羅漢寺
第百番
寺名 羅漢寺
山号 耆闍崛山(ぎしゃくつせん)
宗派 曹洞宗
所在地 大分県中津市本耶馬渓町
五百羅漢
SPOT
本堂
羅漢山の中腹に位置する。岩壁に無数の洞窟があり、山門も本堂もその中に埋め込まれるように建築されている。洞窟の中に3700体以上の石仏が安置され、中でも無漏窟(むろくつ)の五百羅漢が有名である。
延元2年(1337年)ないし暦応元年(北朝年号、1338年)、円龕昭覚が当地に十六羅漢を祀ったのが実質的な開山である。
岩壁にへばりつくように本堂が建っています。


Snap shot
参道の入り口
行きはリフトでと思っていたが、社員旅行で今日は運転していない(ゲッ)茶店のおばさんの「帰りに寄ってね」と言う営業スマイルに励まされてスタート
禅海堂
青の洞門を掘削した禅海を祀り、彼に関する遺品を展示する。リフトと同じく本日休み
参道を歩く 曼荼羅石
中央の模様を刻んでいるところ。此処からは聖域。
やぐら 仁王門横
石窟
仁王門
石の仁王像 石の仁王像
不動明王像 仁王門前
山岳修験の本尊
もう少しだ
山門が見えた。左は千体地蔵堂 千体地蔵堂
千体地蔵の一部 千体地蔵堂の奥、縁結地蔵
山門の扁額 「耆闍崛」山号
耆闍崛とはインドの霊峰
即非禅師(崇福寺の中興開山、黄檗三筆-隠元、木庵-の一人)の筆。
無漏窟の入り口
「しゃもじ」が一杯奉納されている
扁額「無漏窟」の文字は、木庵禅師の筆 無漏窟の内部 祭壇がある
五百羅漢 五百羅漢
素木のしゃもじに願い事を書いて打ち付ける。
すくって(救って)くれるとのこと。
これはお持ち帰りようのしゃもじ。塗装してます。
本堂の庇
迫力ありますね
鐘楼
五木さんは、ここに登って写真を撮っていました。
上り口には立ち入り禁止の札があります。
お寺の人にお願いすると、途中までなら・・・。
結構厳しい道、手摺はないし。
阿弥陀堂と庭園の入り口 有料です
中は、まっくらな道、本堂の2階に登って行くのですね。
阿弥陀堂 本堂 2階からの景色
本堂の2階から庭園への橋
頭をうたないように・・・・
指月庵跡
法輪亭 羅漢寺風のお庭です。なかなかいい感じ。
踏みはずすと、まっさかさまですから、注意して歩いて下さいと言われたが。大丈夫。
先ほど渡った橋 リフトが動いてないので、同じ道しかないのかと聞くと。何と、案内しますよと言われて付いて来たが・・
エッ〜。そんなところを・・鉄の鎖はあったけれど

案内してくれるお寺の人
ここを降りたら直ぐですよ。いぼ地蔵が見えるでしょう?
すべり降りないとですね(泣)
雪の時に、ここを登って参拝する人も多い。所謂、旧参道。丁重にお礼を言って戻ることにした。
帰りに茶店で買ったふくろう。竹の入れ物になってる。 巻柿
耶馬溪の名産。干し柿を藁で巻いてる。ここのは、さらに本物の藁のヒモで巻いてる。おいしいですよ

競秀峰
耶馬溪一番の眺め 青の洞門 があるところ。山国川の対岸から
青の洞門 入り口 車で走って見ました、全長約342m。
禅海和尚の碑
ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと、托鉢勧進によって掘削の資金を集め、石工たちを雇って「ノミと槌だけで30年かけて掘り抜いた」のが青の洞門。
菊池寛の肖像碑

この逸話を元にして書かれたのが菊池寛の『恩讐の彼方に』である。



朱印

五木寛之の一言
羅漢は庶民信仰の中心になってきた。何百年もずっと続いてきた羅漢信仰があり、目もくらやむような峻険な山道を通って、命がけでここまで通ってきた人たちがいた。
旅の終わりにいったい何が見えてくるのだろう。
何が見えてきたのかは、まだはっきりしていない。むしろ、これまで見えていたつもりで、見えていなかったものにずいぶん気付いたところもある。
私の旅はまだ終わったわけではない。
日本人のこころを訪ねる旅は、むしろこれからはじまるのだ。

(五木さんは、百寺目に、この寺を選びました、kazu_sanの旅は、まだまだ続きます)
kazu_sanの一言
中津市の名物

「壱万円札 お札せんべい」

大分空港で見つけました。

壱万円札の福沢諭吉は中津藩士だったので、中津の名物です。
生まれたのは、大阪の中津藩蔵屋敷なんやけれどね。


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