームページ上に面白い記事があります。「黒田官兵衛兄がいた」というものです。「従来の長男説覆る」という新聞写真も添付されています。↓
http://www.hpmix.com/home/uraura/C9_1.htm#2

 記事の黒田家の存在は実は江戸時代から知られています。享保元年に黒田家の使いが自称黒田の総領家末裔という人物を訪ねて会っているからです。備前国岡山城下難波町の黒田正庵という人物で、伝来の家宝(徳川家康・宇喜多直家の書状など数点を見せたらしい)を売りたいという話。
  結局、藩サイドは「黒田家の御家宝として伝えるべきものも無し、正庵筋目はこれ疑いあり」と いうことで、買い取り話はお流れとなりました。銀子でもやろうという話だったが、それもうやむやになったらしいです。
 「正庵の祖父、四郎左衛門浄賢の時にもお尋ねあり、扶持に及ばず」とも書き残されています。さらに、「(備前国)福岡村にも一家ありと聞けり」とありますから、福岡藩がコンタクトを取ったのは、この記事の分家筋のようです。
 黒田家の正式記録には黒田職隆は高政の次男と明記されているので、職隆に兄がいることはいいとして、官兵衛の兄がなんでわざわざ播磨国姫路から備前国福岡へ戻るのか・・・小説の題材としてなら非常に面白いです・・・・
  ただ、色々な観点から、その系図が後世に作られたものなので、やはり官兵衛の兄とは思えな いというのが素直な感想です。官兵衛の父・黒田職隆の職の字の「耳」を「言」に誤ったのは幕府編纂の「寛永諸家系図伝」が最初で、その後「播磨鑑」などが踏襲しており、そういうもの を参考に書かれた系図と思われるからです。
 そもそも大名の黒田家 が佐々木氏末裔というのも怪しく、黒田家の古い重臣はみな播州加古川沿いの地侍で、その一番奥に黒田庄 があり、小生はそこが本当だと思っています。
 記事にある備前長船町の黒田家が、総領家であるならば、大名黒田家の知らないより詳しい系図や伝承があってもいいのに、太平の世になって大名黒田家が見繕った佐々木氏末裔、何代目をそのまま採り入れているだけの点。黒田職隆の兄に、官兵衛の兄をわざわざ養子縁組させる点など不可解極まりない。
 そもそも、職隆の子なら父や弟の書状の一通も持ち伝えるか、写しでもあればいいがそれも皆無。つまり証明するものは何も無いわけです。また、黒田高政そのものが実は偽書と言われる「江源武鑑」にしか出てこない創造された架空の人物なのです。この辺を立証できるものでもその備前黒田家から発見されれば、総領家と断定できるわけなのですが・・・・
 藩が「正庵筋目はこれ疑いあり」と評したのも公平に見て、至極当然のことと思われます。この黒田正庵なる者、実は目医者で、以後、黒田家の先祖は目薬売りの末裔だという噂が生まれ、さらに「夢幻物語」によって大げさに書き立てられ、世に広まったのです。ある意味、今日まで大きな影響を及ぼした人物です。

 有名人を先祖に組み込んだ民間人の偽系図は結構見て来ました。武士は藩庁に提出したりすることもあるから嘘は書けない。民間人のは他人には見せないし好きに書ける。播磨は幕末に赤松円心ブームがあったから特に多いです。そういうものは、その人が信じるかどうかだけです。 小説の材料としてはすごく面白いです。よいものを発見してくれたと思います。それこそ一級史料が出てくればいいのですがね。


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